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ばあちゃんが本当のばあちゃんじゃなかった話

「ばあちゃんのことで、お前に話しておかないといけないことがあるんだよね」

高校の時に同居しているじいちゃんが死んで、葬式が終わった後、母親は半笑いで俺に話しかけてきた。うちの母親は、真剣な話をする時に、重みが自分のキャパを超えると半笑いになる悪い癖がある。

「ばあちゃんは、ほんとのばあちゃんじゃないんだ」

顔の半分で笑い、顔の半分で神妙にしながら、母親はできるだけ厳かな声で言った。何の話が来るのかと警戒していた俺は、話を聞いた後に拍子抜けしてこう言った。

「知ってた」

うちのばあちゃんは、昭和初期の生まれだ。俺が物心ついたときには、すでにばあちゃんだった。小柄で山菜を採りに行くのが好きで、にこにこしながらいつも誰かに食べさせるものを作っていた。それはかぼちゃの甘い煮物だったり、わらびと揚げの煮物とか、里芋を煮たのとか、なんかよくわからん山菜をよくわからん調味料で煮たのとか、煮物ばっかりでおよそ子供が好むような味ではなかったが、仕事で忙しい両親の代わりにおやつや食事を作ってくれたので、それを妹と一緒に食べていた。2人とも、ばあちゃんが大好きだった。

ばあちゃんはよく言えば天然だった。とにかくよく笑い、難しいことはわからず、怒るのは裏の山に生えてる山菜を盗まれたときくらい。小学校高学年になって俺が小狡くなり、しょうもない嘘をつくようになると、それがどれだけバレバレでもばあちゃんはほぼ全部信じた。あまりにも信じすぎたので、父親から「適当な嘘をばあちゃんに言うな」とげんこつを食らったほどだ。

子供心ながらに、ばあちゃんの子どもたち、つまりうちの父やおばさんたちとの関係はよくわからなかった。同居の父は息子であるのにどことなくよそよそしく、接し方をずっと決めかねているようなところがあった。娘であるはずのおばさんたちも、実家に顔を出したときには妙にばあちゃんを下に見ていて、完全に舐め切っていた。

何より、似てない。顔も似てないが、性格も似てない。基本的に親戚全員がよく言えば冷静沈着で、悪く言えば反応が鈍く、正月の宴会の最中に台所で盛大に皿が割れた音がしても平然と世間話をするような人たちばかりの中で、ばあちゃんは何が起こっても天地がひっくり返ったくらいに驚いて、全力で感情を表に出す人だった。

「なんかこれはおかしいな?」

同級生の家族のあり方を見ても、うちがなんかおかしいのは薄々感じていた。だから、ばあちゃんが実は血が繋がっていないと母親から聞いても、驚きよりも納得のほうが強かった。だよね。あんな天然善人が俺らと同じ血統のわけないよね、と。それを聞いてからも、俺のばあちゃんへの態度は変わらなかった。仏間に並ぶ遺影の中に血の繋がった本当のばあちゃんはいた。でも、顔がなんとなくおばさんたちに似ているなとは思ったが、会ったこともないし、実感は湧かない。ばあちゃんはばあちゃんだった。

「正直にがんばってれば大丈夫だから」

高校を卒業して東京に出る時に、ばあちゃんはそう言って俺を励ました。東京で馬鹿正直に周りを信じて損したこともかなりあったし、がんばるだけじゃうまくいかないこともたくさんあった。でも、なんとなくこの言葉を覚えていて、困った時には従っていたからこそ、今どうにかこうにかやっていけている面もある。だから、俺は血は繋がってないけど、ばあちゃんの孫なんだと思う。

働き始めてしばらくしてから、実家に戻った時にばあちゃんを連れてドライブする機会があった。どういう流れだったか忘れたが、二人でちょっと離れた水族館に行くことになった。ばあちゃんは孫の運転でどこかに連れてってもらうのなんて初めてで、はしゃいでいた。往復二時間くらいのドライブでの道すがら、ふとばあちゃんの人生について尋ねた俺は、そこで初めてばあちゃんの物語を聞いた。

ばあちゃんは、いわゆる”後妻”さんだった。俺と血のつながった祖母は、父やおばさんたちを産んだ後に病気で亡くなっていて、俺が生まれた時にはもういなかった。祖母が死んだ後に、田舎の大家族で嫁がいないのは何かと不便だろうと、遠い親戚のつてを辿って、縁談がまとまった。おそらく父やおばさんたちがかなり大きくなってからだ(ここらへんの時系列はいまいちはっきりわかってない)。いい悪いの話じゃなくて、そういう時代だったんだろう。

ばあちゃんは初婚だった。ばあちゃんの実家とうちの地域は近かったが、ばあちゃんは学校を出ると早々に家を出された。女中として、誰でも知ってる大企業の重役さんの家で働いたそうだ。重役の全国転勤に合わせて姫路など各地へ引っ越し、東京にいたこともあるという。目黒のあたりに住んでいたらしい。

「お使いで上野によく行かされたんだよ」

地元で人生を過ごす人がほとんどという親戚筋の中で、一番日本を転々としていたのがばあちゃんだったのは意外だった。そして、終戦後に重役も引退し、女中という制度も廃れていく中、ある日、暇を出されたそうだ。行く当てもなくいい年で田舎に戻ってきて、たまたまうちの祖父との縁談があった。そしてそれからいろいろあって、俺が生まれ、妹が生まれ、ばあちゃんはばあちゃんになった。

ばあちゃんがうちに来て幸せだったのかはよくわからない。遅く後妻として結婚をして、結局自分の子どもはできなかった。すでに大きい子がたくさんいる中にいきなり放り込まれて、しんどいことも多かったと思う。じいちゃんも癇癪持ちで、年を取ってからもしょっちゅう怒られていた(だいたいばあちゃんが悪いんだけど)。でも、自分の記憶の中のばあちゃんはだいたい笑ってたし、山歩きをして楽しそうな姿しか覚えてない。ばあちゃんの人生が幸せだったらよかったと思う。

ばあちゃんはだいぶボケてきていて、施設に入っている。まだぎりぎり俺のことは覚えているが、会いに行ったら「学校はどうだい?」と聞いてくるので、たぶん中学生か高校生だと思われてる。俺は「毎日楽しく通ってるよ」と答えて、部活のことや勉強のことを話す。施設から帰る時には、ばあちゃんは「これで美味しいもん食べなさい、お母さんには内緒だよ」とティッシュに包んだ1枚の千円札を渡してくる。俺は小声でありがとうと言って、帰る時にこっそりとティッシュからお金を抜いて、ばあちゃんの財布に戻す。あと何回これができるだろうか。

ばあちゃんの物語はそろそろ終わる。いざ文章にしてみると、そんなに変わった人生でもないのかもしれない。ばあちゃんに読ませても、きっともう読めないだろう。それでも、ばあちゃんの人生を覚えている人間が、記録しておくことは悪くないと思う。それが孫だったら、なおさらだ。

そんなこといって、これからめっちゃ生きるかもしれないけど。まあ、それはそれでまた悪くない。ばあちゃん、元気でいてくれよ。


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