揺れる気持ちが記憶を刻む
テレビで、ある1人の有名人にスポットを当てその生涯を振り返るドキュメンタリー番組を見たり、有名人が自身の半生を振り返って語る自叙伝みたいな本を読むとき、語る本人のその記憶力の鮮明さに驚かされることがある。
以前読んだジャズの巨匠マイルス・デイヴィスの自伝を読んだときもそうだった。
例えば、若きマイルスが天才的なサックス奏者であるチャーリー・パーカーを追って、地元のセントルイスを離れニューヨークに出た、みたいな人生の転機になるような大きな出来事ならまだわかる。だが「いつ、どこのクラブで誰と何を演奏した」みたいな細かいエピソードまで回想の随所に出てくる。
書籍化にあたって資料で裏付けなどもされているのだろうが、他の人の自叙伝などを読んでも「そんなことまでよく覚えてるな」というエピソードを目にすることが多い。
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私は小学生の頃地元のソフトボールのチームに入っていたのだが、試合の後にチームメイトが
「4回のあのヒットよかったよなー」だったり
「あの場面であのエラーはないわ」などと
試合の一コマ一コマを振り返りながら盛り上がる会話には全然ついていけなかった。
なぜなら自分の中には、たったいま終わったばかりの試合でさえも、細かい部分まではほとんど覚えていなかったからである。
今にして思えば、そんなに好きでやっていなかったのかもしれない。だから、いつもどこか上の空で記憶に残らなかった。(そういえば練習も嫌いだった)
いつまで経っても下手くそだったのにはちゃんと理由があったのだ。
何かの世界で成功を収めるような人は、やっぱり気持ちの入り方が違うということか。
人より気持ちが大きく揺れ動く分、記憶に強く強く刻み込まれるということなのだろう。
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私がnoteに書く記事も200本近くとなるとさすがに覚えていないものも多い。多分同じようなことだって何度も書いている。
それでも、読み返してみれば「確かにこれ書いたな」という記憶はちゃんと戻ってくる。
書いたものがヒットかエラーかは知る由もないが、
ソフトボールよりはまだマシかもしれない。
