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後ろの正面

 近頃、女系天皇容認論が盛り上がっている。あるいは、マスコミ、SNS、情弱の政治家が工作に乗せられているだけなのか…
 女性天皇容認論と、それでは男系の直系の伝統が破られるとする保守現実派の戦いがある。
 それに関して、古代においても同じようなことがあったのではないか、と私は思い至った。
 万世一系と言われ、世界最古な王朝と言われる日本の天皇家であるが、いくつか疑問に思うところがある。

 それは、皇祖神が、天照大神であるのに、初代天皇が神武天皇とされるところだ。

 なぜかと言うと、皇祖神というのは、天皇家の祖、つまり、先祖であるということであるから、そのまま先祖を祀るなら、初代天皇を神格化すべきではないか。

 なぜ天照大神にしているのか?

 祀っているからには、やはり先祖との認識があるからではないか。

 しかも、天照大神は、女性である!

 女性が皇祖であるのなら、最初から女系天皇だったということになりはしないか?

 これは、男系一系の天皇の系譜と矛盾しないのか。

 神話だから無視していいのか。

 それなら、神話に真実性がないということになる。

 これらすべての混乱は「古事記、日本書紀」にある。
 その謎に答えたのが、「古代日本正史」を著した原田常治氏だと私は思っている。
 そもそも、彼は「古事記、日本書紀」は真実ではないとしている。
 「古事記は50%ウソ、
  日本書紀は80%ウソ」
 と断言している。

 彼は記紀以前の資料のある神社の古文書をフィールドワークで調べ、その結論に達している。(詳しくは記事「祭神名の違和感」に書いた。)

 私は彼の説に則って論を進めることにする。
 つまり、彼の主張によれば、もともと天照の称号は、実質的初代天皇である、

 天照国照彦天火明甕玉饒速日尊
 「あまてらす くにてらす ひこ 
  あめのほあかり 
  くしみかだま   
  にぎはやひのみこと」

 にあったとする。

 天照の称号はこの「初代天皇」にあったのだ!
 しかも、天照国照のあとに「彦」つまり男性であることも、明確に明記されている。
 一般には、饒速日尊(にぎはやひのみこと)と呼ばれている方が初代天皇だったのだ。
 なぜ、彼は諡(おくりな)を剥奪され、女性に変えられて、歴史上から抹殺されなければならなかったのか。
 それは、それを成し遂げた人物を探れば、推察がつく。

 私は、その犯人を天武天皇だと断定した。(記事『「東遷」と「孫」』で言及)

 原田常治氏もたぶん、そう推察していたにちがいないが、天皇を犯人扱いするのは、さすがに時代的にも許されるものではなかったのだろう。
 天武天皇は善政をしいたとされる。しかし、あまりにも善政であるため、そこには何かウラがあると勘ぐる人は多くいる。

 そのウラが「古事記、日本書紀」の編纂であり、その記紀の編纂の目的の一つは、
 「女系天皇の擁立」である。

 『「東遷」と「孫」』の記事でも書いたが、「天孫降臨神話」は持統の子供に正統性を持たせるためのものだった。持統の子供は、つまり、天智の孫である。

 天智天皇までは、皇祖を天照国照彦天火明奇甕玉饒速日尊としていた。

 善政をしいた天武天皇のウラの目的は、皇祖、「天照」である饒速日尊を封印することだった。
 だから、それまでの「大王(おおきみ)」の称号を捨てて、「天皇」に切り替えている。過去の記事『「東遷」と「孫」』にも書いたが、天智と天武は、血を分けた兄弟ではない。天武は天智の弟と伝えられているが、実は4つも天智より年上だ。
 実際は、ただの娘の婿だ。兄弟というのはでっち上げだろう。

 だから、系譜の正しさは天武にはなく、持統にある。
 女系天皇は、結局天皇家の乗っ取りにつながると主張する、保守現実派の人は言う。

 つまり天武は一時日本を乗っ取ったことになる。

 天武天皇は、「大王(おおきみ)」の称号を「天皇(テンノウ)」に変えている。
 また、「大和(やまと)」もこの時期を境に「日本(ニホン)」に変わっている。

 これは偶然だろうか。

 「おおきみ」「やまと」という訓読み(やまと言葉)から「テンノウ」「ニホン」という音読み(漢語由来)に変わっている。

 日本の中枢部が漢語由来の言語を多用する民族に入れ替わったしるしではないのか。英語にフランス語由来の言葉が入っているのが、ノルマンディー公の影響であるように、日本語に音読み言葉が入ってきたのは、支配層が漢語由来の使う民族に変わったからではないのか。(「不規則動詞??」という記事に詳しくは書いた)

 大和(やまと)を日本(にほん)に変え、大王(おおきみ)を天皇(テンノウ)に変えたのが天武天皇だったとしたら、天武王朝の真の目的は、自分の王朝を正当化することだ。その正当化に使われたのが、「記紀」ということになる。

 西暦691年、天武王朝は、持統天皇の時に、石上神宮と大神神社の古文書と十六家の系図を没収している。「記紀」が正しいものであれば、由緒正しい二神社の古文書と系図を没収する必要はない。
 石上神宮は日本最古の神社であり、大神神社は、饒速日尊の総本山的神社である。
 しかしながら、この天武王朝は、称徳天皇を最後に100年程で途絶える。
 その後は、天智天皇系に戻るのである。
 饒速日尊を皇祖と仰いだ血筋に結局もどるのだ。

 天皇家の祖霊を祀る皇室の菩提寺、京都の泉湧寺には、天武王朝の系図の天皇は祀られていない。
 万世一系というが、「皇室の祖霊には、天武系は入っていない!」というこの事実はあまり知られていない。 

 つまり、皇室はこの系統を天皇家として認めていないことになる。

 また「祭神名の違和感」という記事で私はこうも書いた。
 以下

 原田常治氏は、天智天皇のことも、日吉神社の関連で、祭神名を元の饒速日尊(にぎはやひのみこと)に戻して復元してほしい、としてこう記している。

 日吉神社
 祭神名、元の「大物主奇甕玉饒速日尊」一人に復元すること。
 天智天皇が大津に御遷都の時、日本一の武神「天照国照大神饒速日尊」を、三輪の大神神社より、分霊して、皇城鎮護として祀られたもので、現在の東本宮「大山咋尊」や西本宮「大己貴尊」は、天智天皇がお祀りになっておられない。現在のまま、虚偽の祭神にしておくのは、天智天皇の御心を踏みにじるものなので不敬である。(「古代日本正史」p217)

 つまり、天智天皇は、饒速日尊(にぎはやひのみこと)を皇祖として、尊崇しておられた、ということだ。
 天智天皇の子孫は、一旦天武系に途絶えさせられるが、また再び天智系の子孫に受け継がれていく。これは一旦、封殺されかかった饒速日尊を、天智系の子孫が復活させたことになる。
 (以上、記事「祭神名の違和感」より引用。)

 このように、女系天皇を擁立して、天皇家に入りこんだ天武王朝は途絶えるのである。しかし、危うかったのは、称徳天皇の時で、このとき道鏡が天皇になっていたら、それこそ日本は終わっていた。
 天武王朝を排除したのは、日本の神々のご意志であろう。

 日本の皇室は、本当の天照である、饒速日尊を封印した天武王朝の系図を先祖と思っていない。

 現在でも、皇室は、饒速日尊を非常に尊敬しており、原田常治氏はこうも記している。

「現在、十一月二十二日の夜、東京の皇室で、天皇陛下が布留大王(注:饒速日尊のこと)の鎮魂祭を、厳かに初代神武天皇の時からうけついで行われている。
 もちろん、同じ二十二日の夜、石上神宮のほうでも、最大のお祭りとして同じ鎮魂祭(魂ふりの式)を行っている。
 これは、日本書紀、古事記が一生けんめいウソの歴史をつくって、この天照国照彦天火明甕玉饒速日尊を、歴史から消してしまったのと関係なく、皇室では、キチンと本当の史実に基づいて一切の行事を行っておられる証拠である。」古代日本正史p189

 十一月二十二日というのは、新嘗祭の前日である。
 天皇陛下が宮中で新穀を神々に供えて、自らも召し上がる儀式が十一月二十三日である。その最重要儀式の前に「天照国照大神饒速日尊の鎮魂祭」が行われるのだ。皇室がいかに饒速日尊を大切にしているかわかる。

 しかも、このお祭りは、神武天皇の時から続いている。このことは、饒速日尊はとりもなおさず「天皇霊」であることを暗示している。
 ついでに言うと、

 石上神宮の神紋と皇室の紋は同じである!
 「十六八重表菊」である!

 皇室の許可なくして、この紋は使えない!

 私はふと、童謡、「カゴメの歌」を思い出した。

 女系天皇になるということは、また正当な系譜が危機に陥ることになる。  
 日本人にとっては「夜明けの晩」つまり、一番暗い時期ということになる。
 ここで、カゴメの歌を思い出してみよう。

 カゴメ・カゴメ
 籠の中のトリはいついつ出やる
 夜明けの晩に、鶴と亀がすべった
 後ろの正面だ~れ

 子供たちは、この歌を歌いながら、手をつないで、円陣で回る。その円陣の中に一人の子が、目をつぶって、座っている。

 「後ろの正面だ~れ」

 で子供たちは回るのをやめて、中心の目をつぶっている子は目を開けて、後ろに誰がいるか当てる、外れると、もう一周回る、という昔の子供の遊びである。
 しかし、これは妙に予言じみている、と昔から言われている。純真な子供の心に降ろされた「神示」ではないのか、と。

 カゴメ・カゴメという部分は文字通り「籠の目」、ダビデの紋章と同じという。何かしら、ユダヤ民族とかかわりがあるのか、と昔から憶測されてきた。
 しかし、今回は、その中の目を見ていただきたい。

 上三角形と下三角形を合わせると、その目は、「六角形」になる。

 六角形は、亀の紋と言われ、出雲大社の神紋の枠にもなっている。
 出雲大社といえば、大国主命だが、カゴメの歌には、大国主命を表すのような「亀」が出てくる。

 しかし、全国の大国魂神社の多くは、今でも大国主命が祀られているが、実は 「饒速日尊」であったことが多い。
 亀の紋、籠の目は、大国主命ではなく、その「後ろの正面」である「饒速日尊」を指していると思われる。

 神戸の六甲山には、瀬織津姫が祀られているが、なぜ、瀬織津姫を祀っているかというと、六甲山という山自体が、「男性神」であるから、その陰陽のエネルギーのバランスをとるためだそうだ。
 「六」と「甲」も、「亀」のシンボルと結びつく。
 六甲山関連の神も今は大国主命となっているが、ホツマツタエでは、瀬織津姫は饒速日尊の妻とされているから、やはり六甲山も大国主命の「後ろの正面」である「饒速日尊」だったのではないか。

 さらに面白いのが、「鶴」=ツルという言葉だ。カゴメを三角形の上下の合体として見るならば、ダビデの紋章なので、ヘブライ語で迫ってみたら…
 へブライ語の「ツル(Tzur / צור)」:ヘブライ語で「ツル」は「岩」を意味し、聖書の中では「神」の比喩(神の普遍性や強固さの象徴)として使われているという。
 鶴も亀もともに「饒速日尊」の暗示がある。

 奈良には、磐船神社(いわふねじんじゃ)という悠久の時を経て、今なお伝説が息づく古社がある、かつての大阪~奈良の大動脈であった旧国道168号線沿いに、今も静かに佇む古社は、

「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)」がこの地に天降った際に乗っていたといわれる「天の磐船(アメノイワフネ)」をご神体とする神社である。

 「天の磐船」とは高さ12メートルにもなる、見る人を圧倒する威容を持つ、船の形をした巨大な「磐座(いわくら)」がある。

 ここに、ヘブライ語の「ツル」の暗示が妙に収まる。

 天の磐座(「いわ」くら)から降り立った「饒速日尊」!

「鶴と亀がすべった」 の すべった は「統べる」の「統べった」と解釈することが多い。日本をかつて統べった、初代の天皇、饒速日尊ということにならないか。

 子供たちは、カゴメの歌を歌いながら、周り、歌い終わると「後ろの正面だ~れ」と言って、止まり、その中心の子は、正面の子をはじめ、目に見える範囲を子を見て、後ろにいる、その「後ろの正面」の子を当てるゲームである。

 ここが肝心なのだ。
 目に見えるのは、正解じゃない。
 その後ろが正解!

 それは、心の目で探り当てるしかない。

 我々の目には、初代神武天皇という「古事記、日本書紀」に基づいた人物しか見えない。あるいは、見えても、記紀に詳しく述べられている大国主命までだ。

 しかし、その後ろに、
 本当の、初代天皇であり、日本一の武神であり、天照であり、男神である、
 天照国照彦天火明奇甕玉饒速日尊
「あまてらす くにてらすひこ あめのほあかり くしみかだま にぎはやひのみこと」
 がいらっしゃるのだ。

 彼が、初代天皇であり、男系一系の皇族の祖であり、神聖な大王(おおきみ)であったにちがいない。

 そして、今でも、「後ろの正面」からそっと日本民族を見守ってくださっているのではなかろうか…

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