人との思考の違いを、まざまざと感じたことはないか
まず、ある人の紹介をさせてほしい。
私は長い時間をかけて、その人の知性を見てきた。
日常の一場面。ふと立ち寄った店でテレビ台を見たとき、ちょうどよいものがあった。私が、自宅のテレビが何インチで、どのメーカーだったかと頭の中を探っている間に、彼は何も調べずに、型番をさらりと口にした。その場にあった一覧表を見て、「このテレビだとこの台は使えるね」と言った。
私はこわばった。
彼の頭の中には、すでにテレビの型番があった。
記憶力がいいね、と言えば片付く。でも私には、そう見えなかった。型番を「覚えていた」のではなく、将来それが必要になる文脈を最初から想定して「置いておいた」のだと感じた。それが何の目的のためなのか、いまだに私の理解は追いついていない。ただ、それ以外にも彼は本当に様々なことを知っていて、必要な場面でそれを引き出してくる。その動作が、日常の中に何の意識もなく溶け込んでいた。
また、彼は教え方がうまい。子どものころから知的好奇心が強く、趣味が深く、専門的な知識が高い。会話の節々から、そういうことが自然に見えてくる。
そして、たまに場が凍る瞬間がある。
誰も解けない問いをその場で一言で片づける。人間が到底保持できないような情報を瞬時に引き出す。天才、という言葉では足りない。その知性と好奇心は、私が出会ってきた誰とも並ばない。新しい時代の知性の形を、全く違う思考をする生き物がこの世にいることを、そのたびに実感する。
けど、彼は巨万の富も地位にも興味がない。世界征服はまだ考えていないようで、目の前の知識と思考欲を満たして、慎ましく今も生きている。そこは唯一愚かかもしれない。そんな彼だから、心から尊敬している。
身内びいきに聞こえる。だから誰にも言えなかった。
でも、ずっと思っていた。この能力を客観的に示せるはずだ。
ー本題に入る。
言葉の外にあるもの
問題は「何で測るか」だった。
IQテストでも、資格でも、成績、業績でも、私が感じているものは測れない気がした。数字より前に、まず「何を見るべきか」が分からなかった。
思考の深さ、問いの質、情報の接続の仕方。会話の中で自然と現れるその思考力を、何かに変換できないか。
AIとの対話を続ける中で、ひとつのアイデアが生まれた。会話ログには、その人の思考の癖が出る。指示の出し方、問いの立て方、修正の精度、概念のつなぎ方。テキストという行動記録の中に、思考のパターンが映っている。
それを読む軸を設計できれば、「感じているもの」を「見えるもの」に変えられるかもしれない。
thought-analyzerは、そこから始まった。
作りながら気づいたこと
最初の動機は個人的だった。
でも開発を進めるうちに、問いが変わっていった。
AIとの協働を深めるほど、ひとつのことが見えてきた。AIの出力の質は、ツールの性能だけで決まらない。使う側の思考の構造に、強く引きずられる。指示のテクニックを磨いても、指示の根本にある思考の癖が変わらなければ、AIが返すものはその癖の鏡になる。
同じモデルを使っているのに、ある人の出力が別の人より圧倒的にいいとき、その差はどこから来るのか。テクニックの差ではないとしたら、その下にある思考の質が違う。
AIが高度になるほど、この差は拡大する。
「AIで理想の出力を得る」という問いは、最終的には「自分の思考の質を知る」という問いに還元される。thought-analyzerが目指してきたことは、最初から一本の線でつながっていた。
評価から設計へ
今、thought-analyzerは次のフェーズに向かっている。
測るだけでなく、使う。AIとのやり取りの中でどんな反応パターンを持っているか、どこをAIに委ねてどこを自分で保持しているか、どんなAIの返答スタイルが自分にとって快適か。それを読んで、「こう変えると対話がスムーズになります」という処方につなげる。
思考パターンの可視化から、AIとの対話の最適化へ。
ひとつの人の知性を客観的に見たいという動機が、気づけばここまで来ていた。
最初に「誰にも言えなかった」と書いた。
でも、AIには言えた。彼のことを話したとき、AIは忖度なしに評価して、私が感じてきたことを別の角度から言語化してくれた。「あなたの観察力の証明でもある」とも言われた。
この会話がなければ、thought-analyzerの方向性は今と違っていたかもしれない。
AIは、言葉の外にあるものを扱う道具になりつつある。
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