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世襲議員がいない?ここが違うよ日韓の国会──「三バン」の国と「審判」の国

今年1月末、時事通信がこんな数字を報じた。

衆院選の世襲候補124人、うち自民党が92人で断トツの最多である。

で、お隣の韓国はどうだろうか。
何と300人のうち世襲議員はわずか15人の3%。
この差はなんだ?

同じ東アジアの、同じ小選挙区中心の国でありながら、なぜここまで差がつくのか。今回はこのテーマを、制度と歴史の両面から徹底的に掘ってみたい。


日本:「地盤・看板・カバン」という名の相続財産

日本の選挙を語るとき、必ず引き合いに出されるのが「三バン」だ。
地盤(後援会組織)、看板(知名度)、カバン(政治資金)
──この3点セットが、親から子へまるごと引き継がれていく。

しかも肝心なのは、政治団体を通じた資金の継承には相続税が一切かからないという抜け穴である。親が何十年もかけて自分の政党支部に寄付を積み上げ、その総額が数億円に膨れ上がっても、それを引き継いだ息子に税務署は一円も課税できない。一般国民が親の預金をわずかでも相続すれば容赦なく持っていかれるというのに、である。

結果はどうなるかといえば、日本経済新聞の調査によれば、小選挙区制導入後の世襲候補の当選率は約8割、非世襲は約3割。もはや勝負にもなっていない。

1996年の小選挙区制導入以降、この国の首相の座に就いた顔ぶれを思い浮かべてみてほしい。非世襲と呼べるのは菅直人、野田佳彦、菅義偉、そして現在の高市早苗くらいのもので、あとはほぼ全員が政治家一族の出身だ。
もっとも、公平を期して言えば、その高市首相は松下政経塾出身の叩き上げである。世襲を批判するのなら、この事実から目を逸らすのはフェアではない。


韓国:世襲が「育たない」土壌

一方の韓国。国会は一院制で定数300、小選挙区254に比例46という配分になっている。

ここで世襲議員は極めて稀だ。皆無ではない──朴槿恵という超大物世襲がいたことは後で触れる──が、日本のように政界の常態にはなっていない。なぜ育たないのか。理由は大きく三つある。

第一に、公認(コンチョン)の苛烈さ。 韓国の主要政党は選挙のたびに、現職議員の評価下位2〜3割を機械的に公認から外す「カットオフ」を平然とやってのける。親の地盤がどうこう以前に、現職ですら4年ごとに党内サバイバルの俎上に載せられるのだ。
実際、2004年の総選挙では当選者の6割以上が新人で、再選できた現職は3割弱にすぎなかった。日本なら政界大再編クラスの大異変が、あちらでは「いつもの選挙」なのである。

第二に、カネのかからない選挙制度。 かつて2002年の大統領選をめぐり、財閥がトラックごと現金を政党へ運び込んだ「チャテギ(トラック丸ごと)事件」が発覚して国民の怒りを買った。その反省から2004年に政治資金法が大改正され、企業・団体献金は原則禁止、法定選挙費用は厳格化、違反すれば即座に当選無効という厳しい仕組みが敷かれた。そのかわり得票率15%以上を獲得すれば選挙費用は国庫から全額補填される。つまり「カバン」の効力そのものが、制度の設計段階で削がれているわけだ。

第三に、有権者の視線。 韓国の有権者は「有力者の息子」という肩書を評価しない。むしろ「特権の世襲」として敵視する。彼らが値踏みするのは、検事、弁護士、市民運動家、起業家といった本人自身の経歴のほうだ。選挙が近づくと各党が旬の人材を競って引き抜く「人材迎入(インジェヨンイプ)」合戦が始まる。看板は親から借りるものではなく、自分の手で作るもの。それがあの国の常識である。


話は逸れるが

私はポニキャで33年、その大半を映画・映像の部門で過ごしてきた。平たく言えば、劇場公開された映画をビデオやDVDへ二次利用していく、その商流のプロだ。90年代後半、金大中政権が日本大衆文化を段階的に開放していった頃から、韓国コンテンツ業界の変貌ぶりを目の当たりにした。そう、「冬のソナタ」に始まる韓国ドラマブームは映像ソフト業界の革命的な出来事だった。

そして思うのだが、あの国の業界の新陳代謝は、政治とそっくりなのだ。昨日までの大手が沈み、無名の制作会社が世界を獲る。BTSを生んだHYBEにしても、元をたどれば一人のプロデューサーが立ち上げた一介のベンチャーだった。二世タレントが親の七光りだけで生き延びられるような、生ぬるい世界ではなかった。

政治も芸能も、あの国では実力と世論がすべてを決める。NewJeansのような件もあるので、あくまで「良くも悪くも」、だ。


韓国に「地盤」はないのか?

ここで話を戻す。そして少し、自分の仮説そのものに反論を入れておきたい。

実は韓国にも、日本以上に強固な「地盤」が存在する。ただしそれは個人や家に属するものではなく、政党と地域に属している。慶尚道(嶺南)は保守政党の金城湯池、全羅道(湖南)は進歩政党の牙城──この地域主義の岩盤は、下手な日本の後援会よりよほど固いらしい。候補者が誰であろうと、党の公認さえ取れば当選が約束されるような選挙区が、あちらにはゴロゴロ転がっているとのことだ。

つまりこういうことだ。日本では地盤が「家」に属し、韓国では地盤が「党」に属する。だから日本では親から子への世襲が成立し、韓国では党の公認権を握る執行部への忠誠競争が成立する。
どちらが健全かは、、正直、まあ、即答しかねる。

そしてもう一つ。韓国にも、世襲の頂点と呼ぶべき人物がいた。
朴槿恵である。父は18年間権力の座に君臨した朴正煕。彼女は「看板」の究極形として2012年に大統領へと上りつめ、そして2017年、ろうそくを掲げた市民たちの手で弾劾され、引きずり下ろされ、収監された。世襲の威光は当選までは効く。しかし失政の免罪符には、一切ならない。ここが日本との決定的な違いだと私は思う。


「与えられた民主主義」と「勝ち取った民主主義」

制度の違いを遡っていくと、結局はここに行き着く。

乱暴を承知で言えば、日本の戦後民主主義は敗戦とともにGHQから与えられたものだ。血を流して自らの手で獲得したという記憶が、少なくとも戦後世代にはない。
だが韓国は違う。1960年の4月革命、1980年の光州、1987年の6月民主抗争──学生と市民が催涙弾の煙の中で文字通り血を流し、軍事政権から民主主義をその手でもぎ取ってきた歴史がある。

だから彼らにとって選挙とは「権力への審判」であり、大統領も国会議員も、常に監視すべき雇われ人にすぎない。

2016年、朴槿恵を退陣に追い込んだろうそくデモの参加者は、主催者発表で延べ1,600万人を超えた。
2024年12月、尹錫悦大統領が突如として戒厳令を宣布したときも、市民は真夜中の国会へと駆けつけ、国会は190対0で戒厳解除を議決してみせた。尹氏はその後弾劾され、2025年6月には李在明政権が誕生している。

翻って日本。
2024年衆院選の投票率は53.85%、対する韓国の直近の総選挙は67.0%だった。裏金だ、旧統一教会だと大騒ぎしても、この国では有権者の半分近くがそもそも投票所へ足を運ばない。そして世襲候補の当選率8割は、微動だにしないのである。


それでも私は、韓国型を手放しで礼賛しない

で、ここまで散々書いておいて何だが、私は「だから韓国を見習え」と単純に言い切る気にはなれない。

民主化以降の韓国大統領たちの末路を並べてみてほしい。
逮捕、収監、弾劾、隠遁、そして自死──政権が代わるたびに、前政権への「積弊清算」という名の報復捜査が始まる。政治の激しい流動性は、裏を返せば政治の残酷さでもあるのだ。世論の波ひとつで議員の首がすげ替わる政治は、当然ながらポピュリズムの波にも脆い
実際、韓国のSNS政治の過熱ぶりは日本の比ではない。

日本の「三バン」政治がもたらしてきた安定は、確かに淀んでいる。だがその淀みは、見方を変えれば一種の防波堤でもあった──と、そこまで書いて、いや待てよ、と思い直す。
その防波堤の内側で温存されてきたのは、裏金であり、政治資金の無税相続であり、家業と化した特権政治だったではないか。
だとすれば、あの防波堤が守っているのは国民ではなく、議員たちの既得権のほうなのかもしれない。
一体どっちがいいのだ、とまた悩む。


結論:最大の違いは、有権者の側にある

日韓の国会の最大の違いは何か。一院制か二院制か、大統領制か議院内閣制か、世襲率3割か数%か──どれも正解だ。
だが私の結論はこうである。

最大の違いは、有権者が政治家を「先生」と拝むか、「雇われ人」と見なすかの違いだ。 世襲の多寡も、三バンの効力も、すべてはその意識の差がもたらした結果にすぎない。有権者が政治家を「地元に金を落としてくれる先生」として拝み続けている限り、三バンは機能し続け、世襲もまた続いていく。

制度のせいにするのは簡単だ。
しかし、その制度を最終的に変える権限を握っているのは、一票を手にした私たち自身のほうなのである。

隣の国は、それを血を流して学んだ。
私たちは、投票所まで数分歩けばそれで済むのだが。。


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