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なぜ早稲田と慶應は「私学の双璧」になったのか、明治日本の国家形成と「学問の独立」から考える早慶150年史 ※夏季休業中の投稿

日本の私立大学について、「早慶」という言葉はあまりにも自然に使われている。

早稲田大学と慶應義塾大学。

現在の入試難易度を見れば、両校が難関大学であることに疑問はない。

しかし、歴史的にはもっと面白い問いがある。

なぜ数ある私学の中で、早稲田と慶應が「私学の双璧」として長期的に認識されるようになったのか。

単に「創立が古かったから」では説明できない。

早稲田の前身・東京専門学校は1882年創立である。同時期の東京には、1880年の東京法学社、1881年の明治法律学校、1885年の英吉利法律学校など、有力私学の前身が相次いで誕生している。

慶應は1858年を起源とするため突出して古い。しかし、それだけでは「慶應一強」ではなく「早慶二強」になった理由を説明できない。

ここで重要になるのが、大学同士の序列を見る前に、そもそも明治時代の私学が何に対抗し、何を社会に提供しようとしていたのかを見ることである。


早慶は「国立大学の廉価版」として生まれたのではない

この問題を直接扱った研究がある。

Huda Yoshida Al-Khaizaranの2011年論文
The Emergence of Private Universities and New Social Formations in Meiji Japan, 1868–1912 である。

この論文は明治期の私立大学前身校の成立を、単なる学校史ではなく、近代国家形成と新しい社会階層の形成という大きな文脈から分析している。

特に重要なのは、国立大学と国家官僚の形成を論じたうえで、私学の創設者たちについて、academic freedom(学問の自由)とpolitical independence(政治的独立)が結びついていたと分析していることである。

そして論文の第3節では、慶應と早稲田をケーススタディとして取り上げている。さらに宗教、ジェンダー、社会階層、政治哲学という四つの領域から、明治国家による近代化と私学による社会形成との関係を検討している。

これは早慶の歴史を見るうえで重要な視点である。

つまり早慶は、

「政府が作った大学に入れない人のための二番手教育機関」

として成長したのではない。

明治国家が必要とする官僚エリートを育てる官学とは別に、

「国家とどういう距離を取り、どのような人間を作るべきか」

という独自の答えを提示した私学だったのである。


慶應――「一身独立」から社会をつくる

慶應義塾の起源は1858年、福澤諭吉が江戸の中津藩邸に開いた蘭学塾である。福澤はその後英学へ転じ、慶應では「実学」と「独立」を教育の中心に置いた。慶應自身の史料でも、福澤の実学は単なる職業教育ではなく、科学的・実証的に問題を考える姿勢を意味し、同時に塾生へ実業界に進むことを勧めていたことが確認できる。

ここで福澤の「独立」は重要である。

個人が国家や既存の身分秩序に全面的に依存するのではなく、自らの判断と能力によって立つ。

そして独立した個人が増えることによって、社会や国家も強くなる。

この思想は教育だけで終わらなかった。

福澤やその門下生は、銀行、商社、出版、新聞など、近代日本の民間社会の形成へ深く関与していった。慶應の大学史資料でも、福澤が塾生に実業界を目指すよう促し、多くの門下生が近代企業の形成に関与したことが記録されている。

例えば福澤の甥でもある中上川彦次郎は三井改革を担い、その過程で慶應出身の若者を積極的に登用した。後に日本の企業社会で活動する人材群が、こうした形で形成されていった。

したがって慶應の初期優位を、

「財界に強い大学だった」

と結果から説明するだけでは不十分である。

より正確には、

独立した個人を育て、官ではなく民間社会にも近代日本を担う主体を作ろうとした教育哲学が、成長しつつあった企業社会と適合した

と考えた方がよい。


早稲田――「学問の独立」から国家を批判できる知識人をつくる

一方、早稲田の前身・東京専門学校は1882年、大隈重信を中心として創立された。

その背景には1881年の政変がある。

早稲田大学自身が編纂している『早稲田大学百五十年史』も、東京専門学校の成立を「近代国家像をめぐる相克と『学問の独立』」という枠組みで捉えている。

そこでは自由民権、憲法構想、明治十四年の政変、政党政派からの独立、政府による圧迫などが、東京専門学校成立期の重要なテーマとして位置づけられている。

1882年の開校時には政治経済、法律、理学、英学が置かれ、「学問の独立」が宣言された。

ここが慶應とは少し違う。

非常に単純化すれば、

慶應の独立は「個人と社会」から出発する。

対して早稲田の独立には、

「学問と政治権力の距離」

という問題がより強く現れる。

もちろん福澤も政治的独立を重視し、早稲田も個人の自立を無視していたわけではない。

したがって完全な二分法ではない。

しかしAl-Khaizaranが明治私学の創設者について「学問の自由」と「政治的独立」の結びつきを重視していることを踏まえると、早慶の違いは単なる「校風」の違いではなく、近代社会における私学の役割についての異なる政治哲学として読むことができる。


早稲田は、さらに「キャンパスの外」へ出ていった

早稲田にはもう一つ重要な特徴がある。

全国への教育拡張である。

東京専門学校は創立からわずか4年後の1886年、通信講義録を発行し、校外生制度を開始した。

1893年には教員が地方へ赴く巡回教育も始めている。早稲田大学の大学史資料によれば、通信講義録は長期間にわたり全国へ送られ、70年間で200万人以上が学んだとされる。

ここから、

「東京に来られなくても早稲田の学問に接することができる」

という巨大な接点が生まれた。

これは後世のブランド戦略を念頭に置いて始めたものとは限らない。

教育機会の拡大という理念的側面も大きい。

しかし結果として、早稲田という名前を東京のキャンパス外へ広げる装置になった可能性は高い。

慶應が早期に民間社会との密度の高い人的関係を形成したとすれば、早稲田は校外教育などによって地理的に広い接触面を形成した。

両校は違う形で社会との結びつきを拡張していったのである。


では、結局「東京にあったから」ではないのか

ここで単純な対立仮説も検討する必要がある。

早慶が成長した最大の理由は、

単に東京にあったからではないか。

明治以降、政治、行政、企業、出版、新聞などが東京へ集中していく。

東京の学校が人材・情報・権力へアクセスしやすかったことは十分に考えられる。

この仮説を無視して、すべてを福澤や大隈の経営手腕で説明するのは危険である。

しかし東京立地だけでも説明できない。

同時期には明治法律学校、東京法学社、英吉利法律学校など、後に有力大学へ発展する学校が東京に相次いで創立されている。

したがって東京立地は、

早慶の発展に有利な共通条件だった可能性は高いが、早慶二校だけの長期優位を説明する十分条件ではない。

ここから本当の問いが始まる。

同じ東京という有利な環境にいた複数の私学の中で、なぜ早慶が特に強い社会的地位を形成したのか。


「累積的優位」は証拠ではなく、比較のための補助線である

ここで現代高等教育研究が一つのヒントを与える。

Volkwein and Sweitzer(2006)は現代米国大学について、学生特性、研究活動、大学資源などと大学の評判との強い関連を示した。

Rosinger, Taylor and Slaughter(2016)は米国私立研究大学について、上位校が選抜性やエンダウメントなどを通じて資源をさらに蓄積する「累積的優位」を分析している。

しかし、この研究結果を明治日本へ直接適用することはできない。

研究対象はUS Newsランキングや巨大なエンダウメントが存在する21世紀の米国大学だからである。

したがって、

「米国で確認された累積的優位が、そのまま早慶でも存在した」

とは本稿では主張しない。

参考になるのは、メカニズムの型だけである。

社会的評価を得る。

卒業生が社会へ進出する。

社会との接点が増える。

それによって次の学生や人材が集まる。

そして社会的評価がさらに高まる。

こうした自己強化的循環が早慶にも存在した可能性がある、という理論的アナロジーである。

それ以上ではない。


そして「早慶戦」は主因ではなく、増幅仮説である

1903年には第1回早慶野球戦が行われた。慶應側の史料でも、この試合が同年11月21日に開催されたことを確認できる。

後に早慶戦はスポーツを超えた巨大な大学間ライバル関係へ発展する。

ここから、

「互いを最大のライバルと認識することで、早稲田と慶應のブランドが相互に強化されたのではないか」

という仮説を立てることはできる。

しかし、「早慶戦があったから早慶が私学トップになった」とする証拠はない。

したがって早慶戦は、

二強を作った原因ではなく、すでに形成されていた二校の社会的存在感を可視化し、『早慶』という二項ブランドを増幅した可能性のある要因

と位置づけるべきだろう。


早慶の強さは「同じだったこと」ではなく「違っていたこと」にある

ここまでの歴史から、私は早慶を次のように考えたい。

慶應には、

福澤諭吉
実学
個人の独立
民間社会
実業界との人的関係

という歴史的資産が形成された。

早稲田には、

大隈重信
学問の独立
政治・言論との接点
校外教育
全国への広がり

という別の歴史的資産が形成された。

これは優劣ではない。

むしろ重要なのは、

二校が違う経路から近代日本の新しい社会層を育てたこと

である。

Al-Khaizaranの研究が示唆するように、明治期の私学形成は単なる教育産業の発達ではない。

国家主導の近代化と並行して、

国家だけでは作ることのできない社会を、私学が作っていく過程

でもあった。

その中で慶應と早稲田は、それぞれ異なる「独立」を掲げ、社会との接点を拡大した。

この歴史的資産が長期間蓄積され、その後の卒業生、社会的評価、学生獲得へつながったのではないか。

現時点では、これが最も妥当な仮説である。

ただし東京立地、制度上の先行性、総合大学化など、他の要因も無視できない。

「早慶が二強になった唯一の原因」を特定することは、おそらくできない。


偏差値は、150年史の「結果」である

現在の大学論では、偏差値が原因のように語られる。

難関大学だから優秀な学生が集まる。

優秀な学生が集まるから良い企業へ入る。

だからブランドが高い。

しかし歴史を明治まで戻すと、この順序では説明できない。

当時、もちろん偏差値という指標は存在しない。

あったのは、

どのような人間を育てるのか。
国家とどういう距離を取るのか。
新しい社会にどのような人材を送り出すのか。

という問いだった。

慶應は一身の独立と実学を掲げた。

早稲田は学問の独立を掲げた。

卒業生が社会へ出た。

大学と社会の関係が蓄積された。

その歴史のはるか後に、現在の入試難易度が存在する。

だから、

現在の偏差値は早慶が名門になった原因というより、長い歴史的蓄積の結果として読む方が自然である。

第一回の結論は、これくらいにとどめておきたい。

早慶の歴史は、単なる「大学ブランド成功物語」ではない。

近代国家の形成と同時に、国家から一定の独立性を持つ民間の知識社会がどのように形成されたのか。

その歴史なのである。


参考文献

Al-Khaizaran, Huda Yoshida. “The Emergence of Private Universities and New Social Formations in Meiji Japan, 1868–1912.” History of Education, 40(2), 2011, pp.157–178.

Barney, Jay B. “Firm Resources and Sustained Competitive Advantage.” Journal of Management, 17(1), 1991, pp.99–120.

Lynch, Richard & Paul Baines. “Strategy Development in UK Higher Education: Towards Resource-Based Competitive Advantages.” Journal of Higher Education Policy and Management, 26(2), 2004.

Volkwein, J. Fredericks & Kyle V. Sweitzer. “Institutional Prestige and Reputation among Research Universities and Liberal Arts Colleges.” Research in Higher Education, 47, 2006, pp.129–148.

Rosinger, Kelly Ochs, Barrett J. Taylor & Sheila Slaughter. “The Crème de la Crème: Stratification and Accumulative Advantage Within US Private Research Universities.” In Higher Education, Stratification, and Workforce Development, 2016.

早稲田大学『早稲田大学百五十年史』第一巻および大学史資料。

慶應義塾「福澤諭吉と慶應義塾の歩み」ほか大学史資料。

※本稿では、明治期日本を直接扱うAl-Khaizaran(2011)を歴史解釈の中心的な先行研究とし、現代米国・英国を対象とする経営学・高等教育研究については、早慶史の直接的証拠ではなく比較・理論上の補助線として用いた。

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