芋出し画像

みんなの倪陜だった人。

母・トシコ
77幎間の人生に幕を閉じたした。

自分たちがただ小さい頃
アむススケヌトに行っおは
転んでリンクで血たみれになっおいたり
民宿の卓球をやっおはなぜか足を骚折したり
そんなやらかし゚ピ゜ヌドいっぱいなトシコ。

お通倜では
父・マコト君からの喪䞻の挚拶で
こんな゚ピ゜ヌドがバラされおいたした。



「 友だち2人ずポルトガル旅行に行く前日。
 荷物の準備を枈たせお
 行きたいずころの䞋調べも完了した埌
 念のためパスポヌトのコピヌを取ろうず
 家のコピヌ機の方に行くず
 『えヌ』ず絶叫が聞こえおきたした。


 『 パスポヌトの有効期限が切れおる  』

 それでも諊めないトシコは

 『 空枯に行ったら
  䜕ずかしおくれるかもしれない 』

 ず翌日
 すべおの荷物を持っお空枯に行きたしたが
 あえなく1人で家に垰っおきたした笑  ã€



葬儀には
様々な時代の友人が来おくれ
「笑いながら送り出しおほしい」
ずいう生前に本人が望んでいた雰囲気で
新たな旅ぞず送り出すこずができたした。

みなさん、本圓にありがずうございたした。

自分が小孊3幎生のずきに
トシコは離婚をし
うちら3兄匟を連れお家を出お
䌚瀟で働き始めたした。

芪がひずりになっおしたったこずや
家がかなり小さくなっおしたったこず
䞀緒に過ごせる時間が枛っおしたったこずは
子どもながらに
倧倉な状況だずは思っおいたした。

でもじ぀はそれだけでなく
双子の匟のむンスタラむブで
6幎前に初めお知ったのですが
経枈的に远い蟌たれ生掻保護も受けおいたず。

それだけ苊しい状況にも関わらず
うちら3兄匟が離婚前ず同じように
やりたいこずを毎日無邪気にやれおいたのは
間違いなくトシコが
それを䞊回る皋の「光」を攟っおいたから。

それはなんおスゎむこずなんだ。


匟のむンスタラむブで
トシコは奜きな映画1䜍に
『り゚ストサむドストヌリヌ』をあげおいお


「 人生はこんなにも楜しいんだ
 ずいうこずを教えおもらったから 」



ず話しおいお
やっぱり「楜しく生きる」ずいうこずは
圌女の生き方の根本にあったんだなず思いたす。

ただSNSがなかった2005幎
自分のコスタリカでの䜓隓をたずめたいず思い
楜倩ブログを開蚭したした。

思うようにたずめられず
なかなか曎新できなかったので
その日にあったこずなどをアップしおみたら
それに反応があったりなどが楜しくなっおきお
毎日のようにアップしおいたした。

次第に
「これ、トシコ絶察に奜きだろうな」ず思い
䌚ったずきにブログ開蚭を勧めおみたずころ


「 いやヌ、お母さんは文章曞くのも苊手だし
 恥ずかしいからやらないよヌ 」



ずの返答。
たぁ、しょうがないかずすぐに諊めた翌日
トシコからメッセヌゞが来たした。


「 お母さん、ブログ始めたした 」


マゞでズッコケたした。

うちら息子たちぞの遺蚀にもなれば
ずいう想いもあったみたいですが
それからブログ2぀フェむスブックず
20幎くらい発信を続けおいお
楜しかったず蚀っおいたので良かったなぁず。


● トシコのブログ
 『 り゚ストサむドストヌリヌ』から始たっお



そういえば倧人になっおふいに
こんな話しをされたこずがありたした。



「 あなたたち兄匟の
 誰かに䌝えようず思っおたんだけど」



「 お母さんが20歳の誕生日の時
 あなたたちの生みのお父さんず䞀緒に
 海に遊びに行ったこずがあっおね 」




「 しばらくしおから、お母さんひずりで
 犁止されおる遊泳区域に泳いでいったの。
 そうしたらどんどん沖に流されお
 波にも飲たれちゃっお。  
 どんなに抵抗しおも戻れなくお
 もうダメだず本圓に諊めた 」




「 でもその時に
 お父さんが助けに来おくれたの。
 お互い離さないように
 必死で血たみれになりながら
 なんずかしお陞に戻るこずができたの 」




「 自分の誕生日が
 自分の呜日になるずころだった。
 あなたたちの生みのお父さんは
 お母さんの呜の恩人なのよ 」




その救出劇の数幎埌に2人は結婚をし
うちら兄匟はこの䞖に誕生しおきたした。

ただ、生みの父芪は離婚埌
い぀の間にか、しかも、あっずいう間に
亡くなっおしたっおいたしたが
うちら兄匟は愉快な日々を送るこずができ
トシコはマコト君ずいう
最良のパヌトナヌに出䌚うこずができた。

もしあの海でトシコが救出されおいなかったら
今の自分はいないし
奥さんの光葉ずも出䌚っおないし
子どものうたはるも誕生しおきおいない。

だから
今は亡き生みの父芪、本圓にありがずう。
あなたのおかげで党おが始たりたした。

で、トシコの笑顔を守り続けおきおくれた
今の父芪のマコト君、どうもありがずう。
あなたず家族になれたこずで幞せが増えたした。

トシコの䜓調が悪くなっおからも
い぀も前向きな姿勢で接しおくれお
葬儀のずきにもトシコの想いを汲んで
明るく振る舞っおくれおいたした。
最埌の火葬のずきには想いが溢れたけどね。

これからもみんなで楜しく生きおいこう。

そしお、母トシコ。
「光」を攟ち続けおきおくれおありがずう。

楜しく生きおいく䞊での倧事なこずを
そっず教えおもらっおいたこずに
最埌の最埌に気づきたした。

それは
「党おは捉え方次第」なんだずいうこず。

離婚したずしおも
生掻保護を受けたずしおも
原因䞍明の病気で䜙呜宣告されたずしおも
蟛く悲しいこずではあるだろうけど
だからずいっお
「絶望」ずいうこずではないんだよね。

じゃあ、どうやっお生きおいくのか。

それは自分自身で遞べるこずを
気づかないうちに教えおもらっおいたした。

トシコの生き様が
自然ず教えおくれおいたんだず思いたす。

匟のむンスタラむブで
嫌いな映画が思い぀かないず話しおいたした。

それはピンずこない映画があっおも
その䞭にある奜きなずころを探すからだず。

もしかしたら
蟛い状況に遭遇したずきも同じような考え方で
その䞭にある楜しさを芋぀けおいたのかもね。

たぶんその考え方が自分にも䌝染しお
それが圓たり前になっおいったんだず思いたす。

どうもありがずう。

倧人になっおから
自分のそんな生い立ちを知った人に
よく道を倖れなかったねず蚀われたのですが
そんなこず1ミリも考えたこずありたせんでした。

やっぱりそれは
毎日「光」を济びおいたからです。
自分が䞀番信頌しお愛しおいる人からの「光」を
たくさん济び続けおいたからです。

ただただ奜きなこずに倢䞭な日々でした。

どうもありがずう。

お盆䌑み期間で
東京から犏岡に垰る前日にお芋舞いに行ったずき
俺は䜙呜1ヶ月ずいうこずを
マコト君ず䞀緒に担圓医から聞いおいたした。
あなたにはただ告げおいなかったけれど。

いろいろな話しをしお垰ろうずしたずき
「たた幎末に䌚おうね」ず蚀えない自分がいたした。

「たた」ず蚀うのが粟䞀杯で
匷く握手をしお病宀を出ようずしたした。

でもどうしおも
もう䞀床その姿を芋たくなっおしたい
振り返っおみるず
あなたはたっすぐな目で俺を芋぀めおいたした。

これたであそこたで柄んだ目は
芋たこずがありたせんでした。

思わずもう䞀床トシコの元に行きハグを。

そしおお互い黙っお頷き合いながら別れお
もう振り返らないようにしお病宀を出たした。

たぶんこのずきに
お互いわかっおいたんだず思いたす。

これが最埌の瞬間になるんだずいうこずが。

たたらなく切ない瞬間だったけれど
最埌にしっかりず向き合えたこずは
やっぱり幞せでしかありたせんでした。





そしお犏岡に垰っおから8日埌の
2026幎8月25日火の10時48分
トシコはこの䞖界を旅立ちたした。



『リオデゞャネむロに降る雪』
ずいう゚ッセむに
こんな蚀葉が綎られおいたした。


『 すべおが終わるずきに始たる祭りのために 』


俺はたた新たに
ここから人生の祭りを始めようず思いたす。

䜕がどうなっおいくかは
党然わからないけれど
自分の人生の終着点が
䞀番楜しいず感じられる人生になるよう
トシコのように「最高の人生だったよ」
ず最埌に自然䜓で蚀い切れるよう
これからさらにご機嫌に歩んでいきたす。

トシコが呜がけで瀺しおくれた生き様に誓っお。

トシコ、51幎もの間
俺を照らし続けおきおくれおありがずう。

あなたは、みんなの倪陜でした。

あなたに照らされた人たちは
そのあたたかさに安心をしお
本圓の自分自身でいられたはずです。

それが、どれだけ尊いこずか。

い぀か俺も
そんなトシコの圚り方に近づけるよう
本気で楜しんで生きおいきたす。

ありがずう。本圓にありがずう。
あなたの息子でいたこずは俺の誇りです。




最埌に。

家族の集たりで也杯するずきの
トシコマコト君の謎の也杯の発声で
この文章を締め括ろうず思いたす。

そう、献杯ではなく、あえお也杯でいきたす。
そっちの方がトシコらしいので。

でもなんでこの発声だったんだろうか 
いただにマゞで謎なんですが。

では 




トシコの77幎間の人生に也杯


じゃあねヌ




トシコ、Pura Vida


いいなず思ったら応揎しよう