最近読んだ本:2026年4月22日
1年近く投稿が空いてしまった。未完の企画もたくさんある。いきなりそれらを完遂することは難しいので、今回はリハビリがてら、最近読んだ本の感想を書いていきたい。
村田喜代子『姉の島』
文庫化を機に読むことにした。
85歳を迎えたベテランの海女が、仕事仲間や孫夫婦と協力して日本近海の海図を作成したり、近海に沈んでいる大日本帝国海軍の潜水艦を探し求めて潜水したりするという話であった。舞台は長崎県の離島とおぼしき島らしく、潜水中に遣唐使の幽霊と会話する場面も出てくる。夢と現の往来という意味では、まさしく幻想小説らしい幻想小説だと感じた。
主人公の住んでいる島(魚見島)には、「倍歴」と呼ばれる風習がある。85歳を迎えた女性のみ、以降は年齢を倍にして数えるという風習である。本作では、この風習を『古事記』や『日本書紀』にたびたび登場する(120歳を優に超えるような)超長命の天皇の逸話と重ね合わせることで、すでに主人公の海女たちが半ば霊的な領域に片足を突っ込んでいることを仄めかしながら、(戦争の記憶を交えつつ)間接的に日本の在り方を問い直しているように感じた。
特に、本作の話の作り方は、中上健次『日輪の翼』を彷彿させる。紀州の奥深くにある集落を追われた青年が、同じ集落の霊感の豊かな老婆たちをトラックに乗せて、熊野や伊勢、諏訪、恐山などの日本各地の霊場をめぐり、果ては皇居にたどり着くという話である。どこも日本の宗教における核心的な場所で、『日輪の翼』もやはり日本の在り方を問い直している、あるいは別の視点から日本の在り方を語り直そうとしているように感じる。
『姉の島』の場合も、天皇海山列や春の七草海山列といった場所を海図の中でめぐることで、同じことを試みているのではないかと思った。……というのが現在の所感である。
東畑開人『心はどこへ消えた?』
気鋭の臨床心理士によるエッセイ集である。もともとは2020年から2021年にかけて『週刊文春』で連載されていたもので、2021年に単行本化し、2025年(つまり去年)文庫化に至った。今回、自分が読んだのも文庫である。
印象深かったのは、東京のタクシー運転手は金絡みの話が面白く、沖縄のタクシー運転手は霊絡みの話が面白い、という持論を述べるくだりである。この話題は複数の節にまたがって続くのだが、その最後に「物語は傷跡である」というタイトルのエッセイが出てくる。そこでは、タクシー運転手が語る話の面白さの背後には、その街で暮らす人々の傷ついた記憶があるのだ、という旨の鋭い洞察が語られる。
友人や家族、あるいは会社の上司や同僚でも構わないのだが、凄惨で理不尽な体験をあっけらかんとした顔で語られて、笑い飛ばしてやるべきか、それとも同情を寄せるべきか、反応に迷った経験はないだろうか。
そうした日常で遭遇する心の問題について、ヒントをもらえるのがこの本だった。
小川洋子『妊娠カレンダー』&『そこに工場があるかぎり』
『妊娠カレンダー』は芥川賞を受賞した「妊娠カレンダー」を表題作とする短編集である。他に2編収録されており、今回はその中でも「夕暮れの給食室と雨のプール」について、ちょっとした感想を語りたい。
「夕暮れの給食室と雨のプール」には、主人公に対して、給食室に執着せずにはいられないということを告白する男が登場する。ここでいう給食室とは、小中学校に併設されている(校内にある)ものを指す。児童や生徒に対してじかに給食を提供するための部屋であり、自治体の給食センターで調理されたものを運び込むための部屋ではない。
(私の通っていた小中学校も後者のタイプで、前者のタイプの給食室がある学校には馴染みがない。同じく前者のタイプの学校に通ったことがないという人も多いであろうから、一つ注釈を入れておくことにした。)
給食室に執着せずにはいられない男は、主人公(=語り手)と交流を重ねていくうちに、祖父に一度だけチョコレート工場跡へと連れられたことがあり、そこで工場部品などにかすかに残った甘い香りを嗅いだことがあった、ということを語る。
次に、『そこに工場があるかぎり』というエッセイ集を読んだ。中には「お菓子と秘密。その魅惑的な世界」という題のエッセイがある。2016年7月に行われたグリコピア神戸への取材内容をもとに書かれたものである。
「お菓子と秘密。その魅惑的な世界」は、次のような段落から始まる。
子どもの頃、岡山駅のすぐ近くに、とある食品会社のお菓子工場があった。その塀沿いの道を歩く時は、いつでも決して平常心ではいられなかった。塀の向こう側で、一体何が行われているのか。体育館よりも広い床を一面に埋め尽くすクッキー生地。〔…〕一度落ちたら二度と這い上がってはこられないチョコレートの底なし沼……。私の頭の中には、色鮮やかな光景が次々浮かび上がってきた。バタバタと羽ばたく想像の翼の音が、聞こえてくるかのようだった。
〔…〕は中略を示す。
そして、当時のお菓子工場の香りについて、次のようなことを述べていた。
一つ不思議なのは、なぜかあまりいい匂いがしなかったことだ。確かに甘い香りではあるのだが、お菓子の袋を破った時に感じるうっとりする匂いとはどこか違っていた。もっと圧倒的で、アンバランスで、秘密めいていた。
どうやら作者本人も、あの男と同じような・しかし似て非なるような体験をしていたらしい。(正確には、作者である小川洋子本人の体験があの男の設定に反映されている、と書くべきなのだろうが、そう書くのはなにか無粋な気がしたので、こう書くことにした。)
こうした共通項を発見したからといって、小説の読み方が変わるわけではない。だが、つながりを見つけることは楽しい。私は鳥頭であるから、『妊娠カレンダー』と『そこに工場があるかぎり』を同時期に読んでいなければ、それらのエピソードを忘却してしまい、このつながりに気付くことはなかったであろう。
ともあれ、私はこの発見を嬉しく思ったのだった。
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