【ホルムズ海峡】第5回 海峡が閉ざされると、誰がいくら支払うのか
ホルムズ海峡が閉ざされた場合、「1日に約3,000億円の石油が通れなくなる」と説明されることが多い。
しかし、それだけでは経済損失を正しく表せない。
通れない原油の一部は後日輸送できる。備蓄や別の産油国で代替できる場合もある。一方、供給不安によって世界中の原油、ガス、電気、輸送、肥料、食品が値上がりする。
本当に大きいのは、止まった貨物そのものより、世界全体に広がる価格上昇である。
1日閉ざされると約2,500億円が動けなくなる
戦争直前、ホルムズ海峡を通っていた石油類は約2,070万バレル/日だった。
サウジアラビアとUAEのパイプラインで迂回できる追加能力は、IEAの推計で約350万~550万バレル/日である。ただし、港湾、タンカー、油種の切り替えなどが必要で、直ちに最大能力を使えるとは限らない。IEA
単純計算では、海峡が全面的に閉鎖された場合、約1,520万~1,720万バレル/日が海上輸送できなくなる。
原油価格90ドル、1ドル160円とすると、

これにLNGを加える。
戦争前のLNGは約101億立方フィート/日で、価格を15ドル/MMBtuとすると、約251億円/日になる。LNGには実用的な大規模迂回ルートがない。
したがって、石油とLNGだけで、1日約2,440億~2,730億円分が輸送困難になる。
閉鎖期間別の金額
石油とLNGの輸送困難額を単純に期間別にすると、次のようになる。

これは「世界から消える金額」ではない。
後日輸送される貨物、備蓄で補われる分、別ルートへ移される分もある。正確には、閉鎖によって予定どおり販売・輸送できなくなる商品価値である。
最初に損をするのは産油国
海峡が閉ざされると、産油国は輸出代金を受け取れなくなる。
さらに港の貯蔵タンクが満杯になれば、油田の生産量を落とさなければならない。石油は水道の蛇口のように、自由に止めたり再開したりできるものではない。長期間停止すれば、設備点検や再稼働にも費用がかかる。
被害が特に大きいのは、代替ルートの乏しい国である。

全面閉鎖は、湾岸諸国への経済制裁と同じ効果を持つ。しかし、イラン自身も例外ではない。
カタールは6か月で約3兆8,000億円を失った
2026年2月末から8月までの6か月間で、カタールのLNG輸出は前年同期の509隻から18隻へ減少した。減少率は約96%である。
輸出収入の減少額は約240億ドル、1ドル160円なら約3兆8,400億円と推計されている。Reuters
カタールは海峡を封鎖していない。それでも、地理的にペルシャ湾の内側にあるため、イランと米国の対立の費用を負担している。
これがホルムズ海峡の特徴である。対立に直接参加していない国ほど、大きな経済的被害を受ける場合がある。
イランも自国の収入を失う
イランの原油輸出は、2025年の約170万バレル/日から、2026年8月には約29万4,000バレル/日まで減少したとの推計がある。Reuters
差は約140万バレル/日である。
90ドル、160円で計算すると、
140万バレル × 90ドル × 160円
=約202億円/日
1か月で約6,000億円の総輸出機会が失われる計算になる。
実際にはイラン産原油は国際価格より安く販売されるため、この金額より小さい。しかし、海峡を交渉カードに使うことで、イラン自身の財政も傷ついていることは間違いない。
海峡封鎖は「相手だけを苦しめる武器」ではない。自分も傷つく武器である。
産油国の一部は逆にもうかる
すべての産油国が損をするわけではない。
ホルムズ海峡を通らない次の産油国は、原油価格上昇の恩恵を受ける。
米国
カナダ
ブラジル
ガイアナ
ノルウェー
ロシア
カザフスタン
西アフリカ諸国
例えば、ホルムズ海峡の危機によって原油価格が70ドルから90ドルへ上昇すれば、海峡を通らない原油にも90ドルの市場価格が付く。
日量100万バレルを輸出する国なら、20ドル上昇による追加売上は、
100万バレル × 20ドル × 160円
=約32億円/日
年間では約1兆1,700億円になる。
海峡封鎖は湾岸産油国に損失を与える一方、その他の産油国には巨大な追加収入を与える。
世界の購入者は1日数千億円を余計に支払う
世界の石油消費を約1億バレル/日とする。
原油価格の上昇幅別に、購入者から産油国・石油会社側へ移る追加金額を計算すると、次のようになる。

戦争前の2月中旬、ブレント原油は70ドル台前半だった。3月には一時126ドルまで上昇し、2026年8月末には再び90ドル前後で推移している。
仮に平均30ドル上昇した状態が続けば、世界の購入者の負担増は1日約4,800億円となる。
この金額は、ホルムズ海峡を通れなくなった石油そのものの約2,000億円台を上回る。
ただし、この追加負担の一部は、原油を高く売れる産油国の追加収入になる。世界経済全体から完全に消える損失ではなく、輸入国から輸出国への所得移転である。
本当の純損失は、消費減少、工場停止、物流停滞、投資減少などによって発生する。
タンカー1隻の追加輸送費は約32億円
2026年8月、危険な海峡を通過するVLCCの追加輸送費は、原油1バレル当たり約10ドルとされている。Reuters
200万バレルを積むVLCCなら、
200万バレル × 10ドル × 160円
=約32億円
1航海で約32億円の追加輸送費である。
原油価格が90ドルなら積荷の価値は約288億円。追加輸送費だけで貨物価値の約11%になる。
最終的には、この費用が製油会社、ガソリンスタンド、航空会社、物流会社、消費者へ転嫁される。
戦争保険料は平時の12~24倍
2億5,000万ドルのタンカーを例にする。

2026年8月のペルシャ湾では、戦争危険保険料が船体価格の3~6%に達し、平時の約0.25%を大きく上回った。WSJ
保険料だけで、タンカー1隻当たり約11億~23億円の追加負担になる。
船会社が負担したように見えても、最終的には運賃に上乗せされる。運賃は石油価格、電気料金、航空運賃、宅配料金、商品の小売価格へと移っていく。
動けない貨物は約20兆円
2026年の混乱では、約1,200隻の貨物船と約30万個のコンテナが長期間滞留した。
動けなくなった貨物の価値は約1,250億ドル、約20兆円と推計されている。Financial Times
貨物が消失したわけではない。しかし次の費用が発生する。
船舶の滞船料
コンテナ保管料
冷蔵・冷凍貨物の廃棄
工場部品の納入遅れ
販売機会の喪失
船員の給与・食料・交代費用
港湾混雑
契約違反や損害賠償
運転資金の固定化
商品が100日遅れれば、商品価値が同じでも企業の資金繰りは悪化する。
海上物流では「届かないこと」だけでなく、「いつ届くか分からないこと」が大きなコストになる。
肥料価格は一時2倍以上になった
ホルムズ海峡を通っていた肥料関連貨物は、年間約1,600万トンだった。
尿素価格は、戦争前の1トン約400ドルから、2026年4月には850ドルを超えた。その後453ドル程度まで下がったが、一時的には2倍以上である。WTO
肥料価格の上昇は、農家だけの問題ではない。
農家の生産費が上がる
肥料使用量を減らす
収穫量が減る
穀物価格が上がる
畜産飼料が上がる
肉・乳製品・卵が値上がりする
エネルギー危機が食料危機へ変わるまでには時間差がある。
原油価格は翌日のガソリン市場に影響するが、肥料不足は数か月後の食料価格に現れる。そのため、問題が見えたときには手遅れになりやすい。
最も苦しいのは貧しい輸入国
豊かな国は、次の手段を使える。
戦略石油備蓄を放出する
高いLNGを買う
国民に補助金を出す
通貨安を金融政策で抑える
船舶保険を政府保証する
しかし、外貨準備が少ない国は同じことができない。
原油価格とドルが同時に上昇すれば、自国通貨建ての輸入価格はさらに上がる。政府が燃料補助金を維持すれば財政赤字が拡大し、補助金を削れば国民生活を直撃する。
UNCTADは、原油価格が50%上昇した場合、一部の脆弱国では負担がGDPの5%を超える可能性を示している。UNCTAD
海峡から遠いアフリカや南アジアの国民が、米国とイランの対立の費用を支払うことになる。
世界経済の成長率まで下がる
IMFは2026年4月、ホルムズ海峡の混乱について3つのシナリオを示した。

戦争前の2026年成長率予測は3.4%程度だった。
海峡問題が長期化すれば、世界経済の成長率は2%程度まで低下する可能性がある。これは世界的な景気後退の一歩手前である。
世界銀行は6月時点で、2026年の世界成長率を2.5%、原油価格を平均94ドル、世界インフレ率を4.0%と予測した。世界銀行
誰が支払い、誰が得るのか

ホルムズ海峡の閉鎖によって、費用が均等に分配されることはない。
海峡を閉ざしたイランだけが得をするわけでも、米国だけが支払うわけでもない。湾岸産油国、アジアの輸入国、世界の消費者、貧しい国、そして船員へと負担が広がる。
一方、海峡を通らない産油国、危険を引き受ける一部の船会社、価格差を利用できる商社は利益を得る。
危機とは、富が消えるだけではない。富が別の場所へ移る過程でもある。
次回は、サウジアラビアとUAEのパイプライン、紅海側の港、陸上輸送などを使えば、ホルムズ海峡をどこまで代替できるのか。その輸送能力、時間、建設費、追加物流費を検証する。
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