考察 魚眼レンズワーク𓆜💫とリンゴ反転ワーク🍎💫
カスタネダのドンファンシリーズを今年に入ってから読んでいる。面白いところ興味深いところが沢山あって全部紹介したいのだが、今回は以前記事にしたことがある関西ヌーソロジー研究会川瀬統心さん考案の魚眼レンズワーク、そしてヌーソロジーのリンゴ反転ワークにダイレクトに関わると思われるところがあったので、そこを紹介したい。

『なにかを直に見るのではなく、目を少し内側に寄せ、視界にとびこんでくるすべてのものを周辺部で捉える』
以前のぼくの記事、「知覚を物側に返す」にて紹介した魚眼レンズワークは統心さんはドンファンシリーズを参考にしたとのことだが(下記記事にて統心さんの魚眼レンズワークのブログ、動画ありです)、
それらを参考にぼくが取り組んだのは視野の周辺に意識を持っていくということだった。
いきなり視野の周辺を意識するのは難しかったので視野ぎりぎりのところに腕を広げて手を置いた。そして左目で左手を見る。右目で右手を見るという練習をした。
それを続けながら、手を置くこと無しでも周辺を見るようにしていた。それを続けたことで上記記事で書いたようにある日ある時、左手にある電柱がぐにゃりと曲がったのだ。
今、現在は左右の視野の端だけでなく半円を描くように住宅の並びも勤め先の休憩室も我が家のリビングも曲がるようになった。
しかしこれだけでは曲がるだけなのである。
空間の二重性、3次元空間と4次元空間があるとヌーソロジーの理論とともに理解はできるが、4次元空間に飛び込むことは出来ない。
この2つの《あいだ》を見つけねばならない。
というのは半田さんもドンファンも言ってることなのだ。
そして、ぼくはカスタネダが書き記したドンファンの言葉に数日前にたどり着いた。
『なにかを直に見るのではなく、目を少し内側に寄せ、視界にとびこんでくるすべてのものを周辺部で捉える』
ぼくは何かがひっかかった。
内側に目を寄せるたら対象的に見るだけではないかなぁ🤔
ハッ!
右と左の視線が交差する先だ・・・!
右の視線が左の視野空間の端を捉えて、左の視線の先が右の視線空間の端を捉えることになるんだ!
そして、その交差する点こそが、ものの中の入り口のあの原点0ではないか!?
そこで思い浮かんだのがヌーソロジーでお馴染みのこの図である。

林檎の手前の赤い線は言語空間(人間の内面、思形空間と図には記されている)、林檎の向こうは感性空間である。
この画面との接点に肉体的自己を置くと(林檎と同じ空間内にいる感覚は想像的自我となる)右から左奥に抜けるラインが右目の視線、左から右奥に抜けるラインが左目の視線となる。
ヌーソロジーには林檎反転ワークなるものがある。このライン通りに視線を動かし対象物が凸面、背景面が凹面になる。(最初は手をこの交差するラインのように動かし練習したりする。)
それによってぼくがわかったことは対象物をみる意識と背景面を見る意識は別でメビウス関係になっているということだった。(実際に球体の横に視線に沿ってメビウスの帯を縦に置くとよく分かる)
しつこく(笑)リンゴ反転ワーク🍎👀
— TERUTERU7 (@namasuteunoka) March 11, 2025
りんごの見える側が背景凹になるを理解するには、メビウスの帯びを使ってみると良いかも🧱∞🍎👀
りんごの見える側の外面がりんごの中心で凸と凹が反転しているように思える💫∞💫👀
赤い皮が内側にという事ではないよ。
物の向こう側は反転した世界って事かな https://t.co/QupUX4Y0c2
🧱🍎👀 🧱🍎👀 🧱🍎👀
∞ ∞ ∞

ぼくがこの林檎反転ワークを知って試したときは残念ながら背景が凹面に見えるということはなかった。その時は左目は左の方の空間のまま、右目は右の方の空間のまま見ていたからではないか?と、ドンファンの文章を読み、改めて半田さんの図とにらめっこをして思った。
今度は視線を交差するようにしてやってみよう。しかし少し試したが、なかなかこれも慣れが必要なようだ。
そして、もっと大事なのは、自己の位置と視線の交差点、林檎の図の真ん中の点を結ぶ線(図には記されていない)、それが半田さんが絶対不動の一本の線と読んだ4次元の入り口だということだ。
(凹面となった背景面とこの一本の線は同じもの💫)

しかし、ヌーソロジーのワーク的なものにしろ、一般的な瞑想にしろ、そういうのは苦手〜という方も多い。ワーク的なものは実効性がないというような投稿も目にしたことがある。

概念的3次元空間。
おそらくはそういう方々は上の図のこの空間、言葉に支配された空間で瞑想やワーク的な事を行なっているのではないかと思われる。
ほとんどの人はほぼほぼ頭の中で勝手にお喋りが行われている。もちろん、ぼくもである。
これをなんとかしないと、4次元空間には出られない。ドンファンは「見ること」が出来たらお喋りは止まってるという。
しかし、おしゃべりが止まらないと「見ること(4次元的な見る、観るだと思ってください)」は出来ない。なにかいい方法はないものか。行為に没頭出来ればよいのだけど。
今のところぼくが頭のお喋りを止める方法で思いついたのは、目を空けたまま目ん玉をぐるぐる回すということである。
これをしている間は確実にお喋りが止まっているが
難点は長時間出来ないこと。
しかし、視覚と言語が密接に関わってるということはわかると思う。
長くなってしまったが、そして分かりにくかったと思うけど、交差する視線の先と、その2つの視線の交差点。そこが大事ではないのか〜!ということを言いたかったのでした💫🧱💫💫🍎👀💫
そしてワークを行うということは身体で思考するということに繋がってくると思います🌟🌟🌟
(実際そう見えなかったとしても)
試したい方は是非どうぞ〜🍎🌈
ヘッダー画像は半田さんが大好きだったルネ・マグリットの「美しい世界」でした🍎💫


Ceci n'est pas une pommeのタイトル
これはりんごではないとの意である。
言葉が《りんご》にしているー🍎
参考note
