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言葉がなくなって

大きく空いた

境い目


そこは覗き込めない
今は情緒不安定過ぎて。
でも、
そこに気づいた人は自分以外にもいる。

さんがつ月のうさぎさんは顔がなくなったと言っていた。(それを聴いてぼくは顔を2、3個しか持ってないかもと思った。だから人に合わせられないんだなって)


その穴は

虚空に感じるけど

でも本当は持続空間。

星々の世界。

他者の

無数の死者の世界。


『無ではなく
そっちが有なんだよ』って
半田さんは言っておられた。

来る日も来る日も、朝、会社に着いて半田さんのTweetを見て、休憩時間も家に帰ってからも半田さんのTweetをチェクして頭を捻る。

休みの日はヌーソロジーサロンにライブ参加して
翌日は朝早くから、サロンの過去アーカイブを見る。この2年と9カ月はそんな日々だった。

半田さんが亡くなる前の土曜日のセルマンダラのあと半田さんのTweetはプッツリと途切れた。
いやTweetが途切れたのはその何日か前からだったか。

そして亡くなったあと、半田さんの言葉が新たに紡ぎ出されることは、当たり前のごとくなくなってしまった。

ぼくは朝会社に着いて不在を感じた。
誰の不在かと言えば勿論、半田さんの不在だ。
もっと言えば、半田さんの言葉の不在だ。

ぽっかりとぼくの心に穴が空いていた。
そこには無数の半田さんの言葉があって、ぼくはそこに毎日寄りかかっていた。

ぼくの環世界、自己という環世界に穴がぽっかり空いたのだ。

数日、その穴を考えていた。

そして気づいた。

あぁ、ここが入り口なんだな。

半田さんがしつこくしつこく言っていた持続空間の入り口。そこには境界の膜、アンフラマンスが張っていて、そこにダイブする事が西洋哲学者や心理学者が人間には到達不能と言っていたもの自体の入り口なんだ。

その穴に入るためには精神の強度が必要だ。

人はその穴を埋めるために、思いっきり悲しんだり泣いたり、葬式などの儀式をしたり、葬式で喧嘩したり、色々なことをする。見えないことにして、言葉で埋め尽くして無かったことにする。

それでないと精神が保てないからだ。

ぼくもその穴に飛び込むほどの力はまだない。
ひでさんが亡くなって半田さんが亡くなって、ここだよと、教えてくれているようだけど、もっと強くならないと飛び込めないな。そして必ず還ってくる強度も身に着けないと。
往還出来るようにならないと。

半田さんは生前、こんなTweetを残していた。

『今現在、奥行きは半透膜で覆われている。幅が塞いではいるものの、通気は継続している
然して、奥行きが開いたとき人々はその存在論的穴に対して、どのような態度を取るか。
穴の中に自分も入ってみたいと思うか、頑なに穴の存在を否定するのか。』

https://x.com/i/status/1226860901531152385


いずれ入る勇気が湧くのだろうか。

日々の生活に追われて穴の存在を忘れてしまうのだろうか。

モラトリアムかな。まるで就活から逃げて大学院へ進む大学生のようだ。

いざとなると
まだまだびくびくと
弱っちょろいぼくでした。

   💫  💫  💫  💫   💫


この穴は昔の人々には
もっと身近なものだったのだろうと思う。

ヌーソロジーで言う覚醒期から調整期に入り、人類はこの穴を穢れとしたりして隠蔽しはじめた。覚醒期は境い目がとても薄かったのか直通だったのだろうけど、調整期はまた違う方向性の力が働き出した。
それでも儀式や儀礼、祭りなどをするとこでハレの世界に行くことが出来たのだろうな。

調整期がもっと進んで近代自我を持ち始めると、殆どこの穴は見えなくなって忘れ去られてしまった。
それどころか、この穴の力はどんどん科学や資本主義経済を発展させていく欲望の源泉となっていった。

ヌーソロジーはこの穴にダイブしろという。
そして、そこから往還して思形なる魂の働きをひっくり返せという。
それが持続の、ぼくという自我を持続させてるものの正体だからだ。

半田さんは亡くなる一ヶ月前のサロン、ヌーソロジーの現在で来年は他者側の奥行きが開くと言っておられた。他者側の奥行きとは他者側の持続の世界。死の世界。そちらに人類全体の意識が向くと。

現実世界、物質世界で何が起きるかは知らないが、
慌てず騒がず、言葉の境目を意識せねばと思うのでした。

    💫  💫  💫  💫   💫


しかし、半田さん、ヌーソロジーが語ってることがあってるかどうかって、この穴のなかに入らないとわからないんだよね。そこで半田さんが語ってた空間構文を見られるのか。背中合わせの他者(アップクォークとダウンクォークの関係なのか、フェルミオンとボゾンの関係なのか分からないんだけど🤔)と出会えるのか。

そこに入らないと、わからないんだよね〜。

 💫   💫   💫   💫    💫


瞑想とか数学とかワークとか純粋思考とか哲学的な思考とかヌーソロジーではその穴を目指すために推奨されたりするものが幾つもあるけど、どれも向き不向きがあるし、それでその穴に入るって仙人とか天才的学者とか呪術師とかのレベルなんだよね。

でも、『死』は万人に平等に与えられて
自分が死ぬまでに他人の死を大概の人は見ることができる。
そしてその穴を見つめるかどうかは
万人に開かれた機会なのだなと思う次第でした。

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