思慮の乏しきを(遺訓追加1)
原文
事にあたり思慮の乏しきを憂ふことなかれ。
凡(すべてか?)思慮は平生、
黙座静思の際においてすべし。
有事の時に至り、
十に八九は履行せらるるものなり。
事にあたり率爾に思慮することは、
譬へば臥床夢寝の中、
奇策妙案を得るが如きも、明朝起床の時に至れば、
無用の妄想に類すること多し。
現代語訳
事件にあたっては、
思慮の足りなさを憂うことはない。
すべての思慮は平生、黙座静思の際においてすべきである。
有事の時にあたり、
八割から九割は履行できるものだ。
事件にあたり率爾に(突発的に)思慮することは、
例えば、寝て夢を見ている時、
奇策妙案を思いついても、
翌朝起床の時に至れば、
無用の妄想に分類されるようなことになることが多い。
思慮をすべきかどうかです。
西郷の答えは簡単です。
余計な思慮は必要ない、と。
ただし、坐禅するとか、平生に静かに自分に向き合うことは必然かもしれないと仄めかされています。
安心を得ることは難しいのか、
簡単なのか、少なくとも僕には簡単に答えは出せません。
有事の時には、
日頃の平生の思慮が十分あれば、
80〜90%は思いのままになると言うことです。
思いのほか、高い比率ですね。
日頃の訓練で、
融通無碍になれるということでしょう。
逆にいえば、
日頃の心がけなく、
その場だけで対応しょうとするのは非であるに近いということでしょう。
それなら、考えなしで動いた方がよいと。
事件に当たって、すぐに思いつくことは、
夢の中で名案を見るようなもので、
頼りにならないと言います。
そんなことが多い、と。
安心とか、動きながら対応した方が良いとか、
損得勘定をするな、とか、
考えないことで逆に考えがよくなるとか、
そんな感じであるのでしょう。
人間は自分の意思で何かしようとするよりも、
知識に頼るよりも、
その現場でその時に判断することがベストであることが少なくないと、
そんな意味にもなるようです。
事件を早く処理しようとして、
逆のよくない判断をして、
命取りになるとか、
聞かない話しでもないですね。
逆に静かに瞑想をするのを習慣とすることを良いと言っています。
マインドフルネスの類いでしょうか。
まあ、人間の性質はいつの時代も変わりません。
自分を冷静でいることに慣れさせることは、
非常の時にも役に立つということになります。
日頃の心がけが重要であり、
拙速な差配は無駄であり、
でも、その場で真摯に対応すへば、
理にかなうことが多いという意味になるでしょう。
非常事態を怖がらないことが大事なのかもしれません。
終わり。
いいなと思ったら応援しよう!
もしよければサポートお願いします。
頂きましたサポートはクリエイターとしての活動費用に用立てます。さらにクオリティの高い記事を書けるようサポートよろしくお願い致します。