【NISAやってみた】東芝の失敗が産んだ「記憶の会社」が、AIの世界を支えている件
きっかけはニュースの一行
「キオクシアの株価がすごいことになっている」という話を見かけて、AIに投げてみました。
(投資をやっている身としては、こういうニュースを素通りするのが惜しくなってきた今日このごろです)
結論から言うと、単なる株価の話を入り口にしたら、日本の産業史と文明論みたいなところまで辿り着いてしまいました。AIとの会話ってそういうことがよくあります。
まず「すごいこと」の中身から
2024年12月に東証プライムへ上場したキオクシアホールディングス(証券コード:285A)。
公募価格は1,455円だったのですが、初値は1,440円と公募割れという冴えないスタートでした。それが2026年5月時点では5万円台を突破。上場からわずか1年半で約30倍超という、テンバガー(10倍)どころではない値動きを記録しています。
(「公募割れからの30倍」って、投資家あるある的な「あのとき買っておけば」案件の最上位クラスですね……)
2026年5月18日には、第1四半期の営業利益見通しが前年同期比約29倍という数字を出して再びストップ高。JPモルガン証券が目標株価を3万8,000円から8万円に引き上げるなど、アナリストも相次いで上方修正しています。
そもそもキオクシアって何の会社?
「キオクシア」という社名は、日本語の「記憶(Kioku)」とギリシャ語で「価値」を意味する「axia(アクシア)」を組み合わせたもの。社内公募で選ばれた名前で、キャッチコピーは「『記憶』で世界をおもしろくする」です。
事業内容はひとことで言うとNAND型フラッシュメモリの製造・販売。スマートフォンのストレージ、USBメモリ、PCのSSDなどに入っている「電源を切っても記憶が消えないメモリ」を作っている会社で、世界シェアは約20%、サムスン電子に次ぐ2位前後の位置にいます。従業員数は連結で約15,000名。
今なぜ爆発的に注目されているかというと、AIデータセンター向けSSDの需要が急拡大しているからです。AIの学習・推論には膨大なデータ処理が必要で、そのデータを高速に読み書きするNANDへの需要が一気に高まっています。
ここからが面白い。この会社の「出自」
キオクシアはもともと東芝のメモリ事業部門でした。
なぜ切り離されたのか。2016年末、東芝グループの米国原発会社ウェスチングハウスで巨額損失が発生し、東芝は約1兆円の債務超過に陥ります。さらに2015年に発覚した不正会計問題(7年間で2,000億円超の利益かさ上げ)が重なり、東芝に残された選択肢は、優良事業であるメモリ部門を売却することしかありませんでした。
こうして2017年に「東芝メモリ」として分社化され、ベインキャピタルを中心とする企業連合に約2兆4,000億円で売却。2019年に「キオクシア」へ社名変更し、2024年に上場を果たしました。
「東芝の失敗の尻拭いのために切り売りされた部門」が、今や日立製作所の時価総額を上回るまでになったわけです。
(歴史ってこういう皮肉が好きですよね)
日本型大企業病の構造
ここでAIとの会話が面白い方向に展開しました。
キオクシアの話は、東芝固有の問題というより、日本型コングロマリットの構造的な問題が極端なかたちで噴出したものだという視点です。
「選択と集中」という言葉は2000年代からずっと言われてきたのに、なぜ大企業はそれができないのか。答えのひとつは、事業部が社内政治の版図になってしまうからです。半導体部門がいくら収益を上げても、その果実は全体の赤字補填に使われる。独立した意思決定ができない。
東芝の不正会計も、「悪い数字を上に報告できない」という組織文化の産物で、「なんとか数字を作れ」という指示が現場に降りてくる構造の必然的な帰結でした。
ソニーは自ら進んで分社化・選択と集中を断行し、今や時価総額でパナソニックの何倍にもなっています。シャープは鴻海に買収されて外圧で強制された。そしてキオクシアは、**外資ファンドによる「強制的な選択と集中」**によって、皮肉にも本来の実力を発揮できる体制になった。
日本企業が自力ではできなかったことを、よそ者がやってのけた——という構図でもあります。
そして、ここに辿り着いた
会話の最後に、こんな視点が生まれました。
「原子力の失敗が、AIの礎を産んだ」
原子力というのは、冷戦期の国家と大企業が一体になって推進してきた「巨大な中央集権的エネルギー」の象徴です。ウェスチングハウスの失敗も、その延長線上にある。
一方のAIは、分散した無数のデータセンターが支える「非中央集権的な知性の拡張」とも言えます。その転換点で、東芝の失敗から生まれたキオクシアのNANDが縁の下を支えているというのは、偶然とは思えない必然性があります。
さらに言うと、原子力もAIも「人間の制御能力を超えるかもしれない」という恐怖を常に帯びているという共通点があります。核の暴走とAIの暴走。東芝が原子力の「制御できないリスク」で自滅して、そこから生まれた技術がAIという「制御できないかもしれないもの」を支えている——という構図は、人類がずっと繰り返している「火を手に入れる物語」のバリエーションとも読めます。
「記憶(キオクシア)で世界をおもしろくする」というあの社名のコピーが、この文脈で読むと急に深みを帯びてくる気がするのは、気のせいではないと思います。

