日常から、「昨日」が消えたのかもしれません
学生の頃、朝の教室はうるさかった。
ドアを開けると、もう昨日の話が始まっている。誰かが昨日のテレビのモノマネをして、何人かが笑っている。私はよく分かっていないのに、なんとなく笑っておく。
「昨日、あれ見た?」
この一言で、会話が始まった。
特別仲が良かったわけではない。その番組が好きだったわけでもない。
それだけで話せた。
今思えば、番組の話がしたかったわけでもない気がする。話しかける口実として、ちょうどよかった。
⸻
最近、あの言葉をあまり聞かない。
気になって、子どもに聞いてみた。
「友達と『昨日あのテレビ見た?』って話すことある?」
「全然ない」
即答だった。
やっぱりか、と思った。今は見るものがバラバラだ。だから共通の話題がなくなったのだ、と。
ところが、続けて聞くと、こう言う。
「『あのTikTok知ってる?』とかはある」
あ、と思った。
なくなっていなかった。
共通の話題は、ちゃんとある。私が探していた場所になかっただけだった。
⸻
職場でも似たことがある。
若手に「あれ見た?」と聞くと、「見てないです」と返ってくる。
昔なら、その場ではそこで終わっていた。
でも今は終わらない。その場でスマホを出して、調べ始める。
前日のドラマでも、あらすじや、話題になった場面くらいはすぐ出てくる。「あー、これですか」と言って、会話が続いていく。
見ていなくても、追いつける。
素直に、便利だと思う。
⸻
たぶん、順番が変わったのだ。
昔は、同じものを見て、翌日それを話した。
今は、話題になって、知らなければ調べて、その場で共有する。
昔は「え、見てないの?」があった。
その時間に家でテレビを見られない子はいたし、そもそも興味のない子もいた。「みんな見てた」の「みんな」の外に、必ず誰かがいた。
「みんな見ている」に合わせなくてもいい。
その点は、今のほうが気楽だと思う。
少数派の好きなものでも、探せば仲間が見つかる。
⸻
ただ、言葉が少し違うことに気づいた。
昔は「昨日、見た?」だった。
今は「知ってる?」だ。
「昨日、見た?」には、時間が入っている。
「知ってる?」には、それがない。
⸻
ここまで考えて、ふと思った。
これは本当に、テレビの話なんだろうか。
学生の頃は、毎日ほとんど同じ人間が、同じ部屋に集まっていた。夜は別々の家にいたのに、朝になれば、また同じ場所にいる。
つまり、「昨日あれ見た?」を投げる相手が、最初からそこにいた。
大人になってから、あの教室のような場所はほとんどない。
もちろん、全部それで説明できるとも思わない。見るものは実際に増えたし、生活の形も変わった。
時代が変わったのか、私の場所が変わったのか。
たぶん、両方だ。
⸻
そこまで考えたところで、自分に返ってきた。
最近、私は誰かに「これ見た?」と気軽に聞いているだろうか。
「この人に通じるかな」「興味ないかもしれないな」と考えてから、口を開いていないか。
外れるのが、少し面倒になっていないか。
あの頃の私は、何も考えずに聞いていた。
⸻
もうひとつ、思い出したことがある。
テレビで映画が流れていると、つい見てしまう。
なのに、録画すると見ない。
いつでも見られると思うと、いつまでも見ない。
作品はあとから見られる。
でも、その時間までは、あとから見られない。
⸻
たぶん、消えたのは共通の話題ではない。
「昨日」だ。
話しかける前から、すでに共有されていた時間。
あなたも昨日の夜、だいたい同じ頃、同じものを見ていたよね、という前提。
それが、少し減ったのかもしれない。
⸻
子どもは今日も、友達と何かを共有している。
話したい気持ちは、消えていない。
今度、聞いてみようと思う。
「その動画、いつ見たの?」
たぶん、変な質問だと言われる。
このエッセイは、白湯さんから「エッセイしりとり」のバトンをいただいて書きました。
白湯さんの記事
「エッセイしりとり」は、マイキーさんから始まった企画です。
マイキーさんの企画記事
バトンは「日」から始まりました。
そして、このタイトルの最後は——「ん」。
……ということで、ここでしりとり終了です(笑)
せっかくなので、審査員希望します🙋♂️
マイキーさん、よろしくお願いします!
#エッセイ #エッセイしりとり #テレビ #TikTok #日常 #雑談 #時間 #共通体験
