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私のおばあちゃんは樺太生まれ

おばあちゃんの話をしたい。

まず断っておきたいのが、これを読んで何か感じてもらおうなんてそんな大層なことは考えていないし、別にこの先に怒涛の展開も待ってはいない。


ただ、おばあちゃんが樺太にいた証として、書き記しておきたいという私のエゴだ。

私のおばあちゃんは樺太生まれだ。

樺太とは別名サハリンとも呼ばれており、かつては日本の領土だった場所もあるが、現在はロシアの領土である。

昭和8年、10人姉妹の3女として、祖母は樺太に生まれた。

在住時は木材を切り出す仕事を30人ほど雇ってやっている家と言っていたが、現在で言う会社みたいなものだったのだろう。


祖母の住んでいるところは山が近かったそうだ。

秋になるとハスカップなど色々な木の実やフルーツがなっているのを、山に一人で入ってはよく食べていたという。

熊も出たという山に小さい娘を一人で行かせるなんて、今考えたら肝も冷えるが、昔は当然それが普通だったのだろう。

「あの頃は森に食べるものがたくさんあったから、人里には降りてこなかったのかもねぇ」

なんてしみじみ言っていた。
そんな自然豊かな樺太で、祖母はすくすくと過ごした。

転機となったのは、祖母が小学3年生になった頃だった。


最初は戦車だったらしい。
戦車で攻めこまれ、軍人が来て、最後に一般のロシア人
そんな順で占領されたようだ。

戦車が来たときは、それはもう怖かったらしい。
そりゃあそうだ。
日常に当然戦車が現れたんだから。

学校もいつの間にかロシアの子供がたくさんいたらしいが、祖母曰く

「同じ算数やってるな〜」

と言う感じだったらしい。
結構能天気だなと思った。
そう、これらの話を、祖母は結構能天気に話すのである。

樺太の話をするときに祖母が決まって言うセリフがある。

「ロシア人は特に悪さをしてこなかったんだよね」

というのだ。
実際には、樺太では惨い事件も起きている。
たまたま祖母の周りでそう言ったことが起きなかっただけだとは思う。


印象的だった話がある。

土足で家に入ってこられて、手真似をしながら「チャチャチャチャ」と言い、時計など金品を要求してきたと話だ。

なんでもロシア人は時計をよく要求してくるのだそう。
はたから聞いたら十分怖いが、祖母はちょっと他人事な感じで語るだけ。


「若い女は攫われる」

そう言われていたから、姉たちは「イラクサ」という背の高いトゲトゲした草の中に身を隠していたらしい。

実際にネットをみると、おぞましいことも書かれている。
幸い祖母たちは被害に遭わずに済んだそうだ。

これら全部を、世間話をするトーンで話すのだ。
惨いことがあったのは事実だが、きっと祖母は、占領の中の日常を過ごしていたのだろう。


そんな祖母でも、北海道へ引き上げてくるときは大変だったようだ。

貨物列車や船を使ってぎゅうぎゅうになりながら引き上げて来たという。

「家からトラックの荷台に乗って走っているとき、飼っていた馬が別れだと悟ったのか追いかけて来た」

これを見て「可哀想で可哀想で」と、泣いてしまったという。
樺太の話をしている時、唯一祖母が感情を出した話がこれだった。


大人になってから一回、樺太を見に行ったという。
樺太にはもう入れないので、網走の岬まで見に行ったそうだ。

多分、死ぬまでに行きたいんだと思う。樺太に。

祖母は現在88歳。きっとそれは叶わないと思う。

おばあちゃんは、北方領土問題にも詳しかった。
きっと同じ気持ちでいるのだろう。


ちなみに、樺太占領の話より大変そうだったのが、引き上げてからの話だった。
それはまた、いつかできればと思う。


これが、樺太のことを聞いた全てだ。
おそらく他の戦争経験者よりも重い話をしていないし、本人もロシア人にどうこう思っているわけではない。

ドラマティックな内容なわけではないが、なぜ私がこの話を書きたかったのかというと

樺太出身の日本人が確実に減少しているからだ。

だから、どんな些細な日常でも残しておきたかった。
樺太にいた日本人は、確かにいたのだと。

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