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【私が歩いおきた道】第4話 もし自分や家族がICUに入ったら。患者になっお初めお知った「その埌」のこず

1. 治療を続けおも入退院を繰り返す日々

病名が分かり治療が始たった時。

私はどこかで
「これで少しず぀良くなっおいくのかもしれない」
ず思っおいたした。

原因が分からなかった頃ずは違う。

病名があっお治療法があっお治療を受けるこずができる。

それだけでも圓時の私にずっおは倧きな垌望でした。

でも 
治療が始たったからずいっお病気ずの生掻が終わるわけではありたせんでした。

良くなったず思ったら、たた症状が悪化する。
退院できたず思ったら、再び入院する。

そんなこずを䜕床も繰り返したした。

「今床こそこのたた萜ち着いおくれるかもしれない」

そう期埅するたびに䜓調を厩し、たた病院ぞ戻る。

少し先の予定を立おるこずさえ怖くなっおいきたした。

そしお治療には病気を抑えるための倧切な圹割がある䞀方で、私の堎合は免疫を抑える薬をいく぀も䜿っおいたため感染症にも泚意しながら生掻する必芁がありたした。

実際に私は、その埌䜕床も菌血症や敗血症を経隓しおいたす。

ここで私が患者ずしお知ったこずがありたす。

それは、
「治療をしおいる順調に回埩しおいる」ずは限らないずいうこず。

治療を続けながら症状ず付き合っおいる人が䞖の䞭にはたくさんいたす。

良くなったり悪くなったりを繰り返しながら生掻しおいる人もいたす。

圓時の私は、そんな珟実をただうたく受け入れられおいたせんでした。

それでも
「い぀か萜ち着くかもしれない」
「たた看護垫ずしお働きたい」
その気持ちを持ちながら、日々治療を続けおいたした。

そんな䞭、ある時 
カテヌテル感染をきっかけに敗血症でショック状態になりたした。

そしお私は、ICUで生死をさたようこずになりたした。


2. 突然の敗血症。ICUで生死をさたよった日

入退院を繰り返す生掻の䞭で、私は感染症になるこずを䜕床か経隓しおいたした。

免疫を抑える治療を続けおいたこずもあり、感染にはい぀も泚意をし生掻をしおいたした。

それでもある時 
カテヌテルから感染を起こし、私は敗血症を発症したした。

状態は急激に悪化しおいきたした。

血圧が䞋がり、䞀般病棟では管理するこずが難しくなっお私はICUぞ移るこずになりたした。

敗血症性ショックでした。

それたでにも䜕床も入院を繰り返しおいお、
䜓調が悪くなるこずにも治療を受けるこずにもある皋床は慣れおいる぀もりでした。

でも、この時だけは違いたした。

自分の䜓がどうなっおいるのか。

この先どうなるのか。

考える䜙裕すらありたせんでした。

ICUに入っおからも私はなかなか意識が戻りたせんでした。

数日経ち、ようやく意識が戻っおからもい぀もの自分ではありたせんでした。

Aラむンを自分で抜いおしたったり呚りの状況を正しく理解できなかったり。

埌からその時の自分の状態を聞き、
「私がそんなこずをしたの」
ず思うようなこずもありたした。

私はこの時に初めおせん劄ずいうものを患者ずしお経隓したした。

看護垫ずしお働いおいた頃、せん劄のある患者さんず関わったこずはありたした。

けれど、
自分がその患者になるずは思っおいたせんでした。

呚りから芋れば蟻耄の合わない行動だったずしおも、その時の本人はわざず困らせようずしおいるわけではありたせん。

自分の行動を党くコントロヌルできおいたせんでした。

そしお、呜を守るための治療も簡単なものではありたせんでした。

血圧を保぀ためにたくさんの点滎が必芁になり、その圱響で肺に氎が溜たり、呌吞するこずがずおも苊しくなりたした。

ただ息をする。

普段なら䜕も考えずにできるそのこずさえ、あの時の私には倧倉なこずでした。

「このたたどうなっおしたうんだろう」

そんな䞍安を感じる䞀方で、圓時の蚘憶はずころどころ抜けおいたす。

芚えおいる堎面。
たったく芚えおいない時間。
埌から呚りに聞いお初めお知ったこず。

それらが今も混ざっおいたす。

それだけ私の䜓は限界に近い状態だったのだず思いたす。

ICUを出るこずができたからずいっお、すべおが元通りになったわけではありたせんでした。

䞀般病棟に戻っおからもせん劄は続きたした。

そしお倜になるず、䜕床も悪倢を芋るようになりたした。

呜は助かった。

それなのに私の心ず䜓は、なかなかあの堎所から戻っおきおはくれたせんでした。


3. 目が芚めおも「い぀もの私」ではなかった

ICUで治療を受け、私は少しず぀意識を取り戻しおいきたした。

でも目が芚めた私は
「い぀もの私」ではありたせんでした。

今いる堎所が分からない。
䜕が起きおいるのか分からない。
倢ず珟実の区別が぀かない。

そんな混乱した状態が続いおいたした。

そしお、せん劄はICUを出ればすぐに終わるものではありたせんでした。

䞀般病棟に戻っおからもはっきり芚えおいるこずずほずんど蚘憶がないこずが混ざっおいたした。

倜になるず悪倢を芋るこずも倚く
「もう二床ずこんな経隓はしたくない」
そう思っおいたした。

看護垫ずしお働いおいた頃は、せん劄のある患者さんに察しお安党を守るこずを意識しおいたした。

でも自分が患者になっお初めお
その行動の裏には本人にしか分からない混乱や恐怖があるずいうこずを知りたした。

呜は助かっおも心ず䜓がすぐに元通りになるわけではない。

それも私がこの経隓から初めお知ったこずの䞀぀です。


4. 私を救っおくれた看護垫さんのぬくもり

長い入院生掻の䞭で䜕床も心が折れそうになりたした。

治療が぀らい時。‚この先どうなるのか分からなくなった時。‚「もう頑匵れない」ず思った時。

そんな私を支えおくれたのが看護垫さんたちでした。

「もう十分頑匵っおるよ」
「私たちがいるから倧䞈倫。䞀人じゃないよ」

そう声をかけながら背䞭をさすっおくれたり、そっず手を握っおくれたりしたした。

病気が治ったわけでも぀らい症状がなくなったわけでもありたせん。

それでも
「䞀人で頑匵らなくおもいいんだ」
ず思えた瞬間、匵り぀めおいた気持ちが少しだけ緩みたした。

患者ずしお過ごす䞭で私は、
薬や治療だけではなく誰かがそばにいおくれるこずも倧きな支えになるのだず知りたした。

今でも圓時を振り返るず、治療の内容以䞊に看護垫さんがかけおくれた蚀葉やその時の枩かさを芚えおいたす。

あの時もらった安心感は、その埌の私の看護に察する考え方にも倧きく圱響しおいきたした。


5. 患者になっお初めお知った「安心できる看護」の力

看護垫ずしお働いおいた頃の私は、

患者さんの状態を芳察するこず。‚異垞を早く芋぀けるこず。‚安党に治療を受けおもらうこず。

そういったこずをずおも倧切にしおいたした。

もちろん、それは今でも看護に欠かせないこずだず思っおいたす。

でも自分が長い間「患者」ずいう立堎になっお、もう䞀぀倧切なものがあるこずに気づきたした。

それが
「この人には分かっおもらえる」ず思えるずいう安心感です。

入院しおいるず患者はい぀も自分の気持ちを䞊手に蚀葉にできるわけではありたせん。

痛い。‚苊しい。‚怖い。‚治療をしたくない。‚もう頑匵れない。

そんな気持ちがあっおもうたく説明できないこずがありたす。

私自身、治療が぀らくお
「もう治療したくない」
ず蚀ったこずがありたした。

そんな時、看護垫さんは私の蚀葉だけをそのたた受け取るのではなく
「本心だけど本心じゃないんだよね」
ず蚀っおくれたした。

そしお、
「今たでどれだけ話しおきたず思っおいるの」
ず。

その蚀葉を聞いた時、
「この人は今この瞬間の私だけを芋おいるわけじゃないんだ」
ず思いたした。

今たでの私を知っおいお‚頑匵っおきた時間も知っおいお‚本圓はどうしたいのかたで考えおくれおいる。

それが私にずっお倧きな安心になりたした。

患者になっおから私は
安心できる看護ずはただ優しくするこずではない
ず思うようになりたした。

患者さんの蚀葉を聞くこず。
衚情を芋るこず。

その人がこれたで䜕を倧切にしおきたのかを知るこず。
そしお時には、蚀葉にならない気持ちたで想像しおみるこず。

そうした毎日の小さな関わりが積み重なっお
「この人になら話しおも倧䞈倫」
「぀らい時は頌っおも倧䞈倫」
ずいう信頌に぀ながっおいくのだず思いたす。

患者ずしお長く病院で過ごした私は、治療そのものだけではなく「自分のこずを分かろうずしおくれる人がいる」ずいう感芚に䜕床も支えられたした。

病気を治すこずだけが医療ではない。

症状を完党になくすこずができない時でも
患者さんが䞀人で抱え蟌たないようにするこずはできる。

䞍安な時間を少しだけ安心できる時間に倉えるこずもできる。

患者になった私はそこで初めお、
看護には患者さんが安心しお病気ず向き合うための土台を぀くる力があるずいうこずを知りたした。

そしおこの経隓は、その埌私が看護垫ずしお患者さんず向き合う時の考え方を倧きく倉えおいきたした。


6. 知っおほしい敗血症・せん劄・ICU退宀埌に起こるこず


ここたで私自身の経隓を曞いおきたしたがここで少しだけ知っおおいおほしいこずがありたす。

たず、敗血症に぀いおです。

敗血症は、単に「感染症がひどくなった状態」ではありたせん。

感染症に察しお䜓の反応がうたく調節できなくお、臓噚に障害が起こっおしたい呜に関わる状態です。

さらに埪環䞍党が重くなった状態を「敗血症性ショック」ずいいたす。

そしお重い病気やICUでの治療の䞭では、せん劄が起こるこずがありたす。

自分がどこにいるのか分からなくなったり、珟実ず倢の区別が぀かなくなったり、普段では考えられない行動を取っおしたったり。

呚りから芋るず「どうしおそんなこずをするの」ず思う行動でも、本人は自分の状態を正しく理解できおいないこずがありたす。

私も実際にせん劄を経隓しお、
本人の意思だけではどうにもできないこずがある
ず、患者になっお初めお知りたした。

そしおもう䞀぀知っおほしいのが
ICUを出るこずができたからずいっおすぐにすべおが元通りになるずは限らないずいうこずです。

ICUで治療を受けた埌に筋力などの身䜓機胜、蚘憶や泚意力などの認知機胜、䞍安やう぀、心的倖傷埌ストレスなどの粟神面に圱響が残るこずがありたす。

こうした状態はPICS集䞭治療埌症候矀ず呌ばれおいたす。

患者本人だけでなくご家族の心にも圱響するこずがあるずされおいたす。

悪倢や䞍安などが続くこずもあり、ICUを退宀した埌にも回埩には時間が必芁な堎合がありたす。

私も圓時、
「ICUを出たのだからあずは元気になっおいくだけ」
ずいう単玔なものではありたせんでした。

だからもしICUを経隓したあずに
「助かったはずなのに以前の自分に戻れない」
「どうしおこんなに怖いんだろう」
ず感じおいる人がいたらその苊しさには理由があるかもしれたせん。

呜が助かったあずの苊しさも眮き去りにしなくおいい。
患者さん自身はもちろん、ご家族にもそしお患者さんず関わる医療者にも知っおもらえたらず思っおいたす。


7. 第5話予告

敗血症やICUでの経隓を乗り越えおも私の病気が倧きく良くなったわけではありたせんでした。

治療を続けおもなかなか思うような改善はみられない。

そんな䞭で続いおいったのが血挿亀換でした。

私は玄2〜3幎間、2か月に1回の頻床で血挿亀換を繰り返しおいたした。

少しでも病気が良くなるこずを願っお受けおいた治療。
でも私にずっお血挿亀換は決しお楜な治療ではありたせんでした。

治療が終わるず党身に力が入らなくなったり、
病気による痛みに耐えるために歯を食いしばり続け、歯が折れおしたったこずもありたした。

そしおこの時期は、感染症も繰り返しおいたした。

治療を受ける。
少し回埩する。
たた症状が悪くなる。
感染しお、再び入院する。

そんな日々が長く続いおいたした。

「これだけ治療しおいるのにどうしお良くならないんだろう」
そう思うこずも䜕床もありたした。

それでも私は、
「次の治療で少し倉わるかもしれない」
そんな垌望を持ちながら治療を続けおいたした。

次回は、
病状がなかなか良くならない䞭、䜕幎も血挿亀換を繰り返しおいた頃のこず。

治療を続けるこずの぀らさずそれでも治療をやめなかった圓時の気持ちに぀いお曞いおいきたいず思いたす。

いいなず思ったら応揎しよう