「どうする家康」第38回「唐入り」 秀吉にとり憑く狐は何匹いる? ~秀吉の老境の姿が家康の晩年を占う~
はじめに
今回の物語の軸は、朝鮮出兵をとおして栄華を極めたはずの秀吉が正気と狂気の狭間を行き来する、その老醜と暴走でした。
急激な老け込みを示す芝居とメイクによって、それまでの底知れない才覚が削ぎ落とされ、実は虚ろな秀吉の本性が際立つという構成が効いていました。勿論、これはムロツヨシさんが、笑っていても眼はガラス玉のように空虚という芝居を積み重ねてきたからこそです。ブレない人物造形で栄枯盛衰の矛盾をその身一つに抱え込む秀吉が印象に残りますね。
そんな秀吉とは対照的に、中身の充実を見せるのが家康です。彼は秀吉を従順に補佐しながらも、肝心なところでは命を賭して諫める家康は、その冷静な観察眼と鮮やかな振る舞いに目指すべき「戦無き世」への固い信念が見えます。この家康の充実は、前回の関東八州への移封で、家臣団との絆を改めて確かめ合ったこと、そして江戸の町づくりという戦とは真逆の生産的な活動がもたらしたのでしょう。
つまり家康は、三河家臣団の解体という危機すらも力に換えてしまったことが示されています。これができたのは、家康が家臣や女性たちや領民と真摯に向き合うことで少しずつ関係性を深めてきたからです。
そしてもう一点見逃せないのが、老いさばらえる秀吉と入れ替わるように輝き始めた茶々です。彼女は朝鮮出兵の裏側で、計算高さと奔放さの入り交じった言動で暗躍し、人の心を弄びます。
竹を割ったような性格と一途な思いがいじらしかったお市とは真逆の妖婦のごとき危うい振る舞いに振り切る北川景子さんの芝居が魅力的ですね。
このように三者三様が印象的に描かれた今回、家康と秀吉の対比はわかりやすい一方で、茶々の暗躍が秀吉の老醜と入れ替わって比重を増していく様は、秀吉は既に家康の真の敵ではなくなっていることを示しています。それでは、海道一の弓取りとして他大名からも一目を置かれるほどになった家康にとって、この名護屋城でのやり取りはどんな意味を持ってくるのでしょうか。
そこで今回は、秀吉の老いと暴走から見える孤独、そして茶々の扇動的な言動の裏にある心の闇から、家康が真の天下人になるために対峙すべきものは何かを考えてみましょう。
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「どうする家康」考察集
大河ドラマ「どうする家康」第7~最終回+総集編の考察です。おまけのコラムも3本入っています。
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