「どうする家康」第28回「本能寺の変」 家康が「信長」を食って成長するまで
はじめに
第28回は「どうする家康」の表舞台を牽引し、家康を引きずり回し続けた織田信長の退場劇でした。前回の家康との対決で信長が見せた、天下人になることへの業の深さに打ちひしがれた姿、それでも前に進まざるを得ない信念と怯え、そして全てを家康に委ねようとする静謐さ。本作の信長の凄絶な想いが、演者の岡田准一くんと受け手の家康役、松本潤くんの二人によって、余すことなく引き出されましたね。
それが、あればこそ、致命傷を負ってなお血刀を振るい続ける圧倒的な戦闘力(槍の一突きで三人串刺しとかどこの「戦国無双」ですかw)、家康をひたすら求めて練り歩く憐れさが、より引き立ちました。炎に消え、直接、死が描かれなかったことも、彼の峻烈な生きざまを印象付けたのではないでしょうか。裏を返せば、信長のドラマは前回の時点で既にほぼ終わっていて、肝心の本能寺の変は、彼に唯一残されていた家康への想いの顛末だけを描いた話だったと言えます。それだけに彼の退場は、侘しく、虚しく、哀しい余韻が残りました。
そして、そんな信長の退場は、家康にとっては何度目かの少年期~青年期(既に壮年ですが)の終焉です。思えば、「どうする家康」は、家康にとっては喪失の物語でもありました。一度目は自分の育ての親、今川義元の戦死(第1回)。二度目は氏真という兄とも呼ぶべき存在との決別(第12回)。三度目は最愛の幼馴染の妻との死別(第25回)、そして、今回はもう一人の兄とも呼ぶべき存在の誅殺です。
信長の死によって、幼少期からの家康という人間、その生き方、人となりの核を作ってくれた同格以上の人物たちが、全て歴史の表舞台から消えていきます(氏真は生きていますけど)。そして、いよいよ、彼一人だけで誰かの背中を追うことなく、この先を進んでいかなければならなくなるのです。
そう考えていくと、実は第28回「本能寺の変」とは、表向きは家康と信長の悲劇的なブロマンスの顛末を描きながら、それ以上に信長暗殺を決意したはずの家康が、前回の信長の吐露をどう受け止めるのか、これまでの多くの出来事の何がそこに作用するのか、そして最終的に何を決断するのか、そこに大きな比重があると言えるのではないでしょうか。やはり「どうする家康」は、あくまで徳川家康の物語なのです。
そこで今回は、信長暗殺計画を前に、信長の想いをどう受け止めていくのか、その決断を、ようやく訪れた二人の心の響き合いも考慮しながら考えてみましょう。
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「どうする家康」考察集
大河ドラマ「どうする家康」第7~最終回+総集編の考察です。おまけのコラムも3本入っています。
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