「どうする家康」第31回「史上最大の決戦」 秀吉の恐るべき本性と家康&家臣団の理想の違い
はじめに
第31回は、小牧・長久手の戦い前夜における徳川家と家臣団の結束とそれを一手に引き受け対峙する秀吉の恐ろしさが対比的に描かれました。そして、その狭間で人知れず苦悩する石川数正が印象に残りましたよね。
さて、家康と秀吉の唯一の直接対決として知られる小牧・長久手の戦いは、徳川家では特に顕彰されています。これは、関ヶ原の戦いでは徳川軍の主力が活躍出来なかったことが大きく、徳川四天王の活躍が随所に見られるこの戦のほうを重視したためです。
徳川家の正統性を描いた頼山陽『日本外史』(後に尊王攘夷派に誤読されますが)にも「公(家康)の天下を取る、大坂に在らずして関ヶ原にあり、関ヶ原に在らずして、小牧にあり」と記され、家康の天下人への基礎になったとしています。『日本外史』は史料的な価値は低いですが、神君家康公神話がいかに浸透していたかは端的に示しています。
ただ徳川史という縦軸の意味が強調される一方で、この戦の同時代的な意味、あるいは戦略的意義はあまり重要視されません。そもそも、「小牧・長久手の戦い」という局地戦のような名称とは裏腹に実際は織田・徳川による長宗我部、雑賀、佐々を巻き込んだ秀吉包囲網VS秀吉軍という全国規模のものでした。結果的には、天下の趨勢を決めたという点においては、関ヶ原の戦いに匹敵する天下分け目の戦いでした。
勿論、直接対決は家康の勝利に終わるのですが、天下は秀吉のものになりました。つまり、「戦に勝って、(天下取りの)勝負に負けた」のが、小牧・長久手の戦いなのです。この辺りが、小牧と長久手の名前だけが残り、局地戦の部分だけを肥大化して顕彰の対象となった所以の一つでしょう。
果たして「どうする家康」は、秀吉包囲網という家康側の戦略を受けて「史上最大の決戦」というサブタイトルを付けました。つまり逸話として顕彰される面を描きながら、神君家康公神話が触れない「家康と秀吉の覇権争い」そのものの推移を大局的に描こうとしているのですね。
実は前回の天正壬午の乱から、家康の戦が変質していることにお気づきでしょうか?本能寺の変以前の家康の戦は、目の前の危機に対する対処療法でした。しかし、天正壬午の乱については、劇中、家康自身が秀吉を討つための力を蓄えるためと明言し、信長の仇討ちやお市への救援という彼自身の心情を後回しにして行動しています。以前、姉川で感情的に浅井長政に付こうとしたあの愚かしい若さとは対照的です。
つまり、ここからの家康の戦は、天下取りのための具体的な方策として、自ら進んで選んだ戦となります。状況に右往左往していた戦とは、描き方が根本的に変わってくるでしょう。
となれば、小牧・長久手の戦いも家康なりの天下取りのための大局的な策として描くほうが自然になってきますね。秀吉VSお市が主になっていた前回では描き切れなかった新しい家康のあり方も今回でより明確になってくるはずです。また、大局的な視野で描くことで、局地戦としての小牧・長久手の戦いだけでは見えてこないものもドラマとして描けるはずです。
それでは、家康と秀吉による覇権争いはどういう意味を持つのでしょうか。今回は、この点について家康と秀吉の違い、数正の様子から今後の展開も含めて考えてみましょう。
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「どうする家康」考察集
大河ドラマ「どうする家康」第7~最終回+総集編の考察です。おまけのコラムも3本入っています。
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