見出し画像

「どうする家康」第29回「伊賀を越えろ!」 家康の徳が天運を引き寄せた伊賀越え

はじめに

 神君伊賀越えを描いた第29回は、「どうする家康」の中でも屈指のエンターテイメントに振り切った回でした。ユーモアに溢れ、忍者たちによるアクション、家康と正信と丹波の丁々発止のやり取り、そして仲間たちの無事と明るい未来を思わせる大団円とバランスが取れていて、状況は最悪でシリアスなものであるにもかかわらず、安心して楽しめるという不思議な回になったのではないでしょうか。

 今回、扱われた神君伊賀越えは、徳川家康にとって三河一向一揆、三方ヶ原合戦と並ぶ三大危機の一つという大事件。これまでの二つの危機は、その起こりから顛末にかけて尺を割き、詳細に描かれました。そして、苦しみと哀しみに満ちた決断が家康の心に深く刻まれ、彼の成長へとつながるドラマになっていました。物語において、危機を乗り越えるというのはターニングポイントとして扱いやすいからです。

 しかし、伊賀越えの危機は、一回こっきりの単発回、前回までの信長とのブロマンス、家臣たちとの絆という心情描写に特化した内容とは真逆のエンタメ回。その振り幅こそが「どうする家康」らしさではありますが、一方で、この危機を乗り越えることで何を描こうとしたのか、何の転機なのか、この回の役割そのものも気になります。

 そこで注目したいのが、御斎峠での家康の「ここからは、このわしに徳があるかどうかだ。わしに徳があれば天が助けてくれよう」という台詞です。

 伊賀越えの本格的な始まりを告げるこの台詞は、戦国時代に広まった天道思想の影響が見られます。天道思想とは、ものすごく簡単に言えば、人の行為、生死は天道によって定められているという運命論です。そして、天の理や人道に背く行為(裏切りや虐殺など)には必ず報いが訪れるということです。
 この発想を元に『信長公記』を書き上げたのが太田牛一です。言うなれば、信長は比叡山延暦寺の焼き討ちを行ったから、本能寺で報いを受けたと言えるでしょう。逆に徳を積めば、それが自身の運命に反映されるということになりますね。

 それでは、家康はこれまでの半生で徳を積めてきたのでしょうか。戦国の世の倣いとは言え、彼も多くの者を死なせてきました。犠牲者の中には自分の妻子すら含まれますし、場合によっては高天神城のように皆殺しも行いました。また、寺社を攻め、農民や家臣を苦しめたこともありますから、その治世も決して穏やかなものとは言い切れなかったでしょう。それでも、天は、誰もが死ぬと思われた家康を助けて、伊賀越えを成功させます。そして、信長を討ち優位に立ったはずの光秀は哀れ落命となります。

 となると、この二人の運命を分けた分水嶺とは何でしょうか?そこで今回は、何が家康の伊賀越えを成功させたのか。そして、それが指し示す家康の進むべき道とは何か。その角度から、家康の徳について改めて考えてみましょう。


ここから先は

18,510字
この記事のみ ¥ 100
Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

一つ一つの記事を買うよりも1000円ほどお安くなります。

大河ドラマ「どうする家康」第7~最終回+総集編の考察です。おまけのコラムも3本入っています。

Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?