株の利益に35%課税すると、日本は何を失うのか(国家向け)
はじめに
政府・与党は、超富裕層を対象にした「ミニマムタックス」の強化を進めている。
2025年12月に公表された与党税制改正大綱によれば、2027年分の所得から、対象となる所得基準は現在の年間3.3億円超から1.65億円超へと引き下げられる。その結果、株式譲渡所得など分離課税の所得が中心の層に対する実質的な最高税率は、復興税・住民税込みで35.63%まで上昇する見込みだ。
「株で大儲けした人からもっと税金を取ればいい。」
一見するともっともらしく聞こえる。
実際、この制度の直接的な対象になる人は、所得基準の引き下げ後でも日本全体で数千人規模と言われている。
だから多くの人は、
「自分には関係ない」
と思うだろう。
しかし、本当に失われるものは数千人の資産ではない。
日本経済そのものの成長力である。
アメリカはなぜ世界一のイノベーション国家になったのか
アメリカが世界最大のイノベーション国家となった理由は一つではない。
世界最高峰の大学、巨大な国内市場、ベンチャーキャピタル、NASDAQ、移民政策など、数多くの要因が重なって現在の地位を築いている。
その中で見落とされがちなのが、長期的な資本形成を後押しする税制である。
アメリカでは長期保有した株式には優遇税率が適用される。
さらに相続時には「ステップアップ・イン・ベイシス」によって取得価格が時価へとリセットされるため、一度形成された資本が世代を超えて市場に残りやすい仕組みになっている。
その結果、成功した起業家や投資家は資本を失わず、新しい企業へ再投資できる。
Amazonで得た利益がTeslaへ。
Teslaで得た利益がAI企業へ。
AI企業で得た利益が宇宙産業へ。
もちろん現実はここまで単純ではない。
しかし、長期的な資本形成を促す税制が、イノベーションを支える重要な制度の一つであることは間違いない。
日本が課税するのは「富」ではなく「未来」
今回のミニマムタックス強化で影響を受ける人数は、日本人口から見ればごく僅かだ。
しかし、その数千人こそ、日本で最も多くの資本を運用し、新しい企業へ資金を供給している層でもある。
資本主義では、お金は単なる貯金ではない。
企業への投資。
設備投資。
研究開発。
新規雇用。
これらを生み出す原資が資本である。
つまり資本とは、未来への投資そのものだ。
最上位数千人への課税強化は、単に一部の富裕層からお金を回収する制度ではない。
長期的に見れば、日本全体の投資余力を減らす制度でもある。
「政府が投資した方がいい」という反論
もちろん、
政府が集めた税金を成長産業へ再投資するのであれば、一つの考え方ではある。
しかし、日本の現実を見ると、税収増の多くは社会保障費へ充てられている。
医療費。
介護費。
年金。
少子高齢化が進む日本では、増えた税収が未来への投資よりも現在の支出へ向かう構造になっている。
未来への投資を否定しているわけではない。
問題は、現実の歳出構造とのギャップである。
官僚は投資家ではない
仮に政府が産業投資を増やすとしても、その資金を配分するのは官僚や政治家である。
彼らには制度設計という重要な専門性がある。
一方で、市場で数十年にわたり資本配分を競い続けてきた投資家や、実際に企業を育ててきた起業家とは評価軸が異なる。
資本配分にも能力差は存在する。
誰がより優れた企業を見つけられるのか。
誰がより優れた経営者へ資本を託せるのか。
株式市場とは、その能力を競争によって評価する仕組みでもある。
市場で成果を出してきた資本配分者から資金を回収し、行政が再配分することが、本当に最も効率的なのか。
少なくとも、その点については慎重に考える必要がある。
株はゼロサムゲームではない
株式市場を、
「誰かが儲ければ誰かが損をするゲーム」
だと思っている人は少なくない。
しかし、それは本質ではない。
株式市場は企業価値を評価し、資本をより生産性の高い企業へ誘導する仕組みである。
流通市場での売買そのものが企業へ直接資金を届けるわけではない。
しかし、活発な市場があるからこそ、企業はIPOや増資によって資金を調達できる。
その結果、生産性の高い企業ほど資本を集めやすくなる。
つまり市場全体としては、経済の生産性を高める役割を果たしている。
さらに重要なのは、資本には「量」だけでなく「誰が配分するか」という質もあることである。
同じ100億円でも、優れた投資家や起業家が運用する100億円と、そうでない100億円とでは、将来生み出される企業や技術、雇用は同じではない。
資本配分能力そのものが、生産性の一部なのである。
複利で考えると答えは変わる
ここで単純化したモデルを考える。
ある投資家が100億円を運用する。
年間リターンは20%。
税率20%の場合、税引後の再投資率は16%。
税率35%なら13%となる。
10年後の資産額は、
100×(1.16)^10 ≈ 441億円
100×(1.13)^10 ≈ 339億円
となる。
わずか15ポイントの税率差でも、10年後には100億円以上の差が生まれる。
課税によって失われるのは税金だけではない。
未来に生まれる複利そのものである。
では税収はどうなるのか
ここで税収(税率×利益)を年数ごとに追ってみる。

10年、15年時点では、高税率の方が税収は多い。
短期的に見れば、「税率を上げた方が国は儲かる」という考え方にも一定の根拠はある。
しかし、資本は複利で増え続ける。
今回の単純モデルでは、約20年後に税収は逆転し、その後は時間が経つほど低税率の方が税収も大きくなる。
税収は、
税率 × 課税対象
で決まる。
税率だけを見れば税収は増える。
しかし、課税対象そのものが縮小すれば、長期的には税収が減る可能性もある。
もちろん、このモデルが「税率を下げれば必ず税収が増える」と主張しているわけではない。
税率には税収を最大化する水準が存在する可能性があり、現実には景気や投資行動、資本逃避など様々な要因も影響する。
本稿で示したいのは、税率だけを見て政策を判断すべきではなく、複利によって拡大する課税対象まで含めて考える必要があるという点である。
終わりに
資本主義の本質は、お金持ちを優遇することではない。
最も生産性の高い場所へ資本を流し続けることにある。
短期的な税収だけを見れば、高税率は魅力的に映る。
しかし、国家が本当に豊かになるのは、企業が育ち、新しい産業が生まれ、資本が何度も再投資される社会である。
数千人からより多く税金を取ることは簡単だ。
しかし、本当に難しいのは、20年後、30年後の日本を豊かにする制度を設計することである。
税率は「今いくら集めるか」を決める制度ではない。
「未来にどれだけの資本を残すか」を決める制度でもある。
その視点を忘れた税制改革は、日本の未来そのものを小さくしてしまうかもしれない。
