【あの街 この建物】第四話:古い写真館たちのその後・そして謎解き
相も変わらず、地味~な雰囲気を維持し続けている拙note。
そんな外連味に乏しい記事群の中で、息長く読まれ続けている記事のひとつに『その昔、写真館は『街の最先端』だった』があります。
当該記事は、東北の一地方都市に点在する古い写真館を紹介したものです。長らく建築設計の仕事に携わってきた筆者としては、その土地で芽吹いた建築文化や職業文化を色濃く遺す『働く建築物』を備忘すること、更には、首都圏の影響を受け始めた地方都市の姿を記録しておきたいという動機をもとに書き綴った記事でもありました。
此度は、2024年の春先に更新すべく下書きしていた記事を再編して掲載させて頂きます。この『眠っていた下書き』に手を加える気持ちにさせてくれた理由・・・それは本稿の後半で淡く綴ることに致しましょう。
それでは、興味を持たれた方は、どうぞご一読下さいませ。
第四話:古い写真館たちのその後
人間が介在してしまった形ある存在を維持すること・・・。
維持・・・それは、膨大な時間と金銭を伴う困難な行為でもある。
去る記事『その昔、写真館は『街の最先端』だった』に登場していた形ある存在たちもまた、悲喜こもごもの歩みを進めている。
1:ライト寫眞館 の今(2024年春当時)
記事を再編するにあたり、まずは断りから。
件の記事においては、2007年(1~3月)に撮影した写真をもとに構成したが、此度は2024年(3月)に撮影した写真を中心に現状に近似したライト寫眞館の姿をご紹介したい。
※ここ1~2年の間で、何らかの対処・修繕が施されているケースもあり得ることをお含みおきされたし。

著名な建築家 F・L・ライト を想起させる風貌の『ライト寫眞館』。
仮に『ライト』の文字が看板に記されていなくても、ライト的な何かをそこはかとなく感じさせてくれる意匠が実に芳ばしい建物だ。当該寫眞館の南側に隣接している駐車場のお陰もあって、盛岡市の目抜き通り『中央通り』から『映画館通り』を北へ辿ると直ぐに目にすることができる。
岩手県の盛岡市といえば、東北の北に位置する地方都市である。
恐らく、首都圏のみならず西日本の繁華な都市に暮らす人々の多くは、典型的な田舎町と認識されているはずだ。それでも、ある時代のある時期に、このような強い意志を感じさせる『働く建物』が建築されていたのである。こうした事実を目の前にしてしまうと、人の世の妙を感じずにはいられない。

当該寫眞館は、1929年に建築(1933年に増改築若しくは改修の記録アリ)されているので、言わずもがな、百年に迫る時を経ようとしている。それ故、建物の裏側に回れば、老朽劣化という言葉では括れないような痛みに目が吸い寄せられてしまう。
今よりも低温で積雪も多かったであろう『当時の冬』に思いを致す。
きっと、えげつない凍害を被ったであろうことは容易に想像がつく。また、彼の地の界隈を震源にした地震や通過した台風の影響を鑑みる時、この凡庸なる現代人が『百年』という時の長さを過不足なく捉えることの難しさを感じずにはいられない。

いずれにしても、過酷な環境下かつ数多の自然災害を経験した建物が老朽劣化しないわけがないのである。かような試練にも似た時間を経た上で、昨今の気候変動によるゲリラ豪雨や頻発傾向にある地震を受け容れなければならないのである。それは、老いた建築物にとって余りにも酷というものだ。だからこそ、今も遺り続けていることに価値があるのだとも思う。
(所有者の並々ならぬご苦労を思うと、ただただ頭が下がる。)
2:小原寫眞館のお隣さん
さて、本題に入ろう。
下書き状態にあった本稿を再編するきっかけは『小原寫眞館』にあった。
小原寫眞館と言えば、ファサードにあしらわれた『人魚のレリーフ』が人目を惹く魅力的な寫眞館である。

丁度、今年のGW最終日だったと思う。
彼の地にお住いの方から、拙noteの プロフィール記事 にコメントを頂戴した。そこには、当該寫眞館にまつわる貴重な記録の断片と、保存の意向を持つ方の手に渡る可能性があること、そして、当時の小原寫眞館に隣接していた赤っぽい建物の詳細が不明であることが記されていた。
恐らくは気を遣って下さったのだろう、コメントの末尾に『お返事無用』と念押しされていた。けれども、拙記事にコメントをするためだけに、わざわざアカウントを作られた様にも思われ、せめてもの償いとばかりに、過去データから『赤色の店舗』の正体を探索することにしたのであった。

写真データを探索し始めた当初は「確か、宮古街道の東側から小原写真館を撮影しているはずだから、きっと赤色の店舗が大きく写っている写真があるはずだ。」という確信があったのだが・・・かくも人間の記憶とはいい加減なものである。そう・・・そんな写真は一枚とて撮影していなかったのだ。

さわさりながら、前出のライト寫眞館を含め、この小原寫眞館もまた定点観測の対象にしていたこともあり、異なるタイミングで撮影していた写真を保管していたフォルダを見つけることができた。その中で保存されていた2007年4月に撮影した写真が『赤い店舗』の正体を淡く教えてくれた。
探索には一分もかからなかった(笑)。凡そ短辺2300Pixelで保存されていた画像を拡大していくと、ガラスに貼られたポスターや、開口部下の〇〇化粧品というプレートから、ファンシーなグッズを扱っていた『昔ながらの化粧品店』であることが判明したのである。(あくまでも私見)

この同定には程遠い結果を知らせるべきか否かに些か逡巡したけれど、『お返事無用』の意向に反してコメント欄を更新することにした。幸いなことに、暫くしてから彼の御仁からお返事を頂戴した。その文面からは、今現在も地道に調査しておられることが窺われた。
野に人物あり・・・そんな言葉を思った。
後記
ここ最近、足を運べていない盛岡の地。
一昨日の地震や梅雨期に入って以降の雨・・・古い建物たちの黙して耐えている姿を想像するばかりの私なのである。
