お盆の間違い電話から人間の質と格の話 ~軽蔑は力なり
お盆休みのシーズンに、昔の同僚から電話があった。
単なる間違い電話だった。
メモリに番号だけ入ってて、多分これが新しく入った新人の番号だろうって思って掛けたら違ったって事だった。
昔の同僚の勤務先は長距離がメインの運送会社。
その元同僚は長くても2泊3日の運行や地場仕事ばかりやっていた。
母親の介護で頻繁に家に帰る必要があるからそういう運行ばかりだってのを知ったのは周りからの情報だった。
■質と格
筆者は、母親の介護を理由に仕事を辞める人をホワイトカラー時代に数人見てきた。
その全員が独身で高齢に差し掛かり、仕事っぷりがイケてるとは言えない人だった。
運送会社の元同僚は、制限された状況ってのを考慮したら仕事っぷりはイケていた。
介護を理由にしている人で仕事っぷりや振る舞いが尊敬に値する人。
筆者が生きてきた中で該当するのは、この元同僚だけである。
ホワイトカラー時代に介護離職した人とは、人間としての質というか格というものがちょっと違うって印象が残ってる。
■軽蔑の対象になった別の元同僚
元職場には、母親の介護が理由で長距離がこなせないから地場仕事だけをメインでこなしている別の元同僚が居た。
入社したばかりの時に助手席に乗せてもらった時に、
首都圏で営業職をしていた事。
母親が高齢になり介護の問題も出てきたのでUターンした事。
こういうことを話してきた。
やっていることは、母親思いの優しい息子の行動である。
ただ、筆者から見ると、
独身で高齢に差し掛かり、
仕事っぷりがイケてるとは言えない人が介護離職して、
運送屋で働いてるなって印象を受けた。
人間としての質というか格というものが、
介護する優しい俺!!のアピールになっててみっともない。
このように感じたのである。
■差がついちゃうところ
人生経験を積むと、額面通りに受け取れなくなってくる。
優しい息子。
そこは、否定しないけど。
首都圏の営業職の仕事っぷりが芳しく無かったから、惨めな思いしてたんだろうなぁ。
そりゃ、母性にすがりたくもなるよねって思ってしまう。
別の元同僚は、母親の介護のせいで今俺はこうなってるんだって被害者的な主張。
尊敬出来る元同僚は、母親の介護の為に制限はうけてるけどその中でできる範囲はちゃんとしますって主張。
こういう差が、人間的な評価や仕事っぷりの評価に、筆者以外の第三者から違いが出ていた。
如実にね。
主観や憶測が混じってると思うかもしれないが、人付き合いには人物評価が混ざるのが当たり前だ。
コンビニ店員だって、良い印象の人だったり悪い印象の人の場合がある。
人間は人前にたった時点で何かしらの評価を受けることは避けられない部分はある。
■正しさよりも
元同僚も別の元同僚も母親思いの人間って評価では同じだ。
だけど、母親思いの人間である自分自身を材料に、自身の実力のなさを隠してる感じを別の元同僚からは受けてしまう。
正当であるかどうかよりも、
納得させられるかさせられないか、
言い訳がましいかがましくないか。
こういう基準だって人物像を決める要素になる。
その人物像は、筆者をこんな人間になりたくないって気持ちにさせてくれる。
本来、軽蔑って言葉は使いづらい言葉だ。
ただし、軽蔑する相手を反面教師にすれば軽蔑は力になると思う。
■反面教師にしようともしていない
軽蔑してるのに反面教師にしようともしていない。
こういう場面にならないように気をつけるべきだと筆者は思う。
「上司の指示が駄目だから」
この手の事例は特に当てはまると思う。
反面教師しようともしてない。
完璧な指示を出せないせいにして良い。
指示が駄目な上司を軽蔑している。
こういう条件下だと。
こういう人間になりたくないって思う必要が無い。
指示が悪いからと人のせいに出来る。
自分の仕事っぷりは問題にならない。
こういう世界観が手に入る。
上司が駄目な場合はある。
上司のせいにして良い範囲はある。
その範囲は無限に広がる程都合がいい物じゃない。
その範囲の捉え方が、人としての質や格を判断される材料になり、
場合によっては、軽蔑の対象にもなりえると思う。
一定レベル正しさが視野を狭くしてしまう場面は、上司と部下のような個人レベルだけではない。
政治と国民とか、報道機関と視聴者のような集団心理でも起こりえる事でもある。
■熊本地震のイオンの爆発
先日(2026年7月28日)の熊本地震の時に、イオンモール熊本で爆発事故があった。
地震が起きた後、客や従業員は一度、屋外の駐車場に避難している。
その後、テナント側から売上金を金庫に入れるため、館内に戻るよう指示された従業員がいた。
そして、その従業員が爆発に巻き込まれて死亡した。
こういう経緯である。
ニュースの報道で軽蔑の対象になったのは、館内に戻るよう指示を出した企業である。
死人が出た結果から逆算すると、
「企業の指示が駄目だから」
って事になる。
この件も大多数が、
軽蔑してるのに反面教師にしようともしていない。
こういう状況だと筆者は感じている。
■地震大国日本の大型商業施設
イオンモール熊本は地震大国日本の大型商業施設である。
大きな地震もここ10年で熊本、石川、そして今回の熊本と複数回ある。
木造住宅が倒壊してる映像は見た記憶が筆者にある。
ただし、小学校や総合病院、大型商業施設のような公共性の高い建物が倒壊したってニュースは筆者が知る限り見たことも聞いた事も無かった。
死人が出た結果から逆算すると、
「企業の指示が駄目だから」
って事になる。
でも、これだけ地震が多い国だと現場判断で建物に戻るのは普通に有り得る事だと思う。
指示のあるなし以前に。
死人が出なくても問題視してたレベルなのかどうか。
死人が出なくても軽蔑するレベルかどうか。
報道から筆者に伝わってくる教訓は、「避難した場所に戻るな」が大事ってって知識だけだ。
報道後に得た教訓が、報道される前から知ってて当然の事になっていると筆者は感じている。
ここが、上司の話とも繋がるが企業の担当に知識正確さを求めて当然って状況が当たり前って思うのは妥当だろうか?
テナントのエリアマネージャーが災害の専門家で当たり前だろうか?
ちょっと反面教師にしようとするだけでこの程度の気づきは得られると筆者は思う。
■命を思う気持ち
何故、館内に戻るように指示を出した企業が軽蔑の対象になったかというと、マスコミ側が配慮するような規模じゃ無かったからだと思う。
マスコミにとって広告主でもないし、倒産させた場合の社会への影響力もあまり無い規模だ。
イオンと比べたら、軽蔑されるような報道内容も作りやすくなったところはあるだろう。
実際、イオンが再入館を許可していた事実が後から明らかになっても、テナント企業に向いていたような強い軽蔑のトーンはイオンには向かわず、組織としての対応や補償の話に重心が移っている。
テナント企業には取材拒否したって事実や、売上金vs命の様なわかりやすい対立軸、国民から軽蔑の感情を湧き上がらせる材料も揃ってた。
政治的な思想の対立的な要素もここには含まれない。
なので、いわゆるオールドメディアもこういう報道に寄せやすかったってのもあるだろう。
命を思う気持ちを発散するには、軽蔑する対象へスカッとする発言が手っ取り早い。
オールドメディア、ネットメディアに限らずこの手法は散見されていると思う。
これは熊本地震に限らずの話だ。
でもそれは、情報を消費する側の需要に合わせた情報をマスコミが作ってるだけでもある。
それに気がついた時に聞こえてくるマスコミが悪いって批判も、消費する側の需要に合わせた情報が提供されているだけかもしれない。
■軽蔑は力なり
母親思いの息子優しい。
上司の指示が駄目だから部下が損をする。
企業の指示が間違ってるから死人がでた。
これは全部正しいと思う。
だけど、正しいって思っていい範囲とそうじゃない範囲はあると筆者は思う。
その範囲は無限に広がる程都合がいい物じゃない。
その範囲の捉え方が、人としての質や格を判断される材料になり、
場合によっては、軽蔑の対象にもなりえると思う。
軽蔑する対象を反面教師にすれば軽蔑は力になる場合もあると思う。
筆者も人を見ている以上、筆者も誰かから見られている。
人間は人前にたった時点で何かしらの評価を受けることは避けられない部分はある。
筆者は間違えた指示を出す程度の人間性だ。
正論を盾に間違えたことはあるし、今も気付かずにやってる可能性はある。
その程度の人はまぁまぁ多いと筆者は思う。
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