感情のビッグウェーブ、なんで乗らないの?🤣|「みんな怒ってる」はBじゃない
■ 導入|怒れ!→怒ります!
Xを見ていると、
たまに、
ものすごい勢いで感情が広がっていることがある。
あるニュースが出る。
すると、
「これはひどい!」
「許せない!」
「かわいそう!」
「日本は終わってる!」
という投稿が流れてくる。
それを見た人が、
「本当に許せない!」
「私もそう思います!」
「もっと広めるべき!」
と反応する。
さらに、
引用。
リポスト。
コメント。
別の投稿。
どんどん人が集まってくる。
🌊🌊🌊
感情のビッグウェーブ完成🤣
もちろん、
本当にひどい出来事もある。
怒るべきこともある。
誰かを助けるために、
多くの人が声を上げた方がいいこともある。
だから、
俺は、
「みんな感情的になるな」
と言いたいわけではない。
俺が気になるのは、
その一個前。
ところで、その感情。
👉 何を通って、そこに到着したん?
である。
⸻
■ 俺がよく気になる「B」
俺は文章を読んでいると、
よく、
AとCの間が気になる。
例えば、
A:ある出来事が起きた
↓
???
↓
C:これは許せない
この、
???
である。
なぜ、
その出来事を、
「許せない」
と判断したのか。
誰に、
どんな被害があったのか。
何が原因だったのか。
別の見方はないのか。
どのくらいの規模なのか。
何と比較して問題なのか。
俺は、
こういう、
AとCをつなぐ大事な部分を、
「B」
としている。
そして、
Xを見ていると、
このBがないまま、
Cだけが猛烈な勢いで広がることがある。
⸻
■ Bがない。でも、感情はある
例えば、
何か一つの出来事が紹介される。
そして、
投稿者が、
「こんなの許せない!」
と書く。
ここまでは、
その人の感想なのでいい。
問題は、
それを見た側である。
「許せない!」
↓
「本当にひどい!」
↓
「もっと広めよう!」
と進んでいく。
でも、
ちょっと待ってほしい。
あなたは、
何を確認して怒ったん?🤣
投稿者が怒っていたから?
コメント欄のみんなが怒っていたから?
強い言葉で書かれていたから?
ものすごい数のリポストが付いていたから?
もし、
出来事と感情の間にあるBを確認していないなら、
その怒りは、
本当に、
👉 自分で判断して到達した怒り
なんだろうか。
⸻
■ 「感情が本物」なのと「理由が正しい」は別
ここは、
分けて考えたい。
投稿を見て、
本当に腹が立った。
その感情自体は、
嘘ではない。
悲しくなった。
怖くなった。
かわいそうだと思った。
それも、
本人の中で実際に起きた感情である。
でも、
👉 感情が本物であること
と、
👉 その感情へ至った理由が妥当であること
は別だと思う。
例えば、
👉 事実関係を一部しか知らない
👉 原因がまだ分かっていない
👉 当事者の説明が抜けている
一件の出来事を、
社会全体の話まで広げている。
そんな状態でも、
文章の作り方次第では、
人は普通に怒れる。
つまり、
👉 間違った情報でも、本物の怒りは作れる
ここ、
結構怖くない?🤣
⸻
■ でも、物語だって感情を動かすやん?
ここで、
一つ疑問が出る。
映画。
漫画。
小説。
ドラマ。
こういうものも、
読者や視聴者の感情を動かすために作られている。
俺も普通に、
感動する。
笑う。
腹が立つ。
泣く。
じゃあ、
それもダメなのか。
俺は、
全然違うと思う。
なぜなら、
ちゃんとした物語には、
感情へ至るBがある。
主人公と誰かが出会う。
仲良くなる。
すれ違う。
何年も言えなかったことがある。
実は、見えないところで支えていたことが分かる。
過去の出来事の意味が変わる。
そして最後に、
一言だけ交わす。
そこで、
😭
となる。
物語は、
いきなり、
「ここで泣いてください!」
と読者に泣きを要求しているわけではない。
その感情へ至るまでの出来事を、
読者自身が通っている。
つまり、
👉 物語は感情を渡すというより、感情が生まれるBを体験させている
だから、
同じように感情を動かすものでも、
俺にはかなり違って見える。
⸻
■ B抜きポストは、感情の着地点を先に置く
一方で、
Bが薄い投稿では、
こうなる。
A:こんな出来事がありました
↓
「許せないですよね!」
↓
読者「許せない!」
感情への道を一緒に歩くというより、
最初から、
👉 感情の着地点が指定されている
ここが、
俺はちょっと苦手である🤣
もちろん、
その投稿者の判断が正しい場合もある。
Bを全部書くには、
Xは短すぎることもある。
だから、
Bが書かれていない=間違い
ではない。
ただ、
書かれていないなら、
👉 俺は自分で確認したい
その感情を、
自分の中に採用する前に。
⸻
■ 共感1000件は、B1000個ではない
そして、
感情のビッグウェーブが大きくなると、
さらに不思議なことが起きる。
最初は、
一人が怒っていた。
そこへ、
10人。
100人。
1000人。
1万人。
と人が集まる。
すると、
いつの間にか、
👉 「これだけの人が怒っている」こと自体が、正しさの証拠みたいに見えてくる
でも、
よく考えると、
1000人が、
同じB抜きポストを見て、
同じCに反応しただけかもしれない。
つまり、
👉 共感1000件は、Bが1000個追加されたわけではない🤣
1000人が同じ橋を確認したのではなく、
1000人が同じ場所を、
一緒に飛び越えただけかもしれない。
波が大きい。
だから、
正しい。
とは限らない。
「みんな怒っている」
は、
Bではない。
⸻
■ さらに「なんで乗らないの?」が始まる
俺がもう一つ苦手なのが、
ここからである。
感情のビッグウェーブが大きくなってくると、
波に乗っていない人へ、
こんな言葉が向けられることがある。
「これを見て何とも思わないんですか?」
「普通は怒りますよね?」
「もっと声を上げるべきです!」
「無関心なの?」
いやいや🤣
まだB見てる途中かもしれんやん。
俺だって、
確認した結果、
普通に怒るかもしれない。
むしろ、
最初より強く怒るかもしれない。
でも、
そこは俺に決めさせてほしい。
👉 感情を共有すること
と、
👉 指定された感情への参加を要求すること
は、同じではない。
⸻
■ 感情のビッグウェーブに乗らない=冷たい、ではない
ここも大事だと思う。
大きな波が来ている。
🌊🌊🌊
そこへ、
すぐ乗る人もいる。
少し様子を見る人もいる。
自分で調べる人もいる。
別の見方をする人もいる。
結果として、
乗らない人もいる。
それだけで、
冷たい人。
無関心な人。
悪い人。
とは限らない。
むしろ、
👉 感情が大きく動いた時ほど、一度Bを確認する
という人もいる。
俺は、
こっちでいたい。
⸻
■ なぜ俺は、そこまでBを見るのか
考えてみたら、
俺がBを気にする理由は、
別に、
いつも正解を当てたいからではなかった。
もっと単純だった。
踊らされたくない🤣
これだった。
投稿者が、
怒っている。
だから、
俺も怒る。
成功者が、
「これが正解」と言う。
だから、
俺もやる。
みんなが、
「これは幸せ」と言う。
だから、
それを目指す。
普通は、
こうするものだと言われる。
だから、
そうする。
一個一個は、
小さなことかもしれない。
でも、
それをずっと繰り返した先で、
一つ疑問が出る。
俺は、自分で選択して歩いてるって、自信を持って言えるんだろうか。
⸻
■ 誰にも影響されないなんて無理
もちろん、
誰にも影響されずに生きるなんて、
無理だと思う。
親。
友人。
学校。
会社。
テレビ。
本。
SNS。
社会。
俺たちは、
いろんなものから影響を受ける。
それ自体を、
なくす必要もない。
俺だって、
誰かの意見を読んで、
「なるほど」
と思うことはある。
人の考えで、
自分の考えが変わることもある。
でも、
その時に、
一度だけでも、
「なんで?」
を挟みたい。
なぜ、
この人はそう言っている?
そのBは、
俺も納得できる?
俺は、
同じ前提を採用する?
そこを通って、
最後に、
「うん。俺もそう思う」
なら、
それでいい。
⸻
■ 自分の人生のハンドルを、一回自分に戻す
だから、
俺にとってBを見ることは、
単なる論理遊びではないのかもしれない。
AとCの間を見る。
その意味は、
👉 自分の感情や判断を、一度自分の手に戻すこと
なんだと思う。
怒れ!
↓
怒ります!😡
ではなく、
怒れ!
↓
なんで?😑
↓
確認する。
↓
うん、それは腹立つわ😡
こっちがいい。
同じ怒りでも、
俺には全然違う。
⸻
■ 目覚ましなよ
SNSには、
毎日、
いろんなビッグウェーブが来る。
怒り。
悲しみ。
恐怖。
感動。
正義感。
期待。
焦り。
そして、
波が大きくなると、
誰かが言う。
「なんで乗らないの?」
でも、
俺は思う。
別に、
乗ってもいい。
乗らなくてもいい。
途中から乗ってもいい。
調べた結果、思いっきり乗ってもいい。
ただ、
その波に乗るかどうかくらい、自分で決めたくない?🤣
みんなが怒っている。
みんなが共感している。
みんなが進んでいる。
それだけで、
自分まで同じ方向へ行く前に、
一回だけ、
目覚ましを鳴らしてみる。
⏰
その感情、どのBを通って生まれた?
そして、
自分で選ぶ。
感情のビッグウェーブに乗るなではない。
乗るなら、自分で波を見てから乗ろう。
俺は、
岸辺から、
そう思っている。
「みんな乗ってる?」
これ、Bちゃうで🤣
