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遅くなりすぎたレアル・マドリー25/26シーズン総括

25/26シーズンのレアル・マドリーの活動も終わり、そしてW杯すら終わってしまった現時点でなぜ振り返りをするのか。

正直タイミング的に『何故?』が拭えないが、自分としては長年マドリーを見てきて自分の言葉で書き残しておきたいという思いが発端だ。
このレビュー自体は昨シーズンからしてきたが、本来は永遠のアイドルであるトニ・クロースがいる時点で行いたかったものだ。

だが、時代は進み、若いマドリーの戦士の勇姿を見ていると、その都度レアル・マドリーという概念が変わってくるようにも見える。

自分語りはこの辺にして、それでは振り返っていこうかな。


今季を振り返る

25/26シーズンのマドリーは、監督が2度替わり、会長が緊急選挙にかけられるという、なかなかに慌ただしい1年だった。

これだけの出来事が短い期間に重なると、シーズン全体の輪郭は意外と掴みにくくなる。だからこそまずは、今季ピッチの外で何が起きたのかを順に辿っておきたい。

そしてその起点にいたのは、シーズン開幕の期待を託されたシャビ・アロンソだった。

無冠から抜け出すために立ち上がったシャビ・アロンソ

4シーズンで2回のUCLという偉業を成し遂げたアンチェロッティの後任に就任したアロンソ。
アロンソ自身もレバークーゼンで長らく遠ざかっていた国内トロフィーを無敗という形で成し遂げており、これほど心強い後任監督はいないだろうと感じていたのを覚えている。

また、誰がどう見てもタクティカルな面と規律を重んじる監督でマドリーのこれまでの歴史とは逆の方向に舵を切り、ついに新生レアル・マドリーを誰もが期待した。

ただ、この政権はわずか7ヶ月足らずで失脚してしまう。

あえて掘り返す話ではないが、一定のスター選手との確執が生まれてしまったことが原因なのは説明するまでもないだろう。
己が志向するサッカーアイデンティティを、新陳代謝を嫌がったチームに浸透させることが出来ずに終わってしまった。

最後には自分を三顧の礼でもてなしてくれた会長にすら嫌われてしまい、行き場のないエネルギーが徐々に朽ちていく様を見るのは本当に辛かった。

膨張するエゴの中に飛び込んだアルベロア

そこから程なく、アロンソの後任としてファブリカを率いていたアルベロアが監督に就任すると、アロンソを毛嫌いしていた一定の選手とは和解して、新たな若い芽との共存を図り、うまくチームが巡っていた。

しかし、怪我で離脱していた面々が帰還すると、その膨大すぎるスカッドを掌握することが出来なかった。

彼自身がスペイン人なのに、同国のスペイン人からあまりよく思われていないのはかなり不思議だったが、こちらもチームの一定の選手からよく思われずに、最終的な実績はラ・リーガ2位、国王杯ベスト16、UCLベスト8という結果で2シーズン連続の無冠が決定した。

会長の暴走後の緊急選挙

今季を象徴するエピソードとして、35節クラシコ敗戦後の会長の緊急記者会見は狂気そのものだった。

仮想の敵を作り上げ、モヤに隠れていたネグレイラ事件を掘り返し、自分がスケープゴート役を引き受けることを絶対的に許さないその傲慢さを身をもって感じたマドリディスタは多いはず。

彼の第一声の『残念ながら私は辞めない』という結論だけ聞いても、その後話す内容を聞く意味はそこまで感じなかっただろう。
そして良くも悪くも彼の"口"がまだ健在であることを知れた。

ソシオ総会以外の場面で長らく記者の前に出ることが無くなっていたからこそ彼がまだまだご健康であられることを見られたのだ。
そして、振り返ってみるとシーズン終了後に行われる選挙は皮肉なことに自分が辞任した2006年以来で約20年ぶりだ。

当選後の後味

先述した通り、急遽一週間で行われた会長選挙は、結論フロレンティーノ・ペレスの勝利で終わった。

今回対抗馬となったエンリケ・リケルメ氏は準備期間が足りなかったようにも思えるが、単純に、相手となるフロレンティーノの影響力を鑑みると、彼への対策を講じていなかったのが敗因だろう。

ただ、興味が出るのは結果となった支持率の割合。

実際ペレスに辞任して欲しいと思っている一定の層がいるのは確かだが、本気で彼の辞任を願うマドリディスタはさほどいなかったという認識だ。

彼のこれまで成し得たマドリーでの成功はどの会長と比べても圧倒的であり、実績と結果、そしてレアル・マドリーというクラブの価値を示し、高め続けてきたと言える。

だからこそ蓋を開けてみれば、彼の圧勝で終わると思っていたが、当選はしたもののフロレンティーノの支持率は6割強ほどであった。意外にもリケルメ氏が3割5分も獲得していた。

これは相対的に見てもいい結果であると言える。
それは長らく王朝を築いてきたフロレンティーノに対して、明確なライバルが出現したということ。
年々独裁的な部分が強まっていた傾向に対する民意の結果だと捉えることができるだろう。

兎にも角にも、この結果により従来通り結果を求めるソシオの目は一層厳しくなったということだ。4年後の選挙が楽しみである。

チームとしてどうあるべきなのか

レアル・マドリーという選手が強大な価値を持つチームは世界を見渡してもいないし、そういったチームモデルを作るのはなかなか至難の業だ。

そしてレアル・マドリーは私の価値観だと、おおよそ結果で是非を判定されるチームだと感じている。多分、他のクラブと比較しても勝つことに対する欲求がめっぽう強い。

チームビルディングやクラブ規模で言うと大体完成しているチームという認識だし、クラブ規模なんて他の追随を許さないくらい圧倒的だ。
だからこそ、そこに対してスポーツ面の結果が問われるのは当たり前のことにも感じる。

しかし、去年や今年のように無冠が続いていくとチームとしては評価がしづらい。だからと言って今シーズンが無価値だったかというとそうではないと私は思う。

物事には改善すべき点もあれば、必ずプラスの側面としての発見もあるはずだ。
この発見の要素と修正要素は、個人的な観点なのでもっと他にあるよという点があれば是非忌憚なき意見を送ってほしい。

チームとしての課題

まずは改善点から。
シンプルに昨季と同じ問題である『非保持の設計』だ。

もうマドリー以外のチームでこれを抱えているチームは昨今あまり見ない。
それほどチームで守備をする、攻守を分業制にしないということがオーソドックスになってきたということ。

アロンソ政権時はWGがしっかりと守備に専念する構造を取っていた。唯一例外なのは最前列のエンバペくらい。
当時はこの仕組みでエンバペがフィニッシャーとして定められていたため、エンバペとギュレルのパイプラインで猛威を振るっていたのは記憶に新しい。

しかし、そうなるとエンバペが来る前にエースとして自由な振る舞いを許容されていたヴィニシウスは面白くないのは明らかだ。
チーム事情から見るとヴィニシウスが守備をしなければならない理由はわかるが、ここはアロンソのマネジメントミスであったと感じる。

ヴィニシウスのプレスバックが緩く、非保持の設計上、途中交代や先発から外すことはわからなくもないが、それならエンバペにも同様のことを求めるべきだったのではないかとも思う。

結局アロンソはエンバペとヴィニシウスのどちらを取る選択肢において前者を選んだと言っても過言ではないだろう。

機能不全よりもメンタル不全な中盤

これも昨季からの課題であった。いわゆるクロースの後継問題である。
そもそもクロースの後継者なんてのは世界を探してもほんの一握りで、それを獲得するとなるとそれなりのお金はいるだろう。

ただ、そこにお金をかけず挙げ句の果てにこの後記述するベテランかつ唯一クロースと同様のことができるモドリッチを放出してしまったことによってシーズンが始まる前から懸念がさらに強まった。

シーズンが始まってみたら、アロンソはそのポジションにギュレル、チュアメニ、バルベルデのユニットを組みたかった(ベリンガムが肩の手術を受けて2ヶ月ほど離脱していた)が、結局アロンソの薫陶を受けたギュレルがそのポジションをするには経験が足りず、チュアメニとバルベルデはボールをそもそも受けたがらない

私が失望したのは、先述した2人だ。

後の『クラブ歴史上の恥』と言われる事件の当人たちであるが、この2人はアルベロアになってもボールを引き受けに来ない。

もちろんバルベルデはBTBのプレイヤーで、チュアメニは6番のタイプだ。
ただ、結局クロースとモドリッチがいなくなった今、ボールを引き受ける技術や知性よりも、責任や覚悟がある選手が不在だったのが事実ということ。

結局その自信の無さは技術に依存するとは感じるものの、チームの中でベテランとなってきた2人にこそできた役割を放棄してしまったことへの失望感が私は強かった。

総じてビルドアップにおける前進する術をマドリーは見つけられていない。クラブ背景として、縛りのないビルドだからこそ掴みにくく変幻自在なのであるが、今のチームでその旗頭となる選手が1人もいないのが救いようのない実態でもある。

ベテランの不在

マドリーはここ数シーズン、連続的にキャプテンをフリーで退団させている。
それは選手からの移籍要請もあるが、ここ2シーズンは延長できたけどしなかったという見方の方が強いだろう。

ちなみに今シーズンもカルバハルがフリー退団するので、事実上3連覇組以前の選手はもういなくなってしまった。

ベテランの不在は、ピッチを見てみると痛烈なほど感じる。
もちろん経営陣の世代交代を意識するタイミングも理解できる上に、既存の若い選手に責任を持たせることへの共感も納得できる。

しかし、特筆すべきはその速さだ。

マドリーはベテランへの扱いに関して容赦がない。
パフォーマンスのレベルが年々下がっているのは明らかだが、ベテランという役割が組織に必要な要素であることも同時に明らかだ。

そんなマドリーのロッカールームの調和とパーソナリティ、そしてチームへのコミットメントを熟知している選手をシーズンで続けざまに退団させていくのは既存の選手からしても可哀想な出来事であった。

結果論になってしまっているが、この2シーズンはそれが明らかに悪い方向へと傾いてしまった結果だ。特に今シーズンは言うまでもないだろう。

監督への態度

私はアロンソへの期待は強かったし、改革のタイミングとしては良かったと思っている。その後任を担ったアルベロアも代理監督としては上手くやれていたと思う。

ただ、選手及びフロントの監督への態度は良いものではないと感じるのは今シーズンを見ての通りだ。

この膨大なスカッドで全ての選手に対し満遍なく不満が出ないのは世界を探しても人たらしであるアンチェロッティだけだと自信をもって言える。そのアンチェロッティがシーズン無冠に終わり、後任の監督がそれを超えるのは現実的に無理な話だ。

だからこそ、選手及びフロントの信頼が何より監督の支えになるのは言うまでもない。

ただここはレアル・マドリーで、監督よりも選手の方が圧倒的に主役なのだと改めて気付かされた。そして監督なんてのは、マドリーの歴史においてそこまで重要視されていないということも改めて知った。

そんな中で、カメラワークが意地悪なラ・リーガは絶好の機会を待っている。今季のマドリーは格好の餌食だった。
全世界が見ているクラシコの試合で、していいことといけないことがあるし、スポークスマンとして自己評価を下げてしまう発言の区別がつかないのかという発言も散々あった。
結局そんな言動が節々に出てしまうこと自体が、選手の未熟さを物語っている。

マドリーのサポーター、とりわけベルナベウに来場している方はアホではない。今季サンティアゴ・ベルナベウにおいて、本来は相手チームに響くブーイングが現状の自チームに対して鳴り止まなかったことが、今のサポーターの気持ちということだ。

特に今季は結果としても不甲斐ない上に、先頭に立ってチームを引っ張っていくベテラン枠の選手がそういった行いをしていたのが何よりも悲しいのだ。

と、こんな感じで締めておかないと止まらないので、次にプラスな側面を見ていく。

補強のポイントの明瞭感

シーズン始まる前に、このスカッドで大丈夫かという懸念が多かったが残念ながらそれは「事実」だったよという結果で返ってきた。

思えば今までそれをなんとかしちゃうのがマドリーで、今季もそんなノリがなかったかと言えば少なからずあったとは思う。

2シーズン連続で無冠なんてのは、多分10年以上見ててもなかったような気がする。調べてみると、2008-09、2009-10シーズンの20年ぶりらしい。

この当時を見ると今よりもっと酷い。

La Liga 08/09 vsBarcelona戦 スコアは2-6での大敗

2008-09シーズンはラ・リーガ2位、UCLベスト16、国王杯ベスト32の結果で無冠が決まり、2009-10シーズンはクリスティアーノ、カカ、ベンゼマ、アロンソ、アルベロアなどを補強して累計約258億を市場に投じている(こう考えると、やっぱり現代というか日本が相当円安なのがわかる)。
それでも無冠に終わり、2シーズン連続の無冠となった。

だからそう考えると最低ラインよりも全然上だ。

話が脱線したが、2シーズンの無冠が確定した要素としては色々あるが、ピッチレベルで話すとまずボールを受ける、配給する役割の選手が皆無だ
強いて言えばそのプレー選択ができるのはカマヴィンガくらい。

マドリーではどの時代でも攻守をつなぐ選手がいた。そのコアがいないため攻守が分断されたまま。
だからこそトランジションでしか得点が生まれない要因にもつながっている。このポジションの補強は必須だ。

ギュレルという大器

チームレベルではなく、個人の話になってしまうがこの選手の今季の飛躍が著しい。
スタッツとしても結果を残して加入して以来最も逞しくなった。

極め付けはラストパスと試合のテンポをコントロールできるパウサができるということ
この類の選手が中々おらず、攻め急ぎてしまいがちなマドリーを考慮すると、選手プロフィールを見ても稀有な存在である。

まだまだ発展途上なので、これからももっと経験を積んでいく必要があるのは確かだ。
一点懸念なのは、彼の実質的なポジション争いをする選手がベリンガムであるということ。
それも考慮した時に、マドリーにおけるアルダ・ギュレルという姿に形成されていく必要がある。

何がともあれ、見ていくのが楽しみな選手の1人だ。

ファブリカ組のポテンシャル

今季アルベルア体制になってからは片手では収まらないほどのファブリカが起用されていた。
その中でも一定のパフォーマンスを示したピタルチを筆頭に、マヌエル・アンヘルやパラシオス、セステロといった中盤の選手は多くの出場時間を得られていたと思う。

DFでもディエゴ・アグアドやヴァルデペニャス、ダビド・ヒメネスも評価を得ている選手達だ。
個人的には、右WGで出場したヤネスが好きです。

元々ファブリカの監督をしていたアルベルアが段階的に代理監督を務めるようになってからなので、彼にしかできないような采配でもあるだろう。

一番感じたのは、ファブリカの面々が価値を示せたことだろう。

昨今のマドリーの歴史から鑑みるに、ファブリカからトップチームに上がることはできてもレギュラーの座を掴むことは無理難題で、それを成就させたカルバハルが異例でもある。

だが、イレギュラーの多いシーズンの中で突発的な起用にしても彼らの持ち味が出た試合が何回かあったと感じるのは確かだ。

だからこそこのファブリカの選手への信頼や自信、そして評価するに最も値する選手が多くいたことを改めて認識できたのが嬉しい。

モウリーニョ招聘が「クラブとして」意味すること

実はこれを記載しているのが、7月の末くらいなのでもうW杯も終えて色々な移籍情報が舞い込んでいる。というか公式発表さえある。

いわゆる「here we go!!」ですよね。

モウリーニョ以外の情報はあえてここでは書かず、また別の記事として投稿しまっす。

第一次政権(2010-13)の記憶の再来

モウリーニョをレアル・マドリーで最後に見たのは2013年のことだ。
2010年の就任から3年、彼が置き土産にしたのは勝利と衝突の両方だったと今を思えば懐かしい。
長らく続いていたバルサ黄金期(グアルディオラ体制)の壁を、2011-12シーズンに勝ち点100という記録更新でのリーガ制覇という形で破って見せた。
国王杯もその前年に取り、CLでも3年連続で準決勝まで到達している。

個人的にはこの黄金期のバルセロナに対して一石を投じたモウリーニョの影響力は凄まじいと感じるし、この彼が植え付けたと言われる勝者のメンタリティなるものを礎として、マドリーはこの後5年で4度のUCLのトロフィーを掲げることとなる。

ただし、その3年間はロッカーの軋みが常に同居していた政権でもあったことは周知の事実。
カシージャス、ラモス、時には全盛期だったクリスティアーノとまで、対立の火種は絶えなかった。
マドリーというクラブが「一流を集めて衝突させながら勝つ」形を極めた時代であり、モウリーニョ的な統率と選手である個の主張が最も激しくぶつかった政権でもある。

その男を、13年経って呼び戻す判断。
ここで問うべきなのは「モウリーニョは変わったのか」ではなく、「クラブは変わっていない可能性を織り込んだ上で選んだのか」という点。答えは間違いなく後者だ。
当時のロッカー衝突を知らないほど、フロレンティーノ体制は健忘症ではない。
それでも呼び戻したということは、クラブは「共存の再挑戦」ではなく「勝利の再獲得」を優先することを、意思として明示している。

監督人事3段階(アロンソ→アルベロア→モウリーニョ)の意思決定

25-26シーズンの監督人事を時系列で眺め直すと、クラブの意思の変遷が浮かび上がる。

シーズン開幕にあたって、レバークーゼンで無敗優勝を成し遂げたシャビ・アロンソが招聘された。ここに込められていた期待は、進歩的な戦術構築だと認識している。
つまり「モダンフットボールの最先端でマドリーを再定義する」ことだった。しかし約7ヶ月ほどで契約解除と至っている。

続いてカスティージャで結果を出していたアルベロアが内部登用された。
これはクラブアイデンティティへの回帰であり、進歩的な戦術構築が破綻した後の"自分たちが何者か"を再確認する意思だった。
すんごいカッコよく言ったが、要はアルベルア以外の監督が見つからずにアルベルアにせざるを得なかったというところが内部事情だろう。
ただしこちらもタイトルを取り切れずシーズン終了とともに退任している。

そして最後にモウリーニョが呼び戻される。
7か月の間に、クラブは「進歩」「回帰」「勝利」という3つの意思を順に試して、最終的に「勝利」を選び取ったことになる。

これにはフロレンティーノ・ペレスの独断による監督選考という意思が強いみたいだが、フロントとしても3期連続の無冠なんて暴動起きそうなレベルだからこそもう後には引けない。

この3段階のロジックが示しているのは、クラブが「勝てないマドリー」に対して持っている耐性の低さである。
2年連続無冠を経験して、フロレンティーノ体制はまず革新を試み、それが上手くいかないと分かった時点で自らの根に戻り、それでも足りないと判断すると、最短距離で勝利に接続する監督を選ぶ、という思考回路を見せている。

すごくマイナスな言い方をすると、アロンソというモダンなフットボールを信仰する監督を呼んでも尚変わらなかったという結果だ。

選手権力に対するアンチテーゼ

25-26シーズンにマドリーが抱えていた課題の中で、戦術以上に深刻だったのがロッカーの権力構造の歪みだった。
アロンソが求心力を保てず、アルベロアが統制に苦しんだ背景には、選手側の「監督<選手」という感覚を強めていた、という指摘が現地報道でも繰り返し流れていた。

モウリーニョという監督を語るとき、戦術家としての顔は若干従来ではないのかもしれないが、統率者としての顔は健在だろう。
今まさにマドリーが必要としているのは間違いなく後者の力である。
彼は選手のわがままを容認しない。序列を明確にし、規律を敷き、"組織の内側で監督が最上位に立つ"ことを譲らないタイプの監督である。

つまりモウリーニョ招聘は、単なる戦術的な補強というよりかは、25-26で顕在化した"選手が強くなりすぎた組織"に対する構造的なアンチテーゼであり、「ロッカーの権威を回復する」ことをクラブが明示的に選んだ、ということでもある。

この視点を欠くと、モウリーニョ体制の議論は"戦術"の話だけに閉じてしまう。

欧州トップ層への構造的回答

最後に、私が思う現代の最高峰に位置する4チーム(バルセロナ、PSG、アーセナル、バイエルン)への回答として、モウリーニョ体制のマドリーがどう振る舞うのかという大雑把な予想を置いておきたい。

まず前提として、上記4クラブは細部の違いはあっても、根本にある戦術DNAは大体共通していると感じる。
高い最終ライン、連動したハイプレス、ポジショナルに整えた保持。
グアルディオラとクロップが敷いたトレンドを、それぞれのクラブが自分たち向けに洗練させた形だ。

今の欧州のトップに立つために必要な"共通言語"と言い換えてもいいのではないか。

モウリーニョという監督は、この共通言語に自分から乗って優位を取りに行く方向ではなく、その言語の弱点を利用して破壊しにいく方向を選ぶタイプである。
具体的にどう振る舞うか、いくつか予想を並べておこうと思う。

第一に、守備ブロックの位置は間違いなく深くなるのだろう。
25-26のアロンソ期に見せていたようなハイ〜ミドルプレスによる主導権奪取ではなく、ある程度自陣に引いて相手に持たせる時間を認めた上で、崩されないことを優先する。「持たれても失点しない」を出発点にする哲学に戻るのは以前の根本たるマドリーのアイデンティティであったものだ。

第二に、ボールを奪ってからのビルドアップは、中盤経由の丁寧な組み立てより、縦のロングボールやハーフスペースへの一本の楔を優先する形になる。要はより"縦に速く"ということ。
相手のハイプレスに巻き込まれて中盤で失うリスクを取るよりも、意図的に飛ばしていく。

ここに関しては、これまで議論してきたエムバペとヴィニシウスの独力で点を取れる力、そしてギュレルのポジトラ起点としての質が最大限に活きると予測する。
ある意味、25-26でギュレル-エムバペのラインが強く出ていたアロンソ期のポジティブトランジション局面を、90分を通した基本戦略に格上げする、という言い方もできる。

まぁこのポジションにギュレルを配置するのかベリンガムなのか、はたまた夏の市場で取ってきた誰かなのかはシーズン始まってみないとわからない。

第三に、セカンドボールへの執着。
長い縦パスや競り合いから溢れた球を、中盤のフィジカルで回収して二次攻撃につなげることができるカマヴィンガ、チュアメニ、バルベルデといった強度の高い中盤は、モウリーニョ体制ではこの役回りで、これまで以上に重要度が上がる可能性が高い。

もちろん、ボールをコントロールする選手は必須だが、その副官としてモウリーニョはフィジカルが強く、空中戦で活躍する選手を配置する傾向にある。

第四に、セットプレーから得点数増加。これはモウリーニョの伝統的な武器で、リュディガーやミリトンといった空中戦の質を持つ選手が揃っている今のマドリーで、明らかに使用頻度と練習比重が上がる領域になるはずである。

第五に、試合のテンポそのものを"意図的に遅くする"
相手が高いプレスとリズムでゲームを進めたいときに、こちらがそのペースに乗らず、ファウルや位置取りで試合の流れを何度も切る
モウリーニョ的な試合運びの本質はここにあり、これが最も4チームが嫌がる展開でもあるのかなーっと。

まとめると、モウリーニョ体制のマドリーは、派手じゃない、遅い、堅い、しかし決定機を仕留めきるチームになる可能性が高い。
というかなってもらわないと困る。

現代欧州のトップ層が磨いてきた"共通言語"の外側から、意図的にゲームを破壊しに行くという立ち位置。
これがモウリーニョ招聘のクラブとしての意味の帰結なのかなと思っている。

ここで最後の問いを一つ置いておきたいのだが、この「時代の主流に逆張り」する選択は、マドリーだからこそ許される特権(=個の質と選手個々の格があるから成立する)なのか、それとも時代への適応を諦めた戦略的な退行なのか。

令和の時代に平成初期のようなサッカーを見ている気分になることへの耐性がどのように出るのかは見ものである。

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