たまに思う、なぜ1日8時間労働のままなのか
夕方18時、パソコンを閉じた瞬間に頭がずっしりと重く感じるときがあります。
一日中座って画面を見ていただけなのに、なぜこれほど疲れるのでしょうか。
重い荷物を運ぶような激しい肉体労働をしたわけでもありません。
それなのに、夕食を作る気力すら残らない日があります。
この異常な疲労感について考えていくと、あるひとつの制度に行き当たります。
私たちが当たり前のように受け入れている、「1日8時間労働」というルールです。
8時間労働は、100年前の工場で作られたルールです。
「仕事に8時間を、休息に8時間を、やりたいことに8時間を」
1817年、イギリスの社会改革家ロバート・オーウェンが提唱した言葉が、8時間労働の起源とされています。当時の産業革命期は、1日12時間から16時間働くのが当たり前の時代でした。
労働者を過酷な環境から守るための、画期的な制度だったのです。
その後、1914年に自動車メーカーのフォードが自社工場に導入し、1919年には国際労働機関(ILO)で国際的な基準として採択されました。日本で労働基準法として定着したのも、戦後間もない1947年のことです。
つまり、私たちが現在も日々守っている「8時間」という枠組みは、およそ100年以上前、工場の製造ラインに立っていた人たちを基準に設計されたルールなのです。
昔の8時間には、構造的な「待ち時間」がありました
当時の働き方を振り返ると、今とは時間の流れが根本から異なっていました。
主な仕事は身体を動かす作業であり、連絡手段は紙の書類、郵便、固定電話が中心でした。
書類を郵送すれば、相手の手元に届くまで数日かかります。返信が来るまでは次の作業を進められません。会議を開く際も、全員がひとつの会議室に集まるまでの物理的な移動時間が必要でした。
当時の8時間勤務の中には、以下のような時間が自然と組み込まれていました。
* 相手からの返信を待つ時間
* 会議室や現場へ移動する時間
* 次の工程の段取りを待つ時間
仕事を進める仕組みそのものの中に、必然的に発生する「余白」が存在していたのです。
道具が便利になった結果、仕事の密度が上がりました
現代のデスクワークの現場はどうでしょうか。
チャットツールには次々とメッセージが届き、即座に返信することが暗黙の前提になっています。
スケジュールを開けば、10:00〜11:00、11:00〜12:00、13:00〜14:00と、隙間なく予定が詰まっています。以前であれば生じていた会議室への移動時間もありません。
現在のWeb会議では、前の会議の退出ボタンを押した数秒後には、次の会議のリンクをクリックして参加できてしまいます。
さらに、会議で発言をしながらチャットの通知を確認し、同時に別画面で資料の修正を行うといったマルチタスクも日常化しています。
道具が進化したことで、作業自体の効率は劇的に上がりました。
しかし、短縮された時間は人間の休息には変わっていません。空いた隙間に、次の業務と次の会議がそのまま詰め込まれている状態です。
同じ8時間でも、処理する情報量がまったく違います
100年前の8時間は、ある一定のペースで身体を動かし続ける時間でした。
対して現在の8時間は、数分ごとにまったく別の案件へと頭を切り替え、絶えず判断と返信を求められ続ける高密度な情報処理の時間です。
枠組みとしての「8時間拘束」は昔のまま変わっていませんが、その中で脳が処理する負荷と密度だけが跳ね上がっています。これでは、夕方に疲れ果ててしまうのも当然のことです。
疲労を感じるのは、能力の不足ではありません
「周りはこなしているのに、なぜ自分だけこんなに疲れてしまうのか」
「自分の要領が悪いのではないか」
そのようにご自身を責める必要はありません。
100年前の工場労働を前提に作られた枠組みの中に、現代の高速なデジタル業務を詰め込んでいる構造そのものに無理が生じています。
その歪みを、個人の集中力や体力をすり減らして埋めているのが現状です。
なぜ、シンプルに制度は変わらないのか笑
「8時間座って仕事をしただけで、どうしてこれほど疲れるのか」と感じたときは、ぜひ思い出してください。
かつてとは比べものにならないほどの速度と密度で、頭をフル回転させて1日を乗り切った結果なのです。
