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神から自己へ、そしてAIへ。私たちは自ら進んで「アルゴリズムの奴隷」になりにいっている

急に、なんのタイトルですか!笑 って思われたでしょうか。
最近はもっぱら社会学っていうのか、ホモサピエンス、ヒトの営みに興味がわき、そんな書籍やらを見ています。

さて、話は戻して、
何かを決める時、皆さんは真っ先に何をするでしょうか

多くの人がまず確認するのはスマートフォンじゃないでしょうか。
情報を調べて口コミを調べたり、歩数を調べて少し運動してみようとか、そんなプロセスを踏んでいるのではないでしょうか。

「ここの宿評判いいよ!」とか、「1万歩も歩いた!だから、今日は調子が良い」

いつの間にか、自分の主観的な考えよりも、デバイスが弾き出した数値やデータを第一に信じるようになっています。

何を食べるべきか、何を買うべきか、いま運動すべきか、どれくらい休むべきか。どう行動すべきか。今では、AIも爆速に進化してきて、AIに自分の考えを入れて、その提案を参考にしながら、日々の行動や仕事でも決める場面が急速に増えている

「AIが浸透した未来は、人間がAIの奴隷になるディストピアだ」といった煽り文句をよく見かけます。

しかし、私が想像するのは、現実はもっと静かで、もっと自発的であるかつての奴隷とは違う「奴隷」になる可能性にあると思います。

誰かに強制されたわけではなく、私たちは自ら進んで意思決定の主権をアルゴリズムに差し出しにいっています。

「意思決定の主権」を巡る3つの時代

人類が「自分の行動を何に従って決めてきたか」を振り返ると、3つのフェーズに分けることができます。

1. 神中心の時代(中世まで)

善悪の基準や生き方の指針は「神の教え」や「教会の教義」にありました。干ばつが起きれば神に祈り、人生の重大な選択は信仰に基づいて決めていました。意思決定の主権は「外側の超越的な存在」にあった時代です。神のためなら死ねる。だから戦争であっても、神を進行し、振る舞い、命を賭ける。

2. 人間中心の時代(近代〜現代)

かつては神の教え、聖書に全てが答えが書いてあり、どう解釈するかという時代でした。しかし、自分たちが無知であると知った時代が来ます。
ここからあらゆる世の中の探究が始まり、産業革命や科学が勃興し、「資本主義」と「民主主義」いう概念が出てきます。(その方が世の中にとって都合が良かった)
ヒューマニズム(人間中心主義)の広がりにより、主権は「個人の内面」に移りました。「神は死んだ」とも揶揄され、神よりも自分の感情、理性、自由意志こそが最も尊いとされ、「自分の頭で考え、自分の意志で決めること」が人間の尊厳の拠り所となりました。逆に「だれかが嫌だと思うこと」が悪と位置付けられました。

3. データ・アルゴリズム中心の時代(これからの未来)

そして、いま起きはじめている最中、過渡期にあるのは、主権が「個人の感覚」から「バイオデータとAIアルゴリズム」へと移行する現象です。

数千万人のデータと自分の生体情報をリアルタイムに突き合わせた計算結果のほうが、自分の曖昧な直感や気分よりも「正しい」と信じられるようになっています。

会社でも「データドリブン経営」という言葉が使われるほど、ホモサピエンスの営みの信仰として、「データは信頼出来る」という正義が掲げられています。

かつて「神」が担っていた役割を、現代では「アルゴリズム(データやAIの示唆)」が担い始めています。

なぜ私たちは喜んで従うのか

「支配」や「奴隷制」と聞くとネガティブな響きがありますが、人類がアルゴリズムに従うのは、それが圧倒的に快適で合理的だからです。

少し前から現在末期に向かっているであろう人間中心の世界、つまり自分の心に従い意思決定をすることには、常に「迷い」「失敗するリスク」「自己責任の重圧」がつきまといます。
何を食べるか、どう健康を保つか、どのキャリアを選ぶか。
現代人は自由(実際は自由ではないという説もあります)を手に入れた代わりに、無数の選択と責任に疲弊しています。

そこに現れたのが、個人の生体データに最適化されたアルゴリズムです。
「いまこの栄養素を摂るのがベストです」
「今日は心拍が上がりにくい状態なので、軽いジョギングに留めてください」
「この選択肢を選んだほうが、長期的な幸福度スコアが高くなります」
計算された最適解に従っていれば、失敗する確率は極限まで下がり、後悔や不安から解放されます。

私たちは不自由になるために従っているのではなく、「迷いと責任の苦痛から解放されて、より良い結果を得るため」に、喜んでアルゴリズムに判断を委ねています。

最適化の先にある「人間の輪郭」

これからさらにアルゴリズムが世の中の中心となっていき、その速度は1年後には大きく変わる時代に突入になりました。
生命科学とAIの融合は、間違いなく病気を減らし、寿命を延ばし、私たちの生活の質を引き上げてくれます。その恩恵は計り知れませんし、この不可逆な流れを止める必要もありません。
ただ、一つだけ心に留めておきたい問いがあります。
すべてをデータに基づいて最適化し、感情やバイアスによる「非合理な選択」を排除していったとき、最後に残る「自分らしさ」とは何でしょうか。
たまに食べる体に悪いジャンクフードの美味しさ、計算上は無駄だとわかっていても夢中になってしまう遠回り、データが示す正解を無視して選んだ直感の冒険。
そうした「不完全で非合理なノイズ」の中にこそ、人間という生き物の生々しさが宿っていたのではないでしょうか。
アルゴリズムという新しい導き手と生きるこれからの時代、問われるのはAIの性能ではありません。
「どこまでを最適化に委ね、どこからを自分の不完全な意思で引き受けるか」という、自分なりの境界線を持っているかどうかなのだと思います。

AIが浸透する未来、人間の働き方やお金という概念も大きく変わる可能性があるのではという考えもあります。


本日はこれまで!!

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