見出し画像

「勿忘草の咲く町で」が問いかけた命の選択


NHKBSドラマ『勿忘草の咲く町で』を見ながら思うのです。


舞台は信州・安曇野の小さな病院。未曽有の高齢化に直面する地域医療の現場で、「延命か、看取りか」という究極の選択に向き合いながら、懸命に働く若き医療者たちの姿を描いた作品です。

原作は小説家・夏川草介さん。(現役の医師)である。


※以下、あらすじに触れています。

内科病棟で働く看護師・月岡美琴のもとへ、同じ大学を卒業した新人研修医・桂正太郎が赴任してきます。実家は花屋。花を愛する心優しい青年ですが、現実の医療は理想だけでは乗り越えられません。


高齢者が多い地方の小病院では、患者を一日でも長く生かすことが本当に幸せなのか、それとも穏やかな最期を迎えることを支えるべきなのか──。

指導医たちとの考え方の違いに悩み、時にぶつかり合いながら、正太郎は終末期医療と真正面から向き合っていきます。


その中で、私の胸に深く残った言葉があります。


「たとえ病気を治せなくても、私たちにできることがある。」


 「延命か、看取りか。」


その問いに、たった一つの正解はありません。


迷い、苦しみ、それでも患者や家族と向き合い続ける医療者たちの姿から、最後に一番大切なのは、残された時間を、その人らしく最後が迎えられるは、何かを模索していく事。


このドラマは、都市部の高度医療とは異なる地方医療の現実を丁寧に描いています。限られた医療資源の中で、一人ひとりの人生に寄り添う医療とは何かを、静かに問いかけてくる作品です。


そんなドラマを見ていると、以前見た安楽死のドキュメンタリーが頭に浮かびました。


そこには、61歳の重度のパーキンソン病の女性を紹介していました。50代で発症し、薬や注射で症状を抑えながらも、少しずつ進行する病と共に生きてきた方です。


日本では安楽死は認められていません。その女性は、安楽死が認められているスイスの医療機関を訪れる決断をしていました。


取材する記者の問いかけにも迷いはなく、静かに身辺整理を進める姿からは、揺るぎない覚悟が伝わってきました。


「やりたいことはすべてやってきました。思い残すことはありません。」


そう言い切った彼女の表情は、不思議なほど穏やかでした。


周囲には「もっと頼ってほしい」と願う人もいたといいます。しかし彼女は、「今なら、自分で自分の人生を終える決断ができる。自分らしく終わりたい」と語っていました。


その言葉の重みは、今も私の心に残っています。


もちろん、その立場にならなければ、本当の気持ちは誰にも分からないでしょう。


だから私は、安楽死が正しいとも間違っているとも簡単には言えません。


ただ、101歳で亡くなった義母が、晩年にぽつりと「安楽死があればいいのに」と漏らした言葉を思い出します。


病や老いを重ね、思うように体が動かなくなるつらさは、本人にしか分からない苦しみだったのでしょう。今だから私もわかる気がします。


人は、生まれた時も、生きる場所も、成長する迄、自ら選ぶことはできません。


けれど、現代の医学でも治すことのできない苦しみの中にある人が、自分らしい最期を選びたいと願うことは、果たして贅沢なのでしょうか。


この問いに、今の私には答えは迷いのままです。


それでも、このドラマと一人の女性の生き方は、「命とは何か」「尊厳とは何か」を、静かに考え続ける時間を私に与えてくれました。

まるで、二つの番組が、私に問いかけている様でした。

いいなと思ったら応援しよう!