王様より贅沢な平日 現代人はとても豊かだよねって話
平日の昼、国営昭和記念公園にいる。
GWに来れば入場待ちの列ができて、レジャーシートの隙間を縫って歩くことになる場所だ。それが今日は、見渡す限りの緑地に人がいない。木陰のベンチが空いている。雲が動くのが見える。売店で買った飲み物を飲みながら、ふと考えた。
俺は今、贅沢をしているのではないか。
いや、もっと言おう。現代の日本で普通に暮らしている人間は、歴代のヨーロッパの王侯貴族より豊かな生活をしているのではないか。
冗談に聞こえるかもしれない。向こうは宮殿に住んで、専属の料理人と楽団を抱えて、絹をまとっていた側だ。こっちは公園のベンチだ。だが項目ごとに比べていくと、この比較は冗談では済まなくなる。
太陽王の歯は全滅していた
ルイ14世。太陽王。ヴェルサイユ宮殿を建て、絶対王政の頂点に立った、17世紀ヨーロッパで最も豊かだった男。
その男の晩年の食事は流動食だった。歯が虫歯と歯周病でほぼ全滅していたからだ。当時の抜歯は麻酔なしで、上顎の歯を抜く際に顎の骨ごと砕かれたという記録が残っている。さらに彼は痔瘻を患い、麻酔なしで手術を受けた。執刀医はこの手術の成功で歴史に名を残した。王の尻の手術が国家的事件だった時代だ。
ついでに言うと、あの壮麗なヴェルサイユ宮殿には、便所がほとんどなかった。廷臣たちは廊下の隅や階段の陰で用を足していた。宮殿は香水の匂いで満ちていたというが、それは何の匂いを消すためだったのか、という話だ。
エリザベス1世の歯は真っ黒だった。原因は砂糖だ。当時の砂糖は超のつく高級品で、王侯貴族しか口にできなかった。だから砂糖で歯が黒くなることは富の証明であり、庶民がわざわざ歯を黒く塗った時代すらあった。
今、我々現代人は砂糖の摂りすぎを心配している。かつて王の富の象徴だったものが、今は安すぎて健康リスクになっている。この反転については後で書く。
大統領の息子は靴擦れで死んだ
1924年、アメリカ合衆国。時の大統領カルビン・クーリッジの息子、16歳のカルビン・ジュニアは、ホワイトハウスのテニスコートで靴擦れを作った。
そこから細菌が入り、敗血症を起こし、一週間で死んだ。
地球で最も権力を持つ男の息子が、靴擦れで死んだのだ。ペニシリンの発見はその4年後。実用化はさらに先だった。大統領の権力も財力も、細菌の前では無力だった。
今なら、傷口を洗って市販の抗生剤軟膏を塗り、悪化すれば病院で抗生物質を処方される。命に関わる事態まで進む可能性は、桁違いに低い。しかも保険適用で3割負担。
俺たちは風邪をひけば数時間で医者にかかれて、処方薬を受け取れる。虫歯は麻酔をして削る。盲腸は死病ではなく数日の入院で済む。この当たり前の一つひとつが、百年前の最高権力者に提供不可能だったサービスだ。医療において、現代の一般人と過去の王の勝負は、どう転んでも成立しない。
王は「もう一度聴く」ことができなかった
ルイ14世は宮廷作曲家リュリの楽団を抱えていた。望めばいつでも演奏させられた。これは確かに現代以上に超贅沢だ。
だが王にできなかったことがある。気に入った演奏を、もう一度聴くことだ。
録音技術がない時代、音楽は一回性の芸術だった。同じ曲を同じ楽団に演奏させても、それは別の演奏になる。素晴らしい一夜の演奏は、その夜のうちに宇宙から永久に消えた。モーツァルトは即興演奏の名手だったと伝えられるが、その即興は一音も残っていない。伝説だけが残った。
今、俺の耳には数グラムのワイヤレスイヤホンが入っていて、スマホには数千万曲が入っている。月額千円ほどで、1955年のグレン・グールドの演奏も、1963年のカラヤンとベルリン・フィルも、無限にリピートできる。録音技術は音楽を「出来事」から「物体」に変えた。俺のポケットに入っているのは音楽ライブラリではない。本来一回きりで消えるはずだった瞬間の、冷凍保存庫だ。
死者の演奏を召喚する。どんな王権にもできなかったことが、月額サブスクでできる。
最速の通信は「旗振り」だった
1815年、ワーテルローの戦い。ナポレオン敗北という世紀の大ニュースは、パーシー少佐が馬車と船を乗り継いで運び、ベルギーの戦場からロンドンに届くまで丸3日かかった。
当時の最先端通信インフラは腕木通信という、巨大な旗振り装置の中継網だった。フランスが国家事業として整備し、1794年にパリ〜リール間約200kmが開通。1819年の記録では、パリ〜ブレスト間551kmをわずか8分で信号が駆け抜けたという。音速の3倍だ。大したものだが、送れるのは短い符号列だけで、晴天の昼間限定。夜と霧と雨で停止する国家インフラだった。そして海峡は越えられなかったから、ワーテルローの報せは結局、人が運んだ。
今、俺は公園のベンチで、地球の裏側のニュースを数分遅れで読める。
そして情報の格差はもっと深いところにある。歴代の王が国家の威信をかけて集めた王立図書館の蔵書は数万冊。アレクサンドリア図書館の伝説的な数字でも数十万巻だ。俺のポケットには、数億件の文献にアクセスできる端末が入っている。
しかも決定的な違いは量ではない。**検索だ。**王の図書館には本はあっても検索がなかった。膨大な蔵書から今必要な一節を引くには、専属の学者を何人も抱えて数日がかりで調べさせるしかなかった。今は3秒だ。さらにAIは、取り出した情報を要約し、文脈に合わせて再構成し、議論にまで付き合う。王が学者団を召集して数週間かけた御前会議が、ベンチの上で往復数秒で終わる。
実際、この記事の元になった思索は、この公園を歩きながらAIと対話したものだ。専属の学者団をポケットに入れて散歩している。そんな貴族は歴史上、存在しなかった。
王の食事より美味いジャンクフード
ここで一つ、奇妙な反転の話をする。
人類史のほぼ全期間、カロリーと糖と塩は希少だった。見つけたら食い溜めることが生存に直結したから、俺たちの脳の報酬系は「甘いもの、脂っこいもの、しょっぱいものを見たら確保しろ」と数万年前に配線された。
産業化がこの希少性を反転させた。今や糖と脂と塩は、安い食品にこそ過剰に含まれている。貧困層ほど肥満になるという、人類史上初めての現象が起きている。飢えではなく過食が、貧困の症状になった。
そして味の話をすれば、脳の報酬系を刺激する効率では、おそらく現代のジャンクフードが当時の宮廷料理を上回る。これは冒涜ではなく工学の話だ。現代の食品産業は、人間の報酬系を最大に発火させる糖・脂・塩の黄金比率を、数千人規模の官能試験で科学的に探索している。ブリスポイントと呼ばれるやつだ。宮廷料理人の経験と勘は、fMRIとデータの前では分が悪い。
数百円で買えるスナック菓子は、脳の快楽という一点においては、太陽王の晩餐を超えている。皮肉なことに、太陽王は歯がなくてどちらも食えないのだが。
では、なぜこんなに不安なのか
ここまでの比較で、衣食住・医療・情報・娯楽のほぼ全項目において、現代の中央値の日本人が歴代の王に勝つことは分かった。
なら、なぜ人々はこんなに生活の不安を抱えているのか。王より豊かな暮らしの中で、なぜ肩の力が抜けないのか。
理由は、豊かさの絶対量と、不安を生む機構が、別の場所にあるからだ。
第一に、人間の幸福感は絶対量ではなく相対比較で決まる。経済学にイースタリンの逆説という有名な観察がある。一定水準を超えると、国が豊かになっても人々の幸福度は上がらない。全員が王より豊かになっても、隣人との差は残る。そして不安は差から生まれる。
第二に、人間は「将来の欠乏」をシミュレートしてしまう。狩猟採集の時代、考えるべきは「今日食えるか」だけだった。農耕とともに人類は来年の収穫を、老後を、ローンの残債を予測する能力を手に入れた。この能力こそが文明を作ったのだが、同時に、現在がどれだけ満たされていても未来の欠乏を先取りして不安になれる、慢性不安の発生装置にもなった。
第三に、比較のスケールが壊れた。江戸時代の農民が比較できたのは、せいぜい隣村までだ。現代人のポケットには、タワマンの部屋と高級車と、選び抜かれた誰かの人生のハイライトが毎日配信される。比較対象が村の隣人から全人類の上位1%に差し替えられた。比較のスケールだけが無限化して、それを処理する脳は数万年前のままだ。
象徴的な事例として語られるのがブータンだ。1999年、世界で最も遅くテレビとインターネットを解禁した国。解禁を宣言した第四代国王は、その演説で「テレビとインターネットは、有益な面だけではなく負の側面も内包している」と警告していた。2005年の国勢調査では国民の97%が「幸福」と答えて「世界一幸せな国」と呼ばれたが、2019年版の世界幸福度報告では156か国中95位に沈み、以降このランキングに登場していない。この因果を「情報流入で隣の芝が見えたせい」と単純化することには批判もある(そもそも最初の調査方法が甘かったという検証もある)。だが、比較対象の変化が幸福感を動かすこと自体は、国のスケールでも観測されているということだ。国王の警告は正しかった。
豊かさは配達済みなのに、豊かさを感じる装置だけが未配達。
技術は指数関数的に進歩した。しかし人間の脳は石器時代からほとんど変わっていない。それがこの時代の一番奇妙な貧困だと思う。
今の贅沢とは何か
だから結論はこうなる。
スマホもAIもイヤホンも、装備はすでに行き渡った。王を超える装備を、ほぼ全員が持っている。装備はもう、贅沢の在り処ではない。
今の贅沢の正体は、土台の側にある。生まれた場所のインフラ、衛生、治安、そして余暇だ。
蛇口をひねれば飲める水が出ること。夜道を歩いて帰れること。救急車が来ること。ゴミが収集されること。これらは場所に紐づいていて、持ち運べない。世界を見渡せば、王を超える装備のスマホを持ちながら、安全な飲み水にアクセスできない人が今も何億人といる。装備は世界中に配達されたが、土台は配達されていない。
そして最後のピースが余暇だ。平日の昼に公園にいられる時間。スマホから顔を上げて、雲が動くのを眺められる心の空き容量。これだけは、インフラのように与えられるものではなく、それぞれが自分の生活を設計して作り出すしかない。
誰もいない緑地。木陰のベンチ。安全な水。雲を見る時間。
太陽王が全財産を積んでも買えなかったものが、平日の昼、そこにあった。ヴェルサイユの庭園には常に廷臣がいて、王は生涯、誰もいない庭を知らなかったのだから。
装備の贅沢は終わった。これからの贅沢は、顔を上げる余裕の方にある。
参考文献・出典(興味がある人向け)
腕木通信の速度・運用: 中野明『腕木通信――ナポレオンが見たインターネットの夜明け』(朝日新聞社)、トム・スタンデージ『ヴィクトリア朝時代のインターネット』(NTT出版)。パリ〜ブレスト551km・8分は1819年の記録
ワーテルローの報せ: 1815年6月18日戦闘終結、6月21日夜にパーシー少佐がロンドンの陸軍省に到着
ルイ14世の歯と痔瘻手術: 1686年、外科医フェリックスによる手術の記録。歯の喪失と流動食は宮廷医ダカンらの診療記録に基づく医学史の定説
エリザベス1世の黒い歯: 1598年、ドイツ人旅行者パウル・ヘンツナーの謁見記録「歯は黒い。イングランド人が砂糖を摂りすぎることによる欠陥のようだ」
クーリッジ大統領の息子: カルビン・クーリッジ・ジュニア、1924年7月7日に敗血症で死去。ペニシリン発見(フレミング)は1928年
録音技術: エジソンのフォノグラフ発明が1877年。それ以前の演奏は一切現存しない
ブリスポイント: マイケル・モス『フードトラップ 食品に仕掛けられた至福の罠』(日経BP)
幸福と所得の関係: リチャード・イースタリン(1974)による「イースタリンの逆説」
欠乏と認知: センディル・ムッライナタン、エルダー・シャフィール『いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学』(早川書房)。サトウキビ農家の収穫前後でIQ換算9〜13ポイント差の研究を収録
ブータン: 第四代国王の1999年解禁演説はBhutan Times編 "Immortal Lines: Speeches of the 4th Druk Gyalpo"(2007)、幸福度は World Happiness Report 2019(156か国中95位)
