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語学における他者との比較

比べてしまう自分に気づいてしまう

語学を学んでいると、ふとした拍子に他人と自分を比べてしまうことがあります。たとえば、「同じ時期に始めたのに、あの人はもう流暢に話している」、「 SNSでは、毎日のように成果を投稿している人がいる」、「 自分より若い人が、軽々と外国語で議論している」などなど。

そんな光景を目にすると、勝手に胸の奥がざわついてしまいます。
「自分は成長が遅いのではないか」、「向いていないのではないか」──。 そんな思いが、静かに忍び寄ってきてしまいます。

歩幅はみな違うもの

でも、本来、歩幅なんて、ひとりひとり違うものなのです。覚えるスピードも違います。 集中できる時間も違います。置かれた生活環境も、年齢も、性格も、まったく違うものなのです。

それなのに、私たちはつい「同じスタートラインに立っているはずだ」と思い込み、他人の歩幅を自分の物差しにしてしまいます。 しかしそれは、他人の靴を履いて走ろうとするようなものです。靴のサイズが合うはずがないし、そのような靴を履き続ければ痛みが出るのは当然です。また、同じスピードで走り続ければ、遅かれ早かれ、ケガをしてしまうものです。

比較がもたらす影

そして、他人との比較を続けていると、心は少しずつ摩耗していきます。落胆し、 幻滅し、 最悪の場合、「自分には無理だ」と絶望に至ってしまうこともあるのでしょう。

語学学習は長い旅路です。 その旅の途中で、自分の歩幅を見失ってしまうと、前に進む力そのものが削られてしまいます。

見るべきは、他人ではなく「昨日の自分」

では、どうすれば比較の影に飲み込まれずに済むのでしょうか。私が考えるに、見るべきは他人ではなく、「昨日の自分」です。

「昨日より一つ単語を覚えた!」、「 先週より少し聞き取れるようになった!」、「 以前より、語学に向き合う時間が増えた!」──そんな小さな変化を静かに積み重ねていくのはいかがでしょうか。そこに「喜び(歓び)」を見出していくのはいかがでしょうか。

歩み続けている限り、成長している

語学は、止まらない限り、必ず前に進んでいきます。たとえ歩幅が小さくても、ゆっくりでも、前に歩けば、確実に前へと進んでいます。

だから、他人の歩幅に心を乱される必要はありません。それぞれの歩幅で歩いていけばいいと思っています。誰かと比べるのは意味のない徒労です。

自分の歩幅を信じて進む

語学学習は、誰かと競うレースではありません。 学習者自身の歩幅で、かつ、学習者自身のペースで進む旅です。
ゆっくりでいいと思います。 でも着実に。 自分の歩幅を信じて、今日も一歩だけ前へ。

その積み重ねが、いつか確かな力となって返ってくると、私自身も信じて、勉強を続けていきたいと考えています。

2026年5月31日久々にTOEICを受験。結果は、満点(990点)には遠く及ばず。まだまだ私には実力がないのです。

この結果は、神様が『引き続き頑張りなさい』と言ってくれているのだ、と思っています。外国語の習得に関して、心が折れそうになることを何百回と経験してきましたが、これからも弛まずに切磋琢磨していこうと考えています。読者のみなさま、いつも最後までご高覧下さり、誠にありがとうございます。引き続き頑張りますので、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。

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