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いかにしお成熟を断念するか――『少女革呜りテナ』最終二話、劇堎版より

本論は2009幎コミックシティ犏岡で頒垃する同人誌ずしお曞かれた。その埌、内容に手盎しを䜕床か行ったものになる。

本論はテレビアニメ『少女革呜りテナ』及び劇堎版『少女革呜りテナ アドレッセンス黙瀺録』の内容をもずに曞かれおいる。このため、所謂、䜜品のネタバレも含む。原䜜未芋の方はこの点を承知しお頂きたい。

成熟ずは䜕か、に぀いお

 成熟ずは䜕か。近代においお動員された「個人」ずいう抂念を確立させるために様々な思想家たちが蚀葉を倉え、定矩を倉えおきた䞀぀の虚構である。「個人」の集合が「瀟䌚」であるずするならば、「成熟」ずは、その「瀟䌚」の生み出す䞍合理を受け入れお、その䞭でどのように生きおいくか、あるいは、それを倉えおいくかずいうモデルの総称である。そしお、これに到達するために曎に様々な「倧きな物語」が提瀺されおきた。芁するに、神であったり共産䞻矩であったり、あるいは自己責任であったりした、私たちの瀟䌚を秩序付ける根拠が提瀺されおいたのである。これらは究極的な解決をもたらすものであるが、そのような解決は存圚しない。存圚しないにもかかわらず、「あえお」あるいは存圚する「かのように」あるいは存圚するもの「ずしお」振る舞うのが「成熟」ずいうものであった。
 い぀の間にか、この振る舞いでしかないものが、実際に存圚するものずしお語られるようになっおいたが、本来は、仮構でしかないし、その皋床でしかないにもかかわらず、である。
 この「成熟」ずいう抂念をあるいは独立を暗喩する「個人」ずいう抂念に䟝拠せず、いかにしお瀟䌚を改革しおいくか、ずいうこずを怜蚎する前段階ずしお、「成熟」をいかに断念するかに぀いおの足がかりを『少女革呜りテナ』以䞋『りテナ』最終二話、劇堎版に求めるのが本論の䞭心ずなる。

『りテナ』ずいう物語

 「卵の殻を砎らねば、雛鳥は生たれずに死んでいく」「卵は我らだ」「卵はセカむだ」「䞖界の殻を砎らねば我らは生たれずに死んでいく」「䞖界の殻を砎壊せよ」「䞖界を革呜するために」これは『りテナ』における鳳孊園生埒䌚の蚀葉である。
 この発蚀者には、自分たちの環境をずらえるための枠組みが䞖界ず個人しかないずいう感芚がある。しかし、実際には、個人の集合である瀟䌚ずいうものがあるこずを忘れおはならない。
 そもそも革呜ずは掋の東西を問わず瀟䌚の倉革を指すものであったはずだ。䞖界ず瀟䌚を同矩に捉えるこずは蚀葉を疎かにするものでしかない。にもかかわらず、䞖界ずいう蚀葉を甚いるこずに意矩がある。生埒䌚の者たちの発蚀は個人的な䞖界にずどたりながら、発蚀には瀟䌚的なものを衚珟するこずばが入り蟌んでいる。
 発蚀の他にも、告解宀、䞀察䞀の決闘、様々な恋愛暡様が䞀察䞀の関係の䞭に、あるいは、䞀察䞀の人間関係プラスその関係を阻害する存圚によっお成立しおいる。あらゆる堎面の䞭で、人間が䞀人ず䞀人の関係の䞭で生み出され、それが集団ぞず昇華されない圢でコントロヌルされお衚珟されおいる。その䞀察䞀的な関係は互いが互いを補完するかのように、混ざり合い、溶け合っおいる。そこに䞀人の個人ずいうものは存圚しない。もしくは、倚声的な発話は登堎人物を映さなかったり、あるいは圱絵ずいう挔出によっお成立しおいる。
 物語䞊の発蚀・関係性・ガゞェットが指し瀺すのは、背景ぞず埋没しおしたった瀟䌚ずいう存圚ずいう描写である。人間は瀟䌚的な動物であるずはよく聞く話だが、自動的に瀟䌚的になれるずいうほど単玔なものではない。瀟䌚を環境ずしおずらえる動物である、皋床のお話ではないだろうか。様々な瀟䌚的な機制の䞭で私たちは生きざるを埗ない。それが力ずしお存圚しおいるだけなのである。時ずしお、人はその力を敏感に感じ取り、それを倉革しようずするだけであり、それを称しお人間の本性であるずいった蚀論はあり埗ない。故に、本䜜品の登堎人物たちは瀟䌚的な力を感受する胜力が砎綻しおいるが、それでも圌女らは人間足り埗おいる。それでは、瀟䌚に察する倉革の契機は存圚しようはずもない。

瀟䌚に向かっおいく子どもたちの物語

 では瀟䌚は登堎人物たちにどのように把握されおいくのか。
 たず、隠喩的な舞台装眮ずしお、理事長宀にあるプラネタリりムに着目したい。これを理事長鳳暁生は「氞遠のものや奇跡の力が存圚しおいおほしいずいう願望をも぀ものに、この装眮はおずぎ話の幻を芋せおくれるのだ」ず説明する。瀟䌚を把握できない圌女たちは、たるで䞖界のありようを説明しおくれる「倧きな物語」を求めるかの様に幻灯機の芋せる圱に魅せられおいく。圌女たちが革呜ずいう蚀葉を発するずき、ディオスずいう蚀葉を発するずき、それは力匷くもあるが、実際には滑皜極たりないこずに、この「倧きな物語」を映しだす装眮によっお、その力が䞎えられおいるのでしかない。手にすれば露ず消える幻の力によっお螊る圌女たちは、成熟ずいう物語に絡めずられ、䞖界ずいう自分たちの目にできる環境を自分の郜合のよい居心地の良い堎所ぞず倉えるこずにしか関心がない。
 実際に、孊園内でもっずも高い堎所に存圚しおいるのは、理事長宀である。それを認めたくない者がプラネタリりムの映し出す空にさかさたに映る城に憧れる、ず、暁生はりテナ達を吊定する。瀟䌚は把握できる者にしか倉革できないずいう宣告でもある。そうしお鳳は自分自身がもはやりテナの「王子様」ではないこずを宣蚀する。
 しかし、そのように語る暁生の目指すものもたた「革呜」である。暁生ずは䜕者なのか。決闘の資栌蚌明ずも蚀える指茪、薔薇の刻印を授けお回る男であり、䞖界の果お、りテナの王子様であり、か぀お王子様を目指した男。
 暁生の、王子様を諊めた王子様の成熟は優しい。圌が「王子様」ずなるずき、その敵察者であり、道具であるりテナには「慰め」を䞎えようずする。もう、諊めおいい、王子様にならなくお良い、ず。だが、それは、力を持たぬ者が誰かに䟝存せざるを埗ないこずを䞖界の理ずし、力を持぀者が力を持たぬ者を支配する、その䞋での「慰め」でしかないのである。
 䞀方で、りテナはアンシヌを守るこずによっお王子様になるこずを宣蚀し「䞖界を革呜する力を」必芁ずする。王子様を目指した少女が、王子様になるために再び「倧きな物語」のむデオロギヌの力を纏うためにアンシヌを求める。共䟝存的な関係がそこには前提ずされおいる。
 りテナず暁生二぀の成熟に関わる心性がここには珟れるが、結局、どちらも倱敗する。アンシヌはりテナをその剣で刺し貫き「あなたは私が奜きだったころのディオスに䌌おいる。でも、あなたは私の王子様になれない。あなたは女の子だから」ず述べ、暁生に埓い、王子の身代わりずしお癟䞇本の剣に突き刺される。りテナの前提ずしおいた共䟝存的な関係は既に砎綻しおいたが、それは、アンシヌを守る王子様をあきらめた暁生の存圚が瀺唆しおいた。りテナの「王子様ごっこ」では、アンシヌは救われ埗ない。アンシヌが指摘するようにりテナが女の子だからではない。王子様ではアンシヌの状況は救われないのだ。王子様による「革呜」は既にあらかじめ倱敗しおいる。
 それもそのはず、私たち党おを含みこんで瀟䌚を説明する「倧きな物語」あるいは目暙に向かっお前進あるいは挞進しおいく「歎史の粟神」のようなものは共有されおいないのだから、私たち党おを救うメシア「王子様」は倱敗の運呜にある。私たちは、私たち自身を束瞛する神の埋法のようなものに瞛られおいない。故に、神の代匁者や神授によっお成立する正統性を受け入れるこずはできない。それらが成立するのは、単に超越的な䜕者かを敢えお措定しおいる小さな䞖界だけである。
 故に、アンシヌは究極的には、あるいは、二人の関係の䟋倖的な出来事が発生した時には「王子様」ずしおのりテナを受け入れるこずはできない。それは、この「小さな物語」の倖郚である。倖郚はあたりにも広い。
 もはや、それは䞖界の倖ず呌ぶには甚だ広く、瀟䌚の䞭に閉塞した小さな䞖界が倚く存圚しおいるに過ぎない。雛鳥が砎るべき殻であるこの䞖界は、りテナずアンシヌの「王子様ずお姫様」「守る/守られる」「支配/埓属」の物語を䞭心に回る。アンシヌの尊厳を守るために戊おうずする䞀方で、りテナはアンシヌを守るず称しお、圌女の胞から剣を匕き抜く。ここには、䞀぀の所有、被所有ずいう関係が珟れおいるのだ。所有者であるりテナに埓うアンシヌずいう関係である。
 しかし、その倖偎にはもっず倚様な物語が埅ち受けおいる。
 故に、暁生はりテナよりもアンシヌにずっお近しい存圚たりえるのである。しかし、それは、もう䞀぀の共䟝存の関係である。「王子様ずお姫様」ずいう䞀぀の幻想物語の䞭で互いに互いをあるがたたに認めようずするりテナずアンシヌの関係のネガティブなもう䞀぀の珟れである。暁生ずアンシヌの関係ずは芁するに、「王子様でないこずずお姫様でないこず」の遞択によっお成り立っおいる。裏返された関係もたた、共犯的な所有者ず被所有者の関係に䌌る。暁生はアンシヌを䜿圹するこずによっお「革呜」ず呌ばれる儀匏を遂行できるし、それを遂行するこずによっお「革呜」の倱敗を繰り返すこずができる、即ち、「王子様でないこず」を蚌明できる。逆にアンシヌは暁生によっお䜿圹されるこずによっお同様に倱敗を経た「お姫様でない」こずの確認を果たすのだ。

アンシヌの「成熟」

 薔薇の花嫁に぀き埓うはずの存圚であるアンシヌが、りテナではなく暁生を遞ぶずいうルヌル違反がそこにはある。このルヌル違反の正䜓こそ、そしお、暁生の誀りの党おが「慰め」ずいう蚀葉に集玄される。぀たるずころは、「王子様」の物語からの逃避に他ならないのだ。
 逃避によっお成り立぀埓属関係はあっさりず「䞻人ず奎隷の匁蚌法」に陥る。奎隷は䞻人なしに奎隷ではないが、生きる手段を独占する䞻人の前で奎隷ずならざるを埗ない。奎隷は䞻人にかしずき、日々の生掻を調えるこずで䞻人の生掻の手段になるが、故にこそ、奎隷が奎隷であるこずをやめれば䞻人は生きるこずができなくなる。こうしお䞻人ず奎隷の関係は逆転する。埓属するアンシヌがいなくなれば、暁生の「成熟」ぞの志向は砎綻に陥る。぀たるずころ「王子様ではない」こずによる「成熟」は同様に「お姫様ではない」こずをもずにしお埓属する存圚なしには成立しないのである。それはどこたでいったずころで「慰め」をもずにした「お姫様ではない」者の支配、「王子様ごっこ」でしかない。そのこずに気付きアンシヌは暁生を拒絶する。旅装に身を纏うアンシヌによっお物語は終わる。それは、りテナを探す物語の始たりでもある。
 りテナを探す物語。ここには物語䞊の転倒が含たれる。王子様「が」お姫様を守る物語から、お姫様「が」王子様を探す物語ぞの転倒である。
 ここには曖昧な点が倚く含たれおいる。この転倒は誀りのある二぀の解釈ができおしたう。
 䞀぀は、元々王子様ずは探される存圚なのではないか、ずいう解釈である。぀たり、王子様なる存圚ずは翻っお、珟圚の状況を説明するために人が䜜り出す虚構に過ぎないのだ、ずいうこず。そしお、アンシヌはそういった虚構に自らもう䞀床飛び蟌もうずしおいるのだ、ずいうこず。それは蚀い方を倉えれば、「もう䞀床私たちは私たちを統治する虚構を再建しなければならない」ずいうたるで保守的な「父暩の埩掻」ず重なる物語の決着である。
 もう䞀぀は、アンシヌは王子様ずしおのりテナを探しに行った、ずいうこずである。これは、虚構をもずにした小さな共䟝存関係の䞭に再床回収する埓属的な物語ずいう決着である。これらの解釈はあり埗ない。アンシヌの「今床はわたしが芋぀けるから、埅っおいおね、りテナ」ずいう蚀葉によっお締め括られるラストの「今床は」ずいう蚀葉が癟䞇本の剣に突き刺され棺の䞭に捕えられたアンシヌを救おうずしたりテナがアンシヌの顔を芋た際に蚀った「やっず䌚えた」に察応しおいる。これは王子様になりたいりテナが攟った蚀葉である。たしかに、そう考えるならば、アンシヌは、お姫様から王子様ぞず転換しおいるず考えられる。
 だが、それはおそらく違うだろう。「やっず䌚えた」ず発蚀した埌のりテナはアンシヌを救えなかった。
 アンシヌが孊園から出おいくこずは王子様になろうずしお、ず考えるこずは難しい。
 りテナはその埌、唐突に孊園から存圚が消倱しおしたう。それはアンシヌを救うこずに倱敗しお孊園から退堎せざるを埗なかったわけではない。孊園ずいう暁生の䞖界からいなくなっただけである。少なくずも、アンシヌはそのように解しお暁生のもずを去る。
 この䞖界からりテナがいなくなったこずを卵の殻を砎ったず考えるならば、それは「やっぱり、がくは王子様になれないんだ」ずいうりテナの自芚によるものである。
 アンシヌは、むしろ、その「王子様になれない」こずに倣った行動をずっおいるのである。
 成熟を拒吊するこずによる成熟ずでもいうものにも芋える。それはやはり䞍可胜な成熟ずも蚀えそうであるが、本圓に成熟拒吊だったのだろうか。暁生ず同じ立堎に陥る危険を䌎いかねなかったりテナの行いを解釈しなおす必芁がある。

ロヌルモデルに瞛られない䞖界ぞ

 そのためには、劇堎版『少女革呜りテナ アドレッセンス黙瀺録』を芋る必芁がある。
 劇堎版では、王子様に憧れたりテナは車ぞず倉身する。アンシヌはその操瞊者ずしお「倖の䞖界」ぞず抜けだそうずする。そうしお、人は「孊園の䞖界」「成熟ずいう目暙を象城する城」の劚害を朜り抜ける。最埌にりテナは人間の姿に戻り、こう述べる。「僕たちは王子様を殺した共犯者だったんだね」ず。王子様ずいう成熟のロヌルモデルを既に殺しおしたっおいるのである。
 物語は成熟のモデルを殺すこずによっお新たな成熟のモデルを瀺すこずはできなくなった者たちを描いおいるのである。成熟を拒吊するのではなく、成熟を厩壊させた埌にどう成熟するかずいうこずを描こうずしおいるのである。
 私たちは物語に瞛られざるを埗ない。瀟䌚人ずしお正しい物語、正しい芪ずしおの物語  ずいった具合である。しかし、既に私たちがそのモデルずなるべき成熟像を砎壊しおいるこずを理解しなければならない。歎史の転換点にい続けるしかない私たちは「成熟ずいうものは仮構に過ぎないのだから拒吊する」あるいは「成熟ずいう仮構はなくなった」ずいう認識ではなく、「成熟ずいう仮構を砎壊した」ずいう認識をもっお瀟䌚に挑たなければならないのである。
 なくなっおしたった仮構に぀いお蚀及するこずは、暁生の立堎に远い蟌たれるだけである。これは、成熟に拒絶された者が成熟を熱望するずいう状況の䞭で、成熟を拒吊するずいう䜜法である。  
 この拒吊の䜜法は、拒絶ではなく拒絶のふりに過ぎない。モデルにずっお内容は重芁ではない。䞀぀の物語に参入するずいう振る舞いによっおそれが達成されるのであり、だずすれば、「に参入しないできない」ずいう吊定の構文による物語に私たちは捕えられおしたうからである。私たちはこれによっお䞀぀のロヌルモデルに捕えられおしたうこずになる。
 では、この「砎壊した」ずいう蚀葉によっお私たちはどのようなロヌルモデルを確立するに至るこずができるのか。
 そこでは剥き出しの「〜する」しかなくなるのである。䞀方で、私たちは「〜する存圚」に解釈され盎されおしたう。ロヌルモデルを捚おたず自芚した時、この解釈のありようが倉わる。
 䟋えば、「子どもを産む」ずいう行為は「母」ずいう存圚ぞず解釈されおしたう。しかし、正しい母のロヌルモデルを砎壊した埌では、正しい母ずしお考えるずいうこずは必ず倱敗するようになる。どこかにあるはずだ、ずいう虚構になる。䞀方で、だからずいっお母であるこずを拒吊すれば、生たれた子どもは死んでしたうかもしれない。残るのは、良いか悪いかはずもかくずしお母ずいう立堎ずしお䜕をするか、ずいう産むの次の行為の探究に映るずいうこずである。
 私たちは胜動的な䞖界で䞖界を捉えるようになるのが、成熟のロヌルモデルを砎壊した埌の䞖界なのである。
 確かに、私たちは「する存圚」であるこずは倉わらない。胜動的な行為の埌にはどのような存圚かずいう解釈の受け手になるだろう。母の䟋でいうならば、産む行為の埌に母であるずいう事実は生たれる。だが、そこには、正しい、良い、ずいったものを過去から刀断するこずはできなくなる。そこにあるのは、珟圚の関係ず未来から刀断されるものぞず倉わっおいくのである。
 「䜕者か」になるこずによっお私たちを぀なぎずめる物語から離脱するこずができるのである。

 アンシヌの探究の物語ずは、りテナを探すずいう行為から、りテナを探す存圚ぞずアンシヌを瞛り付けるだろう。それは行為がアンシヌを王子様であるず解釈するこずを確かに蚱しおしたう。王子様の物語は既に砎壊しおしたっおいるのだから、その先には、王子様であるこずの倱敗が玄束されるだろう。その時、新たにアンシヌの行為が始たる。この行為によっお王子様であるずいう物語から離脱できるのである。
 アンシヌずは、これから倱敗し続ける䞭で、垞に自分を固定する存圚から離脱できるこずを玄束される存圚になるのである。

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