国ごとで異なる作戦術の発達史を述べたThe Evolution of Operational Art(2010)の紹介
作戦術(operational art)は戦略と戦術の間に位置づけられる戦力運用の術であり、個々の戦闘を超えた戦役における部隊の行動を考察の対象とします。作戦術の歴史は19世紀のナポレオン戦争にまでさかのぼることができますが、単線的な発達を遂げたわけではなく、プロイセン(ドイツ)、ロシア(ソ連)、イギリス、アメリカ、イスラエル、中国でそれぞれ異なる複線的な発達を遂げてきました。
オルセンとファン・クレフェルトの『作戦術の発達:ナポレオンから現代まで(The Evolution of Operational Art: From Napoleon to the Present)』は近現代の作戦術の理論と実践の発達を考察した論集ですが、そこでは国ごとの文脈によって多様な発展があったことを明らかにしています。ここではソ連と米国に注目して内容の一部を紹介します。

作戦術の思想には複数の潮流があり、この著作では国ごとによって作戦術の内容がどのように異なる形で発展してきたのかを明らかにしています。その目次は以下の通りです。
序論:ジョン・アンドレアス・オルセン、マーティン・ファン・クレフェルト
1 ナポレオンと作戦戦の夜明け :マーティン・ファン・クレフェルト
2 プロイセン・ドイツの作戦術、1740~1943年:デニス・E・ショーウォルター
3 ロシア帝国とソ連の作戦術、1853~1991年 64:ジェイコブ・W・キップ
4 作戦術とイギリス、1909~2009年:ヒュー・ストラチャン
5 アメリカの作戦術、1917~2008年:アントゥリオ・J・エチェバリア
6 イスラエルの作戦術の興亡、1948~2008年:アヴィ・コバー
7 中国流の戦争:アンドリュー・スコベル
結論:ジョン・アンドレアス・オルセン、マーティン・ヴァン・クレフェルト
最初の章でファン・クレフェルトはナポレオンが自らの司令部を中心にして情報網・通信網を構成した上で、敵を迅速に決戦に追いつめるように自らの作戦命令を分散的に軍団に実行させていたことを述べています(p. 30)。ナポレオンの運用それ自体が直ちに現代の作戦術と連なっているわけではありませんが、これが近代以降の軍人の作戦的な考え方を形作るものであったことは確かです。このように、著者らは作戦術という概念を直接的に使っているかどうかではなく、作戦術という概念を用いて軍事思想史を捉え直すという作業を行っています。
ただ、ソ連の軍事思想はその中でも特に重要です。第一次世界大戦がソ連にとって作戦術の発展の契機となったのは、この戦争のスケールがそれまでよりも大きく、従来の軍事理論を適用するだけでは部隊の運用が困難になってきたことが関係していました。第3章でキップ(Jacob Kipp)がソ連の軍人が「作戦術」という概念を編み出し、戦略上の目標達成のため、それぞれの戦闘部隊が中間的な目標に向かって間断なく行動を継続できる作戦システムを構想したことを詳しく述べています(p. 66)。
作戦術の理論的発展に関与した軍人の中でもミハイル・トゥハチェフスキーの功績は特に大きなものでした。彼は第一次世界大戦と1920年のポーランド・ソビエト戦争の経験を通じてソ連の軍事改革の必要を強く認識していた軍人であり、改革案として260万名の部隊、4万機の航空機、5万両の戦車から構成される大規模な機械化部隊を編成する構想を述べたこともあります(p. 72)。この機械化部隊をもってトゥハチェフスキーは敵の縦深地域に機動的な打撃を加え、第一次世界大戦のような消耗戦略を避け、殲滅戦略を復活させようとしました(p. 73)。
1937年にヨシフ・スターリンが赤軍に対して実施した大粛清によってトゥハチェフスキーは銃殺刑に処せられてしまいますが、その研究成果はすでに理論化・知識化されたので、第二次世界大戦以降の教育訓練でその実践を復元し、さらに発展を加えることが可能であり、冷戦以降には核火力運用も組み入れた作戦術の理論へと変化していきました。
アメリカの軍事思想で作戦的思考はどのように発展したのでしょうか。エチェバリア(Antulio Echevarria)は第5章で第一次世界大戦がアメリカ軍人の考え方にも長期的な変化をもたらし、1919年以降には作戦能力を改善させるための調査研究が活発になったことを論じています。アメリカでは作戦術という概念が用いられたわけではありませんが、作戦術に相当する技術の必要が無視されていたわけではありません。
第一次世界大戦でアメリカ陸軍では上級部隊が作戦命令を完成させ、発行するまでに要する時間があまりにも長いことが問題となっており、多数の部隊の射撃と移動を連携させることの困難さが理解されていました(p. 140)。そのため、司令部の指揮機能を強化する改革が行われていますが、戦間期には航空戦力を空飛ぶ砲兵として位置づけた上で、その火力を敵の前線だけでなく、銃後の工業地帯へ及ぼす戦略爆撃のドクトリンへの支持が集まっており、これがソ連とは異なる展開を見せています(p. 143)。アメリカ軍では、敵国の重要地域を高高度から航空機で打撃して破壊し、敵の抵抗意志を崩壊させるために作戦的思考が用いられていました(pp. 143-144)。
全体として読むと、エチェバリアの評価はアメリカの軍事思想に必ずしも好意的なものとはいえないかもしれません。航空機の機動性と打撃力を重視する考えは、核兵器が登場してからは適用が困難になり、方向転換が必要になったことが指摘されています(p. 154)。
端的に述べれば、冷戦構造の中でアメリカ軍の作戦術は二重の対応をとりました。第一に、従来の手法に立脚しつつ、陸海空の戦力を統合した作戦術を発展させる対応であり、これはエアランド・バトルという構想に行き着き、通常戦力の火力と機動を連携させる方法の基礎として発展しました(p. 155)。第二に、戦争以外の軍事作戦(military operations other than war: MOOTW)と呼ばれる作戦への適用拡大であり、これは予防展開や平和維持、人道支援などの活動から構成される作戦でした(pp. 155-156)。後者は非国際的な武力紛争に対処するMOOTWを作戦術の対象とする意義がありました。
アメリカは冷戦期にソ連から作戦術の概念を取り入れることで、この一連の理論的な発展を遂げており、1990年の湾岸戦争でアメリカの作戦術は国家間の通常戦において有効性を発揮することが示されました。このとき、イラク軍に対して決定的勝利を収めることができたのは、エアランド・バトルを基礎とする作戦術の効果によるところが大きかったとされています。ただし、2001年のアフガニスタン侵攻、そして2003年のイラク戦争では、戦略的な目標を達成するように戦術的な行動系列を形成する作戦術の難しさが改めて浮き彫りになりました(pp. 158-9)。
本書の結論において、ファン・クレフェルトとオルセンは、作戦術の歴史を振り返った上で、エチェバリアが正規戦における敵の軍隊の撃破と、非正規戦への対処という二つの文脈で作戦術が必要になったことを評価しています(p. 233)。このような視点から各国の軍事思想史を捉え直せれば、軍事思想史の内容をより立体的に把握することが可能になるかもしれません。
日本でも作戦術の理論を取り入れる動きが見られるようになっていますが、作戦術という概念を用いるとしても、それは日本の文脈でどのような意義を持つものであるかを相対化して考えることが重要だと思います。そのような相対化を図る際に、この著作で示された成果が役に立つと思います。
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