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アフガニスタンの政治を動かすアヘン産業『砂の上に築かれた国』の文献紹介

アフガニスタンは経済的観点から見て豊かな国であるとは言えません。国土のほとんどが険しい山地であり、水資源の確保や農地開発が容易ではないためです。このような厳しい環境で古くから農民に育てられてきた作物がケシであり、その実から採れるアヘンはアフガニスタンで根強く生産されてきました。

アフガニスタンがアヘンの生産国になっていることは、2001年に米国主導の多国籍軍がタリバンを打倒し、国家建設が始まった当初から研究者の間で問題視されていました。彼らの多くは世界から麻薬を根絶したいと願っていたので、アフガニスタンの国家建設においてもケシ栽培、アヘン生産の取り締まりは重要な課題とされてきました。しかし、それがアフガニスタンの政治と経済に与えている影響は十分に理解されていなかったように思います。

研究者のマンスフィールド(David Mansfield)はアフガニスタンの農村で野外調査を重ねた成果を『砂の上に築かれた国:いかにアヘンはアフガニスタンを蝕んだか(A State Built on Sand: How Opium Undermined Afghanistan)』(2016)で発表しています。彼はアフガニスタンで20年近く調査に従事してきたキャリアがあります。

この著作はケシ栽培をめぐる農民、農村、地元有力者、武装勢力、州政府、中央政府、外国の政治的な利害関係を分析した画期的業績です。アフガニスタン情勢に関心がないという方であっても、政治と経済の関係に興味がある方であれば、一読の価値があります。

David Mansfield, A State Built on Sand: How Opium Undermined Afghanistan, Oxford University Press, 2016.

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目次
1 背景の確認
2 権力、腐敗、麻薬栽培
3 農村の生活と麻薬生産
4 この研究の方法論
5 歴史的概観:国家建設と麻薬製造
6 最貧国への後退:2000/2001年のタリバンによる禁止令
7 ナンガルハール州:モデルとなった州
8 禁止の解除
9 ヘルマンドの食料地帯:複雑な事象に対する技術官僚の対応
10 移り変わる砂:政治地理における運動とケシ栽培
11 結論

アフガニスタンの歴史におけるケシの栽培

アフガニスタンでケシ栽培は生活の糧を得る貴重な手段です。もともとアフガニスタンでケシ栽培が始まったのは1930年代のことであり、当初は政府の許可に基づく小規模な事業でした。

しかし、輸出量が増えるにしたがって、アフガニスタン各地で無許可でケシ栽培を始める生産者が出現しました。米国政府はこの事態に懸念を深め、外交的な圧力をかけてアフガニスタン政府に輸出を阻止させました。

アフガニスタン政府は1945年にアヘンを全面禁止する措置をとり、措置によって対外援助を受け取ることに成功しました。実のところ、実施を伴わない名ばかりの禁止令でしたが、この経験でアフガニスタン政府は外国から援助を受け取る手段としてアヘン生産の禁止令を利用することを覚えたと著者は述べています。

その後もアフガニスタン産のアヘンの流通が止まることはなく、1960年代から1970年代に国際麻薬統制委員会はアフガニスタン政府が国内のアヘン生産を取り締まっていないと非難しました。それでもケシ栽培とアヘン生産は止まることがなく、1970年代にはパキスタンでアヘン生産が禁止されたことを受けて、アフガニスタン産のアヘンはますます国際市場で大きな割合を占めるようになりました。

注目すべきは、1979年にソ連軍がアフガニスタンに侵攻し、それに抵抗する武装勢力が抵抗運動を開始してから、アフガニスタンが世界有数のアヘン輸出国になったということです。この時期にケシ栽培の事業を推進したのは紛争当事者である武装勢力のムジャヒディンでした。

ムジャヒディンは無法状態の中で軍事力を行使して、農家を略奪から保護する役割を果たし、農民はムジャヒディンに保護の見返りを支払いました。戦乱で灌漑施設が破壊されることがあったとしても、ケシは干ばつに強く、生育の管理が容易でした。軽量で輸送しやすく、遠隔地と取引しやすかったことも普及の要因でした。

著者の調査によれば、アフガニスタンではケシの栽培が高地の貧しい農村で始まり、やがて生産力に優れた平地の農村へ広がりました。平地でも大規模なケシ栽培が開始されると、その事業は大きな雇用を生み出すようになり、季節労働者が賃金を求めて遠隔地の農村に出稼ぎに行くようになりました。この出稼ぎ労働者を通じて、ケシ栽培はますますアフガニスタンの各地に広まっていったとも考えられています。

アフガニスタンではアヘンの先物取引を行う「サラーム(salaam)」と呼ばれる金融制度が確立されました。サラームでは、前金を支払って収穫の大部分を手に入れ、価格の上昇したタイミングで売却し、利益を得ることが可能でした。

一部の地域では産業技術の研究開発に取り組む事業者もおり、モルヒネやヘロインなど付加価値が高い商品に仕上げ、ムジャヒディンが支配する国境地帯を通過して国外に輸出しました。

タリバン政権の下で禁止されたアヘンの生産

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