大雨の日、学校は誰のために開いている?
昨日は、大雨。
朝の段階では、僕の住んでいる自治体でも、9時ごろからかなり雨が強くなる予報。
でも、学校を開ける。
おそらく警報も出る。
もちろん、給食のこともある。
保護者の仕事のこともある。
学校を簡単に休みにできない事情があることも分かっている。
でも、ふと思った。
「それでも、学校を開く必要があるのだろうか?」
3時間だけ授業をする
今回・・・
朝、子どもたちが登校する。
1時間目。
2時間目。
3時間目。
そして給食。
その後、保護者への引き渡し。
そんな流れ。
僕は担任ではないので、学級の状況に応じて柔軟に動くというより、決められた授業を担当する立場になる。
そこで、悩ましいのが授業だ。
例えばテスト。
予定されていたテストを実施する。
でも、子どもたちの様子を見ると、どう考えても普段と同じコンディションではない。
欠席も目立つ。
「今日は大雨」「なぜ休みじゃない?」
そんな日にテストをして、果たして普段と同じように子どもの力を測れるのだろうか。
もちろん、テストを延期すれば、その後の授業計画にも影響する。
じゃあ、次の単元に進むか。
でも、次の単元の導入を、こんな日にしたくはない。
「とりあえず3時間授業をする」
ということに、少し違和感が残る。
学校は、誰のために開いているのだろう
もちろん、学校は子どものためにある。
これは間違いない。
でも、非常時になると、いろいろな事情が絡んでくる。
保護者の仕事。
給食。
放課後の居場所。
教職員の勤務。
地域の事情。
学校が担っている役割。
だから、「子どものためだから休校」と簡単には言えない。
それも分かっている。
でも、だからこそ考えたい。
「学校を開けること」と「子どものためになること」は、本当にいつもイコールなのだろうか。
「学校を開ける」が目的になっていないか
今回のように、
「午前中はなんとか授業ができる」
↓
「でも、その後は引き渡し」
という状況。
もちろん、安全を考えた上での判断なのだと思う。
ただ、
「3時間だけ授業をして、給食を食べて、引き渡す」
という形になったとき、
僕は少し考えてしまう。
その3時間は、本当に教育的な価値のある3時間になっているのだろうか。
子どもたちは大雨を気にしている。
欠席者も多い。
普段とは違う空気が学校全体にある。
そんな中で、予定されていたテストをする。
予定されていた授業をする。
予定通り進める。
もちろん、「予定通りに進めること」も大切だ。
でも、教育って、それだけではないと思う。
休校は「教育をしない」ということではない
「休校」と聞くと、
学校を休む。
授業がなくなる。
学びが止まる。
そんなイメージがある。
でも、僕はそうではないと思う。
むしろ、
「今日は学校で学ぶことよりも、安全を優先する」
という教育的な判断なのではないか。
大雨の日に無理に登校させない。
危険な時間帯に子どもたちを移動させない。
先生たちも安全に対応できる環境をつくる。
そして、天候が落ち着いたら、改めて落ち着いた環境で学ぶ。
それも学校の役割だと思う。
地域差があることは、悪いことなのか
もちろん、地域によって事情は違う。
山がある。
川がある。
海がある。
通学路が違う。
交通事情も違う。
だから、全国どこでも同じ基準でなければならないとは思わない。
むしろ、地域の実情に合わせて判断することは必要だと思う。
ただ、
「地域差があること」と「判断が曖昧であること」は別だ。
ここは分けて考えたい。
例えば、
「この警報が出たら休校」
「この時間帯に危険が予想されるなら前日に判断」
「この条件なら午前授業」
というように、ある程度の基準が明確になっていれば、保護者も学校も判断しやすい。
先生たちも、
「明日はどうなるんだろう」
と夜遅くまで気にし続けなくていい。
子どもたちも、
「明日、学校あるのかな」
と不安にならなくていい。
非常時だからこそ、ぱっきりとした判断が必要なのではないだろうか。
「だるーんとするくらいなら、ぱっきり休校」
僕は、今回のことを考えながら、
そんな言葉が頭に浮かんだ。
「だるーんとするくらいなら、ぱっきり休校にした方がいいんじゃない?」
もちろん、
「先生が楽だから休校にしよう」
という話ではない。
そうではなく、
子どもたちにとっても、先生たちにとっても、中途半端な教育活動をするくらいなら、一度きちんと止める。
という考え方だ。
学校は、毎日開いていることそのものに価値があるわけではない。
子どもたちが安全に過ごし、
安心して学び、
先生たちが教育活動を行える。
そのために学校がある。
だったら、
学校を開けないことが、子どものためになる日があってもいい。
そう思う。
学校は誰のために開いているのか
結局、この問いに戻ってくる。
学校は誰のために開いているのだろう。
子どものため。
もちろん、それが一番だ。
でも、保護者のためでもある。
地域のためでもある。
先生たちのためでもある。
だからこそ、どれか一つだけを優先するのではなく、
「学校という場所を、どうすれば安全で意味のある場所として維持できるのか」
を考える必要がある。
大雨の日。
3時間だけ授業をして、給食を食べて、引き渡す。
それが本当に最善なのか。
あるいは、
「今日は休校です」
と、はっきり決める方がいいのか。
正解は、地域によって違うのかもしれない。
でも、少なくとも僕は、
「学校を開けること」そのものを目的にしてはいけない
と思っている。
学校は、開けるためにあるのではない。
子どもたちのためにある。
その原点から、非常時の学校のあり方をもう一度考えてみてもいいのではないだろうか。
