【香港滞在記7】アジア最強の金融ハブはなぜ生まれたのか?―歴史、ドルペッグ制の戦略、金融管理局視察から考えたこと #554
「金融」軸で読み解く香港の都市設計
今回の香港渡航には、明確なテーマが一つありました。それが「金融の現場を肌で学ぶこと」です。
世界屈指の国際金融都市として名高いシンガポールと香港。日本・東京も長年「アジアの国際金融シティ」を目指すと言い続けていますが、先行するトップランナーの背中は依然として遠いのが現実です。彼らは一体どのような歴史をたどり、どんな仕掛けと戦略をもってそのポジションを築き上げたのか。
実際に街を歩き、現地の歴史資料や金融の中枢機関を訪れてみると、単なる机上の知識では見えてこない、極めて合理的でダイナミックな都市の設計思想が浮かび上がってきました。香港が金融ハブとして機能するに至った歴史的背景と、街の随所に散りばめられた合理的な仕組みについて、詳しく紐解いていきたいと思います。
今回は3つの歴史博物館、金融街のフィールドワーク、金融管理局への訪問、金融機関で務める方とのコミュニケーションを通して、多角的に考える機会をいただきました。

金融管理局のビルから撮影
1. 港と決済――東西を問わない「金融発祥の原則」
なぜ、香港はこれほどまでに強大な金融ハブへと成長できたのでしょうか。その源流をたどると、原点はきわめてシンプルです。それは「貿易港」としての歴史にあります。
かつてイギリスの租借地となった香港ですが、それ以前から中国本土と世界をつなぐ海上交易の要所として機能していました。アヘン戦争前後の歴史を持ち出すまでもなく、海外から物資を運び入れ、中国本土へと流通させるルートにおいて、香港の港は地理的に極めて重要な結節点だったのです。同じくアジアの金融センターであるシンガポールが、マレー半島の先端で東西貿易の中継地点として栄えたのと全く同じ構図と言えます。
港に船が集まり、貿易が活発になれば、そこには必ず「決済」が発生します。
物資を右から左へ動かすだけではビジネスは成立しません。異なる通貨の両替、遠隔地への送金、売買代金の清算といった決済機能がどうしても必要になります。そして、決済が大量に発生する場所にこそ両替商が生まれ、やがて強大な金融機関へと発展していく――これは洋の東西を問わない歴史の普遍的な原則です。
日本を振り返ってみても同様の歴史があります。
江戸時代、天下の台所と呼ばれた大阪には商人たちの物流ネットワークが集まり、米や生活必需品のやり取りを支えるために「三井両替店(のちの三井住友銀行の源流の一つ)」をはじめとする大規模な両替商が発達しました。江戸と大阪の間で現金を安全に運ぶ代わりに為替手形を振り出す仕組みを整え、商業を支えたのです。また、地方銀行の雄である横浜銀行も、横浜港の開港に伴う生糸貿易などの決済需要を支える過程で強固な基盤を築きました。
香港もまさにこの原則のど真ん中を進んできました。港の発展とともに決済機能が集中し、決済が集まる場所に銀行が育ち、金融のインフラが盤石なものとなっていく。香港が持つ「金融ハブ」というアイデンティティは、偶然生まれたものではなく、港湾貿易と不可分に結びついた必然の歴史が生み出したものなのです。

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