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34歳を迎えて

9月10日、私の誕生日である。
よくこんなに自由に生きてきて、34歳を迎える事ができたかと思う。
結婚し、子供を2人育てているなんて信じられない。

私がこんなに自由でいられるのは、家族のお陰である。
特に奥さん。
全ての行動を許してくれている。

私は高校を卒業してすぐ消防士になった。
その時に付き合っていたのが今の奥さんである。
私は消防士の仕事を続けていく内に、今のままでいいのか?自分の本当にやりたい事ってなんだろう?と考え始めた。

休日は音楽を聴いたり映画を見ていた。
その中で、自分も人を感動させる仕事がしたいと思った。
役者ならできるんじゃないか?
そう思い、消防士を辞め、ヒューマンアカデミー仙台校に入学した。

そこで野々下孝さんを始め、様々な表現の講師の方と出会い、表現することの楽しさや豊かさを学んだ。

仙台にいた時も遠距離で今の奥さんとは付き合っていたが、私は東京で役者として売れたいと思い、今の奥さんと一度別れ、上京する。

上京してからはアルバイトの日々だった。
箱に詰まったバナナを運ぶ仕事、居酒屋、出版社のアシスタント、コールセンター、システムエンジニア、YouTubeの会社、様々なアルバイトを経験した。

その中で、小劇場やショートフィルムに出演した。
が、その中で脚本の手直しをしたくなってしまった。
そのような状態で出演し続けるのはなんだか気持ちが悪く、自分で脚本を書いてみる事にした。

それが演劇ユニット黒虹サンゴ旗揚げの理由である。
脚本家・演出家としてのデビューである。

そこで公演を重ねていく内にミュージックビデオの監督などの仕事や、高校生の演劇部から上演依頼を頂いたり、外部の脚本・演出を担当したり、ラジオに出演させて頂いたりなど、様々な機会を頂いた。

必死に自分の好きな事を追求していった結果である。
しかし、第3回公演「才能だとか、何とか。」にて大きな借金を抱えてしまう。その後、自身が精神的に病んでしまい、仕事をせずに親戚の叔父の家に逃げ込む。大変救われた。
ただ誰かとご飯を食べて、眠る。
これがこんなに幸せな事だとは思わなかった。

回復した後、ひとまず借金を返すためにひたすら働いた。
長年働いていた居酒屋や解体業など。

その辺りに家の契約があった。
私の名義で購入した青森の家を売却するという話だ。
妹も上京し、母も再婚するため、その家を売却する。
契約者である本人がいないと契約ができない。
なので、私は一旦青森に帰った。

その時に友人も交えて、今の奥さんと会った。
居酒屋で話をし、カラオケに行き、とにかく楽しかった。

東京に戻ってから、今の奥さんの事を思い出した。
連絡しようか迷ったが、また振り回してしまうかと思い、連絡はしなかった。
すると、彼女から連絡がきた。
電話で彼女はこう話した。
「半分冗談で半分本気で聞いて欲しいんだけど、結婚しませんか?」
私は当たり前のように「いいよ」と返した。
当たり前の会話のようにその時は返事した。
後になって、これは物凄い事が起きているんじゃないかと実感した。

その後、親戚周りに挨拶し、結婚した。
借金を返すために昼夜問わずに働く私を見て、奥さんが借金をひとまず立て替えてくれた。

そして、コロナ禍になり演劇を行う事ができなくなり、就職しようかなと思うのだが、そこで内田さんという映像制作会社の社長にYouTubeの会社を紹介してもらう。

そこで映像編集を学んだ。
やっていく内に信用を掴み、脚本や構成でも関わらせてもらうようになった。
またそこでショートドラマの監督・脚本を担当させてもらった。
大変ありがたい経験を積ませてもらった。

またコロナ禍に行っていた舞台公演などの助成金を使用し、公演や映像演劇を制作し、奥さんへの借金は払い終えた。

そこで私はフリーで活動するようになり、作家事務所を探してシナリオ作家集団トキワに加入する。

セクシー女優さんを主演にしたYouTubeドラマや、人気VTuverさんの舞台公演の脚本を担当したり、プロフェッショナルランキングという番組にコメントが掲載されたり、企画書を提出したりなどなど。

行ったが食っていくのは難しかった。

そこで、奥さんが私が働くと言った。
奥さんが就職し、家の収入源は増えた。
私は自由に活動させてもらった。
そして、家の家事や育児は主に僕が担当するようになった。
2人目の子供も産まれた。

実家の畳屋のYouTubeやSNSを運営したり、脚本家のラジオを配信したりなどなど。コンテストに応募したが芽は出なかった。

私がコンテストで受賞したのは唯一、コロナ禍に製作した「わたし、の、せかい。」である。

門真国際映画祭2021舞台映像部門にて優秀作品賞、最優秀主演女優賞を受賞した。

しかし、脚本家として演出家としてディレクターとして、まだ芽は出ていないように感じている。

才能の限界なのだろうか。
そろそろ潮時なのだろうか。
これが最後になるかもしれない。
今年の春先である。

私は短編映画の撮影や脚本のワークショップ、アニメの企画書やテレビへのコメントなどの仕事をしながら家事育児をしていた。

その中で、不眠不休で酒を飲みながら仕事をしていたら、双極性障害という精神疾患に罹ってしまった。

一ヶ月ほど入院し、現在は寛解状態という病気が一時的に治った状態である。
だが、いつまた波がやってくるかはわからない。
それがこの病気の恐ろしい所だ。

しかし、寛解はした。

今はウーバーイーツのアルバイトをして資金を貯めている。
来年行う黒虹サンゴ復活公演のための活動資金だ。
これが最後のチャンスかもしれない。

この公演がうまくいかなかったら、私は就職するだろう。
家族のためにも、自分の才能の限界を知るためにも。

しかし、逆転劇はある。
コロナ禍に借金を返し、賞を獲ったように。

病気になり、地獄のような生活を送ったが、ここから逆転する。

黒虹サンゴ復活公演「私の娘はピンサロ嬢-白-」是非、楽しみにしてほしい。人生を賭けた公演になると思う。

来年2月18日(木)〜2月21日(日)

スケジュール空けといてくださいませ。

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