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他人への罵倒は自分の愚かさを覆い隠す


1. 罵倒の多い社会になってきてやしないか


悪いことをしたら謝る

このこどもでもわかるし実践できる、人間社会を生きていく上で基本的かつ当たり前の行為が、

今の世の中を見ているとできなくなっている大人がとても増えてしまっているような印象を持っています。

その大きな理由として私は世の中が「罵倒しやすくなった」ことが挙げられるのではないかと私は考えています。

なぜ罵倒しやすくなったかと言われれば、ご存知のようにネットやSNSの文化が普及したことが極めて大きいのではないでしょうか。

ネット以前の時代であれば、まず人を罵倒するような場面は、

面と向かってパワハラ的に行われる場面と、当人のいないところで陰口的に行われる場面の大きく2種類しかなかったはずです。

前者については、昭和の時代のガンコ親父のようなイメージで、今から見れば乱暴に思える節もあるかもしれませんが、「叱りつけ」という教育的な側面もあったようにも思えます。

ある意味では正々堂々と罵倒しているとも言えるかもしれませんが、

大多数の罵倒は、おそらく面と向かってではない場面で、陰でひっそりと行われていたはずです。

なぜならば本人が目の前にいない状況であれば、人は罵倒しやすいからです。思い当たる節のある方も多いのではないでしょうか。

ところが、ネットやSNSの普及により、まずは誰もが大量の情報へのアクセスが容易にできるようになりました。

同時に、それ以前は交流することの決してできなかった専門家や著名人などと一般の人達が、実名・匿名も含めて気軽に交流できる場が生み出されてきました。

その大きな社会状況の変化によって、昔であれば年配のガンコ親父というだけで、あるいは偉い専門家の先生というだけで権威が保たれていたようなことが、

一般人が専門的な情報にアクセスすることで、あるいはその権威的な存在とやりとりすることができる環境があることで、

権威の不備を、一般人が直接指摘しやすい状況が生み出されました。

専門家が権威にあぐらをかいていると、その不備を聡明な一般人が見事に指摘できるくらい情報はふんだんに与えられるようになりました(※一方で、その情報の多さが、人々を安易な判断に導くジレンマもありますが、趣旨がズレるのでここではあえて深入りしません)

しかもSNSの場合は、匿名を維持したまま、権威へ不備を指摘することができる状況まで備わっています。

この環境変化が、従前ではほとんどあり得なかった、「自分のことを知られずに本人を直接罵倒する」という新たなパターンを生み出したと思うのです。


2. 罵倒のメリットとデメリット

本来であれば、罵倒はリスクのある行為です。

一点の曇りもなく、相手の非を認めさせるようなことでもない限り、罵倒を受けた相手は負の感情を抱え込むだけですし、

むしろ新たな火種を生み出す可能性が高く、多くの場合、何も良いことはないはずです。

昔は不完全な論旨で罵倒していたとしても、権威や上下関係で押し通されていた側面もあるかもしれません。

ところが、そんなリスクのある罵倒にはもう一つの側面があります。

それは「罵倒している本人はとても気持ちがいい」ということです。

だから、冷静になるとリスクだらけの罵倒行為を、その気持ちよさに魅せられた人は何度も何度も繰り返します。

近年のSNSを見ていると、特に匿名性の高いX(旧Twitter)を見ていると、必ずと言っていいほど罵倒に遭遇します。

なぜここまで、罵倒が頻発するのかと思うほどです。

その理由は罵倒の気持ち良さのみならず、きっと自分が安全圏から相手を罵倒できるという心理的安全性、

いわゆる「丘の上から石を投げる」という状況がこの罵倒の多さを促進しているとも言えるのではないでしょうか。

しかし、そのような安全圏からの罵倒であれば、

自分が罵倒されたとしても、嫌になればSNSから離れればいいだけですし、

なんだったらミュートとかブロックなどという便利な機能まで備わっています。

なので罵倒したいだけ罵倒しても、自分が気持ち良くなるというメリットは確実に得られるし、別に何もデメリットはないと思うかもしれません。

しかし、罵倒には忘れてはならない究極のデメリットがあると私は思っています。

それは「自分の愚かさを覆い隠してしまう」ということです。


3. 罵倒の誘惑に負けないように生きていく

「罵倒」というときつい言葉のイメージなので、そこまでのことをしているつもりはない人が大半でしょうし、

「今から罵倒をしよう」と思って罵倒をしている人はおそらく一人もいないでしょう。

でも、最初は軽い批判のつもりだったかもしれないけれど、いつしかやりとりをしていく中でヒートアップして、言葉が次第にきつくなり、

ここで書くのもはばかられるような口汚い表現が飛び交う状況が、SNSの世界では現在進行形で繰り広げられているのではないでしょうか。

その結果、自分では罵倒しているつもりはなくても、第三者から見ればどう考えても罵倒にしか思えない言葉を発してしまう人が絶えません。

これはある意味で人間の「気持ちの良いことを追い求める」という本性に沿っている行動なので、

ネットやSNSが普及した時点で、避けようのない現象だったのかもしれません。

しかし考えてみてもらいたいのは、「他人をさんざん罵倒しておいて、自分が同じような罵倒を受けた時に素直に謝ることができるか」ということです。

具体的に言えば、「お前は思考停止のバカだ」みたいなことを普段からさんざん言ってきた人が、

ある時、全くの別角度から自分が「思考停止である」ということを論理的に指摘された場合に「すみません。私は思考停止になっていました」と相手に謝れるのか、ということです。

それとこれとを切り分けて謝れる人は素晴らしいと思いますが、私が見る限りそんな人は超がつくほどレアだと思います。

そもそも人間は完璧ではありません。間違いや思い込みで適切な選択ができないことなんてザラにあります。

その時に、普段から他人を罵倒し続けている人が、その過ちを素直に認めることができるかという話なんです。

特に男性はプライドが邪魔をして、そんなことができなくなっている人が多いように感じています。

だからこそ、私もなるべく罵倒にはならないように言葉遣いを自分なりに心がけています。

誤解のないように言いますと、だからと言って他人を批判するのは御法度だというつもりはありません。

立場による違いはあるとは言え、大多数の人にとってどう考えても間違っていると言えることは確実にあると思いますし、

それを指摘し是正すること自体は社会全体にとって必要な行為であるはずです。

ただ、もし他人を批判をするのであれば、自分に跳ね返ってきたとしてもいいと思える表現で行うということ、

そしてもし自分の批判が根本的に間違っていたり、自分の行為のおかしさを論理的に指摘され納得できる場合は、

こども達に誇れるように「悪いことをしたら素直に謝れる人間でありたい」と私は考えています。

考えてみれば、昔は限られた場面でしか繰り広げられなかった罵倒が、

ネット・SNS普及以降に生まれたこども達にとっては、より罵倒のありふれる環境しか知らないという前提になっているのかもしれません。

こどもの自殺者数が年々増えているとも聞きます。

もちろん罵倒だけがすべてではないということも承知の上ですが、

少なくとも無益な罵倒で心を病んでしまう人がたった一人でも少なくなるように私はしたいです。

とはいえ、自分もあまりにも酷い人を罵倒したくなる衝動に駆られますし、偉そうなことを言えるほど実践できているとは言えませんが、

罵倒の心地よさに負けないよう、罵倒よりも礼節を保った批判を心がけ続けようと私は思います。

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