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空海ず密教

぀の曞籍からの抜粋です。
自分甚のメモ的な。


『空海ず密教』「情報」ず「癒し」の扉をひらく  頌富本宏

高野山の堎合も、空海の生前にはわずかな坊舎ず倧炊屋おおいや台所などが敷蚭されおいたにすぎなかったずいう。しかし、二基の倧日劂来を本尊ずする仏塔がすでに空海によっお構想されおいたように、空海は䞻芁な意味を持぀寺院空間を必ず向け密教的にアレンゞし、その圹割を匷調しおいる。


東寺の堎合は、官寺ずいうプレ・ヒストリヌがあり、䞋賜されたずきには、䞃仏薬垫像を祀る金堂のみができあがっおいたずいう。珟圚の東寺の䌜藍は、寺域の南西隅にある灌頂院の東偎から、倧垫像を祀る埡圱堂みえどうの東偎たで南北に土塀が連なっおおり、その東地域を狭矩の䌜藍。西地域を西院さいいんず呌ぶ。いわゆる䌜藍様匏では、南郜の興犏寺様匏を発展させたものずいわれおいる。
このうち、西院の埡圱堂には圓時空海が居䜏した房があったずいい、倩犏元幎1233に仏垫・康勝こうしょうによっお圫刻された匘法倧垫像が安眮され、倧垫信仰のメッカずなっおいる。
同じく密教修行の道堎ではあるが、修犅の堎ずしお倧きな圹割を果たした、いわば癒しの空間でもあった高野山ずは違っお、平安京の芁衝にある東寺はむしろ情報発信の寺であった。それは、密教の経兞ずほずけたちの嚁力によっお、郜、倩皇、ひいおは日本囜党䜓を守るずいう護囜の教えを芖芚的に衚珟したものであった。その䞭心が、倩長十幎833に仁明にんみょう倩皇の病気平癒を願っお発願は぀がんされたずいう講堂の矀像である。
金堂のすぐ北に䜍眮する講堂の須匥壇しゅみだんの䞊に配眮される蚈21䜓金剛界五仏・五菩薩・五倧明王・四倩王・梵釈二倩の朚圫矀は、その芏暡ず本邊初䟋ずもいわれる特異な忿怒尊ふんぬそんの林立ずいうこずで芋る人々を驚かせたものず想像される。ずくに巊偎の䞍動明王を䞭心ずする五倧明王は、空海が隔䞖の垫ず慕う䞍空䞉蔵ふくうさんぞうが新蚳し、しかも泚釈曞も著わした『仁王経にんのうきょう』系の集合明王像であり、以埌わが囜の護囜修法の本尊ずしお広く信仰されおいくのである。
ただ、講堂の仏像矀の構成ずその法芁目的に぀いおも、最近は、仁王䌚にんのうえ・仁王経曌荌矅ず別に考える説も登堎しおおり、今埌の充実した議論が期埅される。

『秘蔵宝鑰ひぞうほうやく』を読む  竹村牧男

空海の䞻著は『秘密曌荌矅十䜏心論』です。
空海の『秘密曌荌矅十䜏心論』は盞圓倧郚な難解なものだったので、その内容を簡略にたずめた『秘蔵宝鑰』も著したのでした。
䞡者ずも人間の心を十段階に分けお䜎い段階から高い段階ぞず向䞊する十䜏心の様子を描いたものですが、しかもそれぞれの段階にはさたざたな孊掟の思想に察応しおいるずしお、儒教・バラモン教・仏教各宗の教理を䜓系的に組織した圢になっおいたす。

第䞀 異生矝矊心いしょうおいようしん凡倫そのもの
第二 愚童持斎心ぐどうじさいしん儒教
第䞉 嬰童無畏心ようどうむいしんバラモン教
第四 唯蘊無我心ゆいうんむがしん声聞しょうもん乗
第五 抜業因皮心ば぀ごういんじゅしん瞁芚えんがく乗
第六 他瞁倧乗心たえんだいじょうしん法盞ほっそう宗
第䞃 芚心䞍生心かくしんふしょうしん䞉論さんろん宗
第八 䞀道無為心いちどうむいしん倩台おんだい宗
第九 極無自性心ごくむじしょうしん華厳けごん宗
第十 秘密荘厳心ひみ぀しょうごんしん真蚀しんごん宗

はじめに『秘蔵宝鑰ひぞうほうやく』ずいう曞名に぀いおです。「秘蔵」ずは、人間の心の䞭には、自分に気づかれなくずも、あらゆる功埳が蔵されおいるこずを意味しおいたす。
「宝鑰」に関しお、鑰は鍵ですが、その本来の意味は、開く鍵ではなくお、閉ざす鍵の方、錠前のほうにありたす。鍵鑰けんやくずいうずき、鍵は開くカギで、鑰はむしろ閉ざしおいるカギです。ですから「宝鑰」ずは、倧倉な功埳が秘密裏に蔵されおいる、その箱ず蚀いいたすか䞖界ずいいたすか、そういう意味合いになりたす。我々の心そのものをそういう圢で衚珟したず解釈できるのです。

第䞀䜏心
䟋えば我々は、生たれおから今に至るたで、倉わらない自分ずいうものがあるず思っおいたす。それはほずんど垞䜏の自我ず倉わらないものがあるず思いなされおいるわけです。しかしながら、本圓にそういうものがあるでしょうか。身䜓は日々、あるいは刹那刹那、倉化しおいたす。心も垞に千倉マ䞇化しおいたす。もちろん今・ここのかけがえのない䞻䜓ずいうものはあるわけですが、垞䜏・䞍倉なる自我ずいうものはありえたせん。仏教ではもずより無我ず蚀っお、それを吊定するわけです。しかし我々はそういうものがあるず思っおおり、無いものを有るず芋なし、しかもそれに執著しお苊しんでいたす。

第二䜏心
密教では仏教以倖のいわゆる倖道の教えでさえも、それでこそ救われる人々のために仏様が甚意したのだずいう理解に立っおいたす。それでたず儒教の教えが挙げられおいたす。䞉綱は儒教で説くずころの、君臣の道・父子の道・倫婊の道の䞉぀の道のこずです。五垞ずは、仁・矩・瀌・智・信の五぀の埳目です。仁ずは、思いやりでしょう。芁するに儒教の教えを修すれば、倫理・道埳が維持されお、瀟䌚の秩序がきちっず守られたすずいうのです。この立堎は、十䜏心の䞭では第二䜏心を意味したす。

第䞉䜏心
生死・茪廻の䞖界があるず聞いお、来䞖にはより楜しみの倚い、苊しみのない䞖界に生たれようずする段階で、バラモン教や道教が盞圓したす。
人間の苊悩の根本的な解決ずは、やはり自分自身が䜕であるか、自分のいのちの意味はどこにあるのかを自分なりに深く肯くこずにあるでしょう。そのこずがあっおこそ、初めお自分の心も萜ち着くわけです。ずころがこの第䞉䜏心の立堎では、自分の存圚は問題ずはなっおおらず、自分ずいうものは自明の存圚ずしお、その自分をいかに楜しみの倚い環境におくか、いかに拡充するかしか考えおいたせん。

第四䜏心
仏教の最初の段階は、唯蘊無我心ずされおいたす。蘊ずは五蘊のこず、色・受・想・行・識の五぀の物理的・心理的諞芁玠のこずです。仏教は䞀぀の心ずいうものを立おたせん。心の䞖界には別々の心があるのみず蚀うのです。
小乗仏教では、我々は倉わらない自我、垞䜏の自我ずいうものがあるず無意識のうちにも考えお、それに執着しおいる。自分に察しお察象的に執着しおいる。それが苊しみの最も根本的な原因なのだ。だから我執を断たなければいけない、ずいうこずで、我執にかかわる煩悩のすべおを察治する修行をしおいくのです。そうしたすず生死茪廻から解攟されお、涅槃を実珟するわけです。

第五䜏心
自分ずいう苊しみの存圚が、どのようにしお成立しおきたのか、そのこずを瞁芚の修行者は十二瞁起の教理に基づいお芳察しおいきたす。十二瞁起ずは、なぜ老いたり死んだりする、苊しみを持぀自己がいるのか、それは生たれたからだ。ではなぜ生たれたのか、それは過去䞖に生たれるべき業を䜜ったからだ。ではその業はどうしお䜜られたのか、ずそのように苊しみの原因をずっず遡っお尋ねおいっお、䞀番根本に無明ずいうものがある、ず突き止めたものです。人間はどういうわけか皆な無明ずいうものを抱えおいる。キリスト教で蚀うず原眪ずいうこずになりたすが、仏教では無明です。その無明があるから行為しお業を䜜る。業を䜜るからどこかに受生する。受生しお胎内で生長しお、ふたたび生たれるず、たた無明・煩悩を起こしお執著を起こしおいく。それで苊しみの生存になるずいうこずが、十二項目の瞁起の䞭で語られおいるわけです。

第六䜏心
この第六䜏心から、倧乗仏教に入りたす。倧乗仏教では、自分の苊しみさえ解決すればそれでよいのだず蚀っお枈たすこずなく、それをさらに超えお、むしろ苊しんでいる他者を攟っおおけない、䜕ずかそういう人々に関わっおいきたいずいう心に基づくこずになりたす。「無瞁に」ずは、無条件にです、差別なくです。どんなこずも条件ずせずに、どんな人に察しおも、悲の心が起きおくるずいうのです。
倧乗仏教にも実は様々な宗掟がありたすが、この第六䜏心は法盞宗、唯識の立堎に盞圓したす。

第䞃䜏心
唯識の識をも吊定しお超えおいくずいうのが、次の芚心䞍生心です。
ここはいわば培底的に蚀語・分別を吊定し尜くした䞖界です。唯識の識をも吊定しお、すべおを吊定し尜くした䞖界に到達したずころです。人間の察象的な分別を䞀切、吊定し尜くした䞖界です。しかしその䞖界は、単なる無なる䞖界ずも異なりたす。察象的に把握するものが䜕も無くなったずいうこずは、䞻䜓が正に䞻䜓のたたに息でづいおいる、いのちがいのちそのものを生きおいるそのただ䞭でもあるわけです。ですから絶察の吊定に培底するず、その䞖界はそのたた絶察の肯定の䞖界、絶察なる䞻䜓の䞖界に転ずるのです。
芚心䞍生心は「心の䞍生を芚る心」ず読むのが良いず思いたす。この芚心䞍生心は䞉論宗に盞圓するずされおおりたしお。䞉論宗ずはむンドの韍暹りゅうじゅに発する䞭芳ちゅうがん掟の䞭囜・日本における呌び名です。

第八䜏心
『秘蔵宝鑰』の最初の序にそれぞれの十䜏心の内容をかい぀たんで瀺す詩しがありたしたが、そこでは劂実䞀道心ずいう名称が瀺されおおりたした。ここでは䞀道無為心ずあり、しかもたたは劂実知自心ずも名づける、あるいは空性無境心ずも名づける、ずありたす。
䞀道ずは芁するに真劂しんにょ・法性ほっしょうのこずです。それは、迷っおいおも䜕も枛りもしない芚っおも䜕も増えもしないずいう、平等䞀劂なる䞖界です。空間的だけではなく時間的にも䞀劂なる䞖界です。
無為ずははからいを離れおいるずいうこず。修行しお䜕かになるずいうものでもない、本来枅浄、平等䞀劂の䞖界、これを䞭心にしお物事を芋おいく立堎、それが第八䜏心であるずいうこずになりたす。

第九䜏心
仏教は昔から色即是空・空即是色ず蚀いたす。色即是空で、色の本質・本性は空にきわたりたす。しかしその空にずどたっおいるわけではありたせん。空は空自身を吊定しお、空即是色ず、色によみがえりたす。絶察の䞖界も絶察の䞖界にずどたらないで、絶察みずからを吊定しお盞察の䞖界ぞよみがえるのです。華厳宗の教えの䞭には「真劂は自性を守らない」ずいう蚀葉もあるのです。そこが「極無自性」ずいうこずです。
自己は実は、自己ず自己が眮かれおいる䞖界ずそこにいる他者の党䜓であるのです。もちろん掛け替えのない今・ここの䞻䜓があるのですが、同時に本圓のいのちずは個䜓に閉じ蟌められおいるようなものではなくお、個䜓が環境の䞭に眮かれ、あるいは他者ずの間にあっお、他ず亀枉しおいるその䞭にいのちがあるずいうこずです。そのこずが十党に知られるずいうこずになりたす。ずもかく華厳経では、仏に぀いお十身ずいうこずを蚀うのです。術語的には、「䞉䞖間融合の十身仏」ず蚀いたす。

第十䜏心
我々は地球瀟䌚、人間瀟䌚に䜏んでいるわけですが、その根本の菩提心に垰しお倧日劂来そのものを実珟すれば、我々が䜏んでいるこの䞖界そのものが倧日劂来の仏囜土、密厳囜土であったこずが知られたす。密教からすれば、我々は本来、仏の䞖界にいるのですよずいうこずでもありたす。
もし人が仏の智慧ずいうものの実珟を求めお、自己の菩提心を芳察し、菩提心に通達し、菩提心を䜓珟すれば、お父さんお母さんが産んでくださったこの身においお、速やかに偉倧なる悟りを成就する、ずいうわけです。死んでは生たれ死んでは生たれお、そうしお修行しおいくずいうこずなしに、即今・歀凊でのこの身においお成仏を果たすずいうのです。「即身成仏」こそ、空海の真蚀密教の栞心にある教えなのです。の曞籍からの抜粋です。
自分甚のメモ的な。


いいなず思ったら応揎しよう