「まだ家族なんだ」と気づいた、ディズニーシーでのこと
先日、結婚して横浜に住んでいる娘と、東京ディズニーシーへ行ってきました。
娘と二人で旅行をするのは楽しいものです。
けれど私は、娘が結婚してから、ときどき寂しさを感じるようになりました。
娘にはもう、娘の家庭があります。
一緒に暮らしていた頃とは違います。
何かを決めるときに相談する相手は、もう私ではないのでしょう。
それは当たり前のことです。
娘が自分の家庭を持ち、幸せに暮らしているのだから、母親としては喜ぶべきことです。
それでも心のどこかで、
「私の役目は、もう終わったのかな」
「私はもう、娘の家族の中から外れた人なのかな」
「私の人生の家族というステージはもうないのかもしれない」
そんなふうに思うことがありました。
タートル・トークで出会った親子

ディズニーシーで、娘と「タートル・トーク」に入りました。
映画『ファインディング・ニモ』に登場するウミガメのクラッシュと、観客がお話をするアトラクションです。
客席には子どもたちが多く、みんな元気いっぱいに手を挙げていました。
私は娘が小学生くらいの時のことを思い出していました。
クラッシュは、観客の中から質問したい人を選び、その質問に答えていきます。
最初の子どもが選ばれ「海の中で一番早い魚は何?」と聞いていて、とても微笑ましい気持ちになりました。
次に、ある若い女性が選ばれました。
その女性は、1週間後に結婚するのだそうです。
その女性は、お父さんと一緒にディズニーシーへ来ていました。
「娘が結婚することをお父さんが寂しがっている。元気がなくなっているので、励ましてほしい。」
彼女は、そのような話をクラッシュにしました。
クラッシュは、お父さんに声をかけました。
会場は祝福に包まれていましたが、私は少し笑えませんでした。
そのお父さんの気持ちが、よく分かったからです。
娘が結婚することは、うれしい。
けれど、寂しい。
娘には新しい家族ができて、自分は少しずつ遠い存在になっていくように感じる。
そのお父さんも、もしかすると私と同じような気持ちなのかもしれない。
そんなことを考えていました。
「家族と来ている人は、ひれを上げて」
やがて次の質問者を選ぶために、クラッシュが観客に尋ねました。
「今日は家族と一緒に来ている人は、ひれを上げて」
子供達が「はい。」「はい。」と手を挙げています。
私は、何の気なしに隣にいる娘を見ました。
娘は、まっすぐ手を挙げていました。
その姿を見た瞬間、胸の中が温かくなりました。
娘は、今でも私のことを家族だと思っている。
考えてみれば、当たり前のことなのかもしれません。
結婚したからといって、娘でなくなるわけではありません。
新しい家族ができたからといって、以前の家族が消えてしまうわけでもありません。
けれど私は、自分から勝手に境界線を引いていたのです。
娘にはもう娘の家庭がある。
私は役目を終えた。
もう別の家族なのだと。
娘はそんなことを一度も言っていないのに、私が一人で寂しくなっていました。
家族は、入れ替わるものではない

子どもが大人になり、結婚すると、親子の関係は少しずつ変わっていきます。
毎日顔を合わせることはなくなります。
何でも相談されることもなくなるでしょう。
親が手を貸さなくても、子どもは自分で人生を歩いていけるようになります。
それは、親として喜ばしいことです。
ただ、必要とされなくなることと、家族ではなくなることは、同じではありません。
家族は、誰かと入れ替わるものではないのだと思います。
娘に新しい家族が増えても、私が家族でなくなるわけではない。
家族の形が、少し広がっただけなのでしょう。
ディズニーシーで一番心に残ったのは、華やかなショーでも、人気のアトラクションでもありませんでした。
タートル・トークの暗い客席で、静かに手を挙げていた娘の姿です。
娘は特別なことを言ったわけではありません。
ただ「家族と来た人」と聞かれて、手を挙げただけです。
それでも私には、その手が、
「お母さんは今も私の家族だよ」
と言ってくれているように見えました。
私はもう、娘の家族ではないのかもしれない。
そんな寂しさを、長い間、自分の中だけで膨らませていました。
けれど、どうやらそれは私の思い込みだったようです。
私は今も娘の家族です。
そして娘も、ずっと私の家族です。
ディズニーシーで、ウミガメのクラッシュに教えてもらった、大切なことでした。
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