【読書】エルネスト・チェ・ゲバラ『モーターサイクル・ダイアリーズ』
エルネスト・チェ・ゲバラが、1951年から52年にかけて、友人アルベルト・グラナードと敢行した南アメリカの旅の記録。
ゲバラと言えば、革命の闘士のイメージですが、この記録は彼がそうなる前、23歳の医学生のときのもので、少なくとも前半部分からは明確な政治思想みたいなものは感じませんでした。学業をさておいて、単車に2ケツで旅をおっ始めた奔放な青年といった感じです。
ポデローサ2号と名付けられたこのバイクは、英国ノートン社製の1939年式ノートン500という車種だそうです。角川文庫版の写真では車体の一部しか見られなかったため、ネットで検索したら、精悍でめちゃめちゃかっこいいバイクでした。ポデローサというのは「怪力」という意味だそうです。
「行き当たりばったり」という大方針に沿ったこの旅でゲバラとグラナードは、アルゼンチンの内陸の町コルドバから首都ブエノス・アイレスを経て大西洋岸に至ったのち、西進してチリ、さらにペルー、コロンビア、ベネズエラへと北上します。
そして2004年公開の映画や、この角川文庫版には『モーターサイクル・ダイアリーズ』のタイトルがついているにも関わらず、精悍な怪力2号はチリ南部の町で早くも走行不能となり、このバイクは首都サンティアゴであえなくリタイヤとなります。
ゲバラとグラナードは、ここからヒッチハイク、密航、徒歩、自作の“いかだ”とあらゆる手段を使って北上します。様々な町で地元の人々の歓迎や厄介者扱いに会いながら、酔っ払って人の奥さんにちょっかいを出しかけたり、給仕の仕事中に大量のワインの瓶をくすねたりと、結構しょうもない一面もあったりして、笑えます。
しかし、根底にある純粋さの上に、世界に対する自身の立ち位置や触れ方を構築しつつある様子が、さまざまなエピソードの中に見え隠れしました。
たとえば、バルパライソでは病気の老女に寄り添う気持ちと、貧困が生む不条理への割り切れなさを吐露します。
── 貧しい家庭では、生計を立てられなくなった家族の一員は、どうにかごまかしてはいるものの辛辣な空気に包まれて暮らさねばならない(P74 「モナ・リサ」(ジョコンダの微笑))
たまたま一等客室を使う機会を得たウカヤリ川の客船では、特権階級の人々の思い上がりに嫌悪感を示します。
── 僕らの性格には、あの狭い中流階級の人びとの性質よりも、素朴な水夫たちの性質の方がずっと合っていた。(中略)彼ら(※)は他の人と同じくらい愚かで無知なのに、その人生でおさめたちっぽけな勝利で頭に血が上ってしまっていて……(後略)(P169 ウカヤリ川を下って)
(※ 引用では省略していますが、文脈上、中流階級の人々を指しています)
それから、とても単純なことだけど経験しないと身に沁みてはわからない深い洞察が、序章に示されていました。この本の中で、特に好きな一文です。
── 人間というものは、一生のうちの九ヶ月の間に、最も高尚な哲学的思索から、スープ一皿を求めるさもしい情熱に至るまで、実にたくさんのことに思いを馳せられるもので、結局のところ全てはお腹の空き具合次第なのだ(P20 以下のことをご了承ください)
ゲバラとグラナードの旅は、ベネズエラの首都カラカスに到達して幕を閉じますが、この本の最後の方には「付記」というのが付け加わっています。顔の見えないある男との出会いについて書かれており、内容はこの先、ゲバラが進む道を暗示している気がしますが、ぼくは勉強不足で、なぜここにこの文章を付しているのか、その意図が読みきれません。旅の間の温度感に比べて、急激に主張を持って書く方向に舵が切られている気がします。
まだ読んでいないのですが、この先、ゲバラの書く文章が、革命や武力闘争を促す扇情的なものなのなら、ぼくは好きになれないかもしれません。しかし、この旅の中で若いゲバラが感じている不条理への割り切れなさには共感するものがあるし、彼の行く末についても、付記から読み取れるようで読み取れないだけに、興味がわいてしまいました。
この旅についてはグラナードの視点から書かれた記録もあるようです。またゲバラはこの旅のあと単身帰国し、医学課程を終えてふたたび南米をめぐったようで、その旅の記録もまた著作化されているようです。
どちらも、いずれ読んでみたいと思っています。
(2026/6/27 記)

エルネスト・チェ・ゲバラ『モーターサイクル・ダイアリーズ』KADOKAWA(2004/9/23)
ISBN-10 4043170025
ISBN-13 978-4043170029
