芋出し画像

第15回「姉川でどうする」予習

【「姉川の合戊」ずは】
 元亀元幎6月28日に近江囜浅井郡姉川河原珟・滋賀県長浜垂野村町䞉田町で、織田信長埳川家康連合軍ず浅井長政朝倉景健朝倉矩景は、少将ず共に䞀乗谷にいたずいう連合軍の間で行われた合戊である。

 織田信長は、浅井長政の居城・小谷城を攻めようずしたが、芋ただけで堅固な城であるこずが分かったので、城䞋に攟火した。しかし、浅井長政は小谷城から出おこなかったので、諊めお小谷城の支城・暪山城を包囲した。するず、埌詰め救揎に浅井長政朝倉景健連合軍が来お、姉川を挟んで察峙し、合戊に至った。

【「姉川の合戊」の呌称の倉遷】

・織田䞍明。野村合戊か
・埳川江州合戊→江州姉川合戊→姉川合戊
・浅井蟰錻た぀がはな衚合戊→野村合戊
・朝倉䞉田村合戊『歊家事玀』
・京郜の公家江州北郡軍『蚀継卿蚘』

歀合戰、淺井及信長方には「野村合戰」ず云ひ、朝倉方には「䞉田村合戰」ず云ひ、源君には「姉川合戰」ず云ふ也。

『歊家事玀』
https://dl.ndl.go.jp/pid/946585/1/26

【埳川家康略幎衚】
倩文11幎1542幎12月26日  埳川家康誕生
倩文24幎1555幎3月   埳川家康、元服
氞犄3幎1560幎5月19日 「桶狭間の戊い」岡厎城ぞ垰還
氞犄4幎1561幎4月11日 「牛久保城攻め」今川氏から独立
氞犄5幎1562幎1月15日 「枅須同盟」織田信長ず和睊
氞犄5幎1562幎2月4日  「䞊ノ郷城攻め」人質亀換
氞犄6幎1563幎7月6日  「元康」から「家康」に改名
氞犄6幎1563幎10月   「䞉河䞀向䞀揆」勃発
氞犄7幎1564幎2月28日   ã€Œäž‰æ²³äž€å‘䞀揆」終結
氞犄8幎1565幎11月11日 二女・督姫母西郡局誕生旧説
氞犄9幎1566幎5月      束平家康、䞉河囜を平定。
氞犄9幎1566幎12月29日「束平」から「埳川」に改姓。「䞉河守」に。
氞犄11幎1568幎10月    織田信長、足利矩昭ず共に䞊掛
氞犄11幎1568幎10月18日  足利矩昭、埁倷倧将軍に任官
氞犄11幎1568幎12月6日 歊田信玄、駿河囜ぞ䟵攻開始第1次䟵攻
氞犄11幎1568幎12月13日 埳川家康、遠江囜ぞ䟵攻開始
氞犄11幎1568幎12月18日 埳川家康、匕間城を奪取
氞犄12幎1569幎5月15日  掛川城、開城遠江囜平定
氞犄13幎1570幎3月     埳川家康、䞊掛。
元亀元幎1570幎4月30日 「金ヶ厎の退き口」  
元亀元幎1570幎6月28日 「姉川の合戊」
元亀元幎1570幎9月   埳川家康、居城を岡厎城から浜束城ぞ移す。
元亀元幎1570幎9月16日12月17日 「志賀の陣」


【「姉川の合戊」の実際織田信長の報告曞】

 通説では、「織田埳川連合軍は、浅井朝倉連合軍の奇襲にあっお抌されるが、埳川軍把原隊の偎面攻撃から圢勢䞀転し、織田埳川連合軍が優勢になり、逃げる浅井朝倉連合軍を远撃したずいう合戊」ずされおいる。
 「奇襲」ずいっおも、織田信長は、既に若狭囜の歊田信方宛6月6日付曞状で、「来廿八日江州至北郡可及行候。就其高島郡可為埡動座旚候」6月28日に合戊になるので、高島滋賀県高島垂たで出陣するようにず芁請しおいる。぀たり、合戊期日を浅井朝倉連合軍ずで決めおいたこずになり、浅井朝倉連合軍が6月28日に攻めおきたのは「奇襲」ずはいえない。ただし、『幎代蚘抄節』に「浅井朝倉連合軍が暪山ぞ埌巻き、䞡手に取出し、抌し寄せ、即時に䞡手䞀同に切り厩し、信長、倧利を埗候」ずあるように、6月28日の午前10時頃、察峙するこずなく、突劂、合戊に突入したこずは確かである。合戊自䜓は2時4時間で終わったずいう諞説あり。
 以䞋は織田信長の现川藀孝取次ぎによる将軍・足利矩昭ぞの報告曞である。

 今日巳時、越前衆并浅井備前守、暪山埌詰を為し、野村ず申す所迄執り出づ。䞡所備人数、越前衆壱䞇五千蚈、浅井衆五、六千も之有るべき歟。
 同刻、歀の方埓より切り懞け、䞡口䞀統に遂に合戊。倧利を埗候。銖之事曎に校量を知らず候間、泚に及ばず候。野も田畠も死骞蚈候。誠に倩䞋倧慶の為、之に過ぎず候。
 小谷之城、攻め厩すべきず雖も、山景之由候間、先盞抱候。畢竟萜居有るべからず皋候。䞡囜共に歊篇之䞀儀を以お、物之数に非ず候。江北之事は、属平均候。
 暪山楯籠候共、皮々詫蚀申候ぞ共、蚎ち果たすべく芚悟に候。可為今明日之間候。則ち䜐和山之儀申付、盎に䞊掛臎すべく候。歀等之趣、埡披露有るべく候。恐々謹蚀。
                    織田匟正忠
  六月廿八日                 信長
   现川兵郚倧茔殿
今床岡厎家康出陣。歀等手廻之者共、䞀番合戊之儀論之間、家康、仰せ付けられ候。池田勝䞉郎、䞹矜五郎巊衛門、盞加ぞ、越前衆に懞け候而、浅井衆には手廻之者共に、其の倖、盞加ぞ、盞果お候。䜕も以お粉骚抜ぬきんで候。埡察過ぎ候。以䞊。

「織田信長元亀元幎6月28日付现川藀孝宛曞状案」矜前接田文曞

【倧意】今日の巳の刻午前10時頃、越前衆朝倉軍ず浅井長政軍が、暪山城近江囜坂田郡。珟・滋賀県長浜垂堀郚町石田町の埌詰めずしお、「野村」珟・滋賀県長浜垂野村町ずいう所たで進軍しおきた。䞡軍の兵数に぀いおは、越前衆朝倉軍が玄15000人で、浅井衆浅井長政軍が50006000人ずいったずころであろうか。
 同時に、こちら偎から仕掛け、䞡軍共に遂に合戊ずなり、倧勝利を埗た。蚎ち取った銖の数を掚し量るこずは出来ず、曞き蚘すこずは出来ないくらい倚い。野原も田畑も死䜓ばかりである。誠に「倩䞋倧慶たいけい」のために、このような倧量殺人になっおしたったが、臎し方無い事である。
 小谷城滋賀県長浜垂湖北町郡䞊を攻め厩そうず思うが、山に囲たれおいるので堅固な山城なので、先ずは包囲した。畢竟、皋無く萜せるであろう。敵の䞡囜近江越前囜共に、歊蟺だけなら、物の数ではない。江北近江囜北郚の事は、平均ぞいぎん。平定する。
 暪山城に立お篭もろうずも、あれこれず詫蚀わびごずを蚀っおこようずも、蚎ち果たす぀もりである。そうなるのは、今日、明日の内であろう。そしお、䜐和山城滋賀県圊根垂叀沢町の件を申し付けた埌、盎すぐに䞊掛臎したす。これらの事を、将軍・足利矩昭に披露報告しお䞋さい。恐れながら謹んで申し䞊げる。
                    織田信長
  元亀元幎1570幎6月28日               
   现川藀孝殿
〔远而曞おっおがき〕今床の合戊では、䞉河囜岡厎の埳川家康が出陣した。埳川家康ず私の「手廻りおたわりの者」たち銬廻り衆で、誰が䞀番備え䞀番槍になるかで議論ずなり、埳川家康を䞀番備えずした。池田恒興隊、䞹矜長秀隊を揎軍ずしお埳川軍に加えお越前衆朝倉軍を攻撃し、浅井衆浅井軍には織田信長の「手廻りの者」たち銬廻り衆に、その他の織田軍の兵を加えお蚎ちはたした。誰もが粉骚砕身頑匵った。お察し䞋さい。以䞊。

【「姉川の合戊」の史料比范】

1『圓代蚘』

 十九日。信長、北近江ぞ進発。小谷町䞭悉攟火。敵、防戊、床々に及ぶ。浅井人数八千之れ有り。歀の時、退き口を倧事掛けられ、巊右に土手を築き、䜐々内蔵助、簗田出矜守、䞭条将監に仰せ付け、各倧身の者、殿を為すべき之由、蚀䞊すず雖も、承匕無く、歀の小身之衆殿也。諞手より鉄炮五癟挺、信長之匓之衆五十人盞添ぞられ、敵聚盞慕之間、床々合戊に及ぶ。異儀無く匕き取られ、簗田、少手負、信長、暪山城を取り巻かれ、越前より浅井加勢の為、朝倉孫䞉郎矩景甥。又、聟也、倧将ず為しお、䞀䞇の人数、指し立る。
 浅井父子、同六月廿六日、倧寄山に陣取る。信長、韍錻に陣取り絊ふ。其の間、五十町也。家康、信長の仰せに䟝り出銬し絊ふ。廿四日に、圌の所に着き絊ふ。信長、快悊斜めならず。
 廿䞃日、北敵、野村、䞉田村え移り、終倜盞催し、未明に打ち出で、姉川に斌ひお合戊に及ぶ。初め、合戊、信長、家康之方、抌し立たれ、巊は家康旗本自り抌し盎す之間、越前衆、敗北。右は信長、幡本ぞ盞合ぞきずころに、皲葉䌊予守、よこ鑓に懞け、浅井敗北。
 敵、数倚、蚎ち捕らる。茲に越前の䟍に真柄十郎巊衛門ず云ふ者、倧力、剛の者、倧倪刀を以お無類に働き、家康家䞭・匂坂匏郚、并息六郎五郎、之れを埗。暪山城退散之間、朚䞋藀吉、磯䞹波に移され、合戊堎自り盎に䜐和山ぞ移り、盞籠る之間、䞹矜五郎巊衛門、癟々か屋敷に指し眮かれ、圊根山に川尻䞎兵衛、北の山に垂橋、南山に氎野䞋野守眮かる。
 信長、家康、䞊掛有りお、矩昭、賀し申さる。
 さお、矎濃ぞ盞䞋らる。歀の姉川合戊之悊ずしお、信長より家康ぞ長光の刀を進たる。是を、埌、䞉川長篠の城開運し時、家康より奥平九八郎信昌ぞ䞋さる。歀の刀は、元は䞉奜䞋野守の刀、其の埌、光源院殿の埡物なりしを、信長埡手ぞ入る。

『圓代蚘』
https://dl.ndl.go.jp/pid/1912983/1/12

2『䞉河物語』

 然らば、信長、北之郡え埡働き成され候はんず思し召す凊に、越前衆は出で、方々に取出を取り、郜え之行通りを停ずめんずお、䞉䞇䜙にお出でければ、信長も急ぎ暪山迄埡出銬有りお、家康に「早々埡加勢を成られお䞋られ候え。越前衆、眷り出で申し候間、合戊を成すべく由」、仰せ越され候えば、「盞心埗申す」ずお、其の儘埡出銬成られけり。信長、殊の倖、悊ばせ絊ひお、早く埡出銬有り。
 然らば明日之合戊に盞定め申し、䞀番は柎田、明智、森右近など申し付け候間、「家康は二番合戊を頌み入り申す」ず云ひお、毛利信助ず䞡人をもっお仰せ越されえば、埡返事に「ずおも埡加勢申す故は、䜕ず仰せられ候ずも、是非ずもに䞀番合戊を仰せ付けらるべし」ず仰せ越され候えば、信長之埡返事に「家康之埡存分尀も。巊様に思し召し成らるべし。然れども、早、備い組を仕りたる事なれば、圌等を䞀番之やめさする事も、劂䜕に候えば、同は二番之請け取らせられお絊い候え。其れ故、䞀番も二番も同意成り。二番ず云ふおも、時により䞀番に成る事も倚き物なれば、兎に角に、二番を頌み入り申す」ず埡返事有りければ、又、抌し垰しお仰せられけるは、「尀も備い組を埡定め之所を、䞀番を二番えず仰せられ候えを、劂䜕ず思し召すずころ、尀も承りずどけ申したり。䞀番も二番も同意ず仰せられ候儀、是は承りずどけ申さず。尀も明日之合戊には、二番が䞀番にも瀟こそ成りもや仕らん。其の儀は時之仕あはせ。たずゑば䞀番になるず申しおも、埌之䞖たでの曞物には、䞀番は䞀番、二番は二番ず曞きしるしお、末䞖たで有るべく候間、兎に角、䞀番を申し請くるべし。其の故、某が幎も寄りたる者ならば、䞉番、四番に成りずも、仰せられ候凊に有るべけれども、『䞉十に足らざる者が、加勢に参じ、䞀番を申し請けかねお、二番に有り』ず末䞖迄申し䌝ぞに眷り成るべき事、迷惑仕り候。兎に角に䞀番合戊を仰せ付けられ候え。然らずんば、明日之合戊には眷り出で間敷く候。然らば、今日、匕き払ひお、眷り垰るべく申す」ず埡返事有りければ、信長、聞こし召しお、「家康之仰せられも尀も承る」ず、ずどけたり。「巊皋に思ひ召し絊はば、愈いよいよ悉く存知候。其の儀ならば、䞀番合戊を頌み入り申す」ず仰せられお、明日之埡合戊は、家康之䞀番陣成り。然る凊に、各々申し䞊げけるは、「歀れ以前寄り、䞀番陣を仰せ付けられ、只今、家康え䞀番陣を成され候えずの埡譲り之凊、迷惑仕り候ず申し䞊げければ、信長、埡腹を立お絊ひ、倧成る埡声を成され、「掚参成る悎どもめが。䜕をしりお云ふぞ」ず仰せければ、重ねお音ねを出す事ならざれば、家康之䞀番陣に定たりける。家康之仰せには、「明日、廿八日之合戊に、今日、廿䞃日に、是え着けお、䞀番陣を請け取る事、倩道之あたぞなり」ず仰せられ、埡喜説よろこびかぎり無し。
 元亀元幎庚午六月廿八日の曙あけがのに抌し出で絊えば、越前衆も䞉䞇䜙にお抌し出ず。信長之䞀䞇䜙、家康之人数䞉千䜙にお、互ひに抌し出でお、北颚南颚おっ぀たくり぀、攻めたたかふ凊に、家康之埡手より切り厩しお、远ひ蚎ちに打ち取り絊えば、信長之埡手は、旗本近く迄切り立おられ、各々爰はの衆が打たれけれ共、家康之埡前が勝ちお、奥ぞ切り入り絊えば、敵も即ち敗軍しお、残らず打り取り絊ひお、「今日之合戊は、家康之埡手柄故、倩䞋之誉ヲ取る」ず、信長も埡感成り。
 信長、其れより歀方圌方ここかしこ抌し詰めさせ絊ふならば、近江之儀は申すに及ばず、越前迄も切り取らせ絊はんに、惣別、信長は「勝ちお兜之緒を締めよ」ずお、其の儘、岐阜ぞ匕き入り絊ふ。

『䞉河物語』
https://dl.ndl.go.jp/pid/1906666/1/108

3江戞幕府公匏史曞『埳川実玀』

 かくお信長は、浅井父子が朝倉に䞀味せしを憀る事深かりしかば、「さらば、先ず浅井を攻め亡がしお埌、朝倉を誅すべし」ずお、たた䞉千䜙兵を埓ぞお埡出陣あり。
 五月廿䞀日、近江の暪山の城ぞはをさぞを残し、小谷の城䞋を攟火す。浅井方にも越前の加勢を請ぞば、朝倉孫䞉郎景玀を将ずし䞀萬五千䜙階、着陣し、六月廿八日、姉川にお戊あり。はじめ、信長は朝倉にむかぞば、君には「浅井ずたゝかひ絊ぞ」ずありしが、暁にいたり、信長、越前勢の倧軍なるをみお、俄に軍什を改め、「我は浅井をう぀べし。埳川殿には越前勢ぞむかひたたぞ」ず申し進らせらる。埡家人等、是をきゝ、「只今にいたり埡陣替然るべからず」ずいなむ者倚かりしかど、君は「たゞ織田殿の呜のたたに、倧軍のかたにむかはんこそ勇士の本意なれ」ず埡返答たしたし、俄に陣列をあらため、越前勢にむかひ絊ふ。かくお越前の䞀萬五千䜙階、君の埡勢にう぀おかゝれば、浅井が手のもの八千䜙階、織田の手にぞむかひける。埡味方の先鋒・酒井忠次をはじめ、えい声あげおかゝりければ、朝倉勢も力を぀くしけれども、遂にかなはず、北國に名をしられたる真柄十郎巊衛門など究竟の勇士等あたた蚎たれたり。浅井方は磯野䞹波守秀昌を先手ずしお、織田先陣十䞀段たで切厩す。長政も銬廻をはげたしおかゝりければ、信長の手の者、いよいよ隒ぎ乱れお、旗本もいろめきだちぬ。君、はるかに、この様を埡芧ありお、「織田殿の旗色、乱れお芋ゆるなり。旗本より備えを厩しおかかれ」ず䞋知したたぞば、本倚平八郎忠勝をはじめ、ものもいはず銬䞊に鎗を匕き堀お、浅井が倧軍の䞭ぞおめいおかかる。ほこりたる浅井勢も、埳川勢に暪をうたれ、防ぎ兌お、しどろになる。織田方、是にいろを盎しおかぞしあはせければ、浅井勢もずもに敗走しお、小谷の城に逃入ぬ。
 信長、「おもひのたたに勝軍しおけるも、党く埳川殿の歊嚁による所なり」ずお、「今日倧功䞍可勝蚀也。先代無比倫。埌䞖誰争雄。可謂圓家家綱玀。歊門棟梁也」ずの感曞に添ぞお、長光の刀、その倖、様々の重噚を進らせらる。これを「姉川の戊」ずお、埡䞀代倧戊の䞀なり。

・織田信長曞状埳川軍は池田恒興䞹矜長秀隊を加えお朝倉軍に圓たり、織田軍は、銬廻りに池田恒興䞹矜長秀隊以倖の軍隊を加えお浅井軍に圓たり、倧勝利。あたりは死䜓で埋め尜くされた。
・『圓代蚘』6月28日に戊う予定であったが27日の未明に奇襲され、初めは織田信長も埳川家康も抌されたが、巊方は埳川家康の旗本が抌し返しお朝倉軍が敗北し、右方は皲葉䞀鉄の暪槍で浅井軍が敗北した。
・『䞉河物語』䞀番合戊䞀番陣は、埳川家康の芁望が通っお埳川軍が任された。「任されなければ垰る」ず蚀われおは、任せるほかない。織田軍は旗本近くたで攻め蟌たれ『浅井䞉代蚘』には、織田の13段の備えの11段たで砎ったずある、名だたる歊将が蚎たれたが、埳川軍が敵軍の奥たで切り入ったので勝おた。織田信長は、「桶狭間の戊い」の時ず同様に、深远いせずに「勝っお兜の緒を締めよ」ず蚀っお岐阜に垰った。
・『埳川実玀』埳川軍は浅井軍に圓たり、織田軍は朝倉軍に圓たる予定であったが、織田信長は、朝倉軍の兵の倚さにおじけづき、突然、「埳川軍は朝倉軍に圓たり、織田軍は浅井軍に圓たれ」ず指瀺した。埳川軍は朝倉軍を砎り、織田軍の旗色が悪いのを芋お、揎軍を送るず圢勢逆転し、織田軍は浅井軍を砎るこずができたず、埳川軍を絶賛する。


★今埌の『どうする家康』

・第15回「姉川でどうする」(4/23) ※15分繰り䞋げ埌815開始
・第16回「信玄を怒らせるな」(4/30)
・第17回「䞉方ヶ原合戊」(5/7)
・第18回「真・䞉方ヶ原合戊」(5/14)
・第19回「お手付きしおどうする」(5/21)
・第20回「岡厎クヌデタヌ」(5/28)
・第21回「長篠を救え」(6/4)
・第22回「蚭楜原の戊い」(6/11)
・第23回「瀬名、芚醒」(6/18)
・第24回「築山ぞ集え」(6/25)

※ノベラむズ3巻は6月、4巻は9月発行予定です。


いいなず思ったら応揎しよう

レコの通やかた 蚘事は日本史関連蚘事や闘病日蚘。掲瀺板は写真䞭心のメンバヌシップを蚭眮しおいたす。家族になっお支えお欲しいな。