第1回「どうする桶狭間」(動画集)
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大河ドラマ「どうする家康」初回放送はいかがでしたでしょうか。製作に携わっている者の一人として、脚本で読んでいる時の印象と、俳優陣の演技で映像化された完成形の印象がまるで違い、さすがだなぁと素直に感動しました。特に今川義元と氏真が印象的だったと思います。さて、まず初回に当たって、考証としてぜひ盛り込んでいただきたかったことをお話ししましょう。
(1)家康はただの人質ではない。そして惨めな駿府時代を送ってはいないことを表現する。 何度か呟いていますし、最近、同じ考証陣の柴裕之氏の『青年家康』角川選書でも指摘されていることですが、家康は、三河の貴人として、それは岡崎松平家の当主であるがゆえに、大切にされていました。当時の岡崎松平家は、三河においては他の国衆とは一線を画す地位を築きつつあり、合戦においては国衆の動員を可能にしていました。なので、その当主家康は、まだ幼少でしたので、身に危険が及ぶことや反今川方に取り込まれることを危惧し、駿府で今川氏が庇護したというのが実態だと思われます。通常の三河国衆であれば、人質ならば三河吉田城に集められるのが原則。そうではなく、駿府に庇護されているのは、別格扱いです。これは、参府、在府として今川氏のもとにいたことを示しています。そして、東国だけでなく、日本全体を見渡しても屈指の文化サロンであった駿府で、様々な教育や交流を受けていたと考えられています。惨めな人質生活というのは、江戸時代に創作されたものでしょう。家康が幼い頃から惨めで苦労したとすることで、天下人に登り詰めたことが一層引き立つからです。
(2)家康は、今川義元から極めて大事にされていたことを表現したい。 これは(1)とも関連することですが、義元は関口氏純の息女築山殿と家康を娶せます。当時ならば、築山殿の方が家康よりも格上でした。なんと言っても、今川一門ですからね。これにより、家康は今川一門格となり、地位が向上します。これはごく最近指摘されることですが、関口氏純のもう一人の息女(築山殿の姉妹)は、駿府に在府していた北条氏規のもとに嫁いだ(もしくは婚約した)とされています。義元と寿桂尼は、氏規を気にいっていて、北条氏康がそろそろ帰してくれといわれても、側に留めたといわれます。この結果、家康と氏規は相婿の関係となり、今川一門衆となります。義元がこうした婚姻を実施したのは、男子の兄弟がいない氏真を支える一門として、家康と氏規を考えていたでしょう。初回放送で、義元が末永くわしと氏真を支えてくれ、というセリフは、あの一言に、いま紹介してきた事柄を込めていただいたと思っています。脚本家古沢さんのさすがの表現だなと思いました。また、金陀美具足を義元が家康に贈り、息子と呼びかけるのは、義元と家康の親密な関係性を表現してあまりあると思いました。もちろん、金陀美具足は、当時のものではなく、もっと後に家康が着用したものでしょう。ただ、久能山東照宮に今川義元から拝領し、桶狭間合戦で着用したとの伝承を活かしたものです。これが、義元と家康の関係をよく表現するものだと製作陣が採用したのです。ここは史実と相違することを、あらかじめご承知おきいただければと思います。
(3)大高城は当時海岸近くにあった。 歴史好きの方々ならば、もはや常識かも知れませんが、大高城のそばに海がある、と驚かれた方、地図を見直した方もいらっしゃったようですね。当時は海岸線が、城の近くまで延びており、あんな感じだったと思います。もちろん、城の建物などは、すべてフィクションです。岡崎城の復元CGを含め、当時の縄張りすらわかっていませんので、想定復元ということでご了解ください。城郭については、別途、城郭考証がおられるので、そちらで協議されていると思います。
(4)家康と岡崎家臣との関係は、徐々に形成されていったものだということを表現してほしい。 簡単にいうと、家康は駿府で成長しており、岡崎の家臣らとは距離がありました。だから、顔もみたことのないとか、おぼえていないとか、うっすら記憶にあるとか、それが実際のところ。それが徐々に緊密になっていくというのを、描いて欲しいなぁと思っていました。古沢さんは見事に描いておられましたよね。駿府で育てば、岡崎がいかにも田舎に見えてしまうし、岡崎城もみすぼらしく見えてしまう。それは仕方ない、それこそが家康と岡崎の当時の関係性を物語っているのです。家康と徳川家臣団が、常に一枚岩だったなんてのは、江戸時代の創作ですよ。その原因を作ったのは、大久保忠教の『三河物語』でしょうね。早いとこ、大久保彦左の呪縛から脱却しなければ。
ハッキリ言わせて頂くと、史料も論文もちゃんとした歴史書もカバーしていない人は、自重したほうが賢明だと思う。まぁドラマの感想や想いは自由ですが、史実で斬り込んでくるのは、無謀としか。
ハッキリ言って、家康研究は月単位で進んでいるので、専門家も大変。まぁ、だいたい前に進めているのは、あの4人ほどだが。
最後に、大河ドラマは、歴史を舞台にしたヒューマンドラマであり、群像劇です。大まかな年表としての出来事は外さず、物語が展開していきます。ですが、ドラマとしての内容は、フィクションです。端的に申し上げれば、同じ徳川家康を題材にした専門の歴史書と歴史小説は違うのと一緒です。歴史物語を存分に楽しんでいただければと思っています。それでは、初回放送に際しての、アタクシのお話しは以上になります。初回ご視聴ありがとうございました。次週もどうぞよろしくお願い申し上げます。
どうする家康時代考証 平山 優
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