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『当代記』に見る「小谷落城」(原文&現代語訳)

『当代記』の記事は「史実か、史実に近い」として、割と信用されている。
 浅井長政の嫡男・万福丸については、「越前国一乗谷に朝倉家への人質として住んでいた(注:一乗谷には浅井家の屋敷があった。人質屋敷(駿府で幼少期の徳川家康が住んでいた駿府人質屋敷のような施設)であろう)が、織田信長の越前国平定(一乗谷焼き討ち)の後、加賀国敦賀へ逃げて隠れ住んでいたが、目が見えなくなったので、母・市、または、祖母(織田信長の母)・土田御前を頼りにして名乗り出たので、所在地が知られて呼び出され、岐阜城へ行く途中の北国街道の宿場町・近江国木之本宿で捕らえられて殺害されたれたとあるが、通説では関ケ原で処刑されたとされ、遺体は馬頭観音付近に埋められたという。「罪人の墓はたててはならない」という通例により墓はないのであるが、何の罪を犯した? 「反逆者の嫡男」というだけの目の見えない子供だぞ!
 なお、木之本宿の「日本三大地蔵」である「木之本地蔵院」は、眼病に効くとして名高い。


🔳原文


 十八日、府中へ移給。義景、大野山田庄六坊へ遁入。稻葉を被遺處、朝倉式部大夫討義景首、稻葉手へ渡、義景の侍鳥井、高橋、追腹を切、越前國爲守護、前波播磨守を假に被置。
 同廿六日、江北虎後前山の城被取卷。
 廿八日、下野守(備前守が父)城被責落、則、切腹、鶴松大夫と云舞々、介錯して腹を切。
 廿九日、信長、京極つふらの嵩へ上り給。淺井備前守、腹を切、淺井石見守、赤生美作を生捕。さて被生害、淺井が跡職添感狀、木下藤吉に被下。淺井備前守妻女は信長妹也。然間、無異儀被引取。
〔後に柴田に嫁し給。十年餘以後、於越前柴田滅亡之時、同燒死給。此腹に淺井息女二人有之。於越前、希有にして逃此難出玉、姉公は後、秀吉公に嫁玉い、八幡殿並秀賴御袋是也。妹は爲秀吉御計江戶秀忠に嫁玉い、男女の君達誕生し玉ふ。備前守嫡子萬福と云有之。越前に爲人質指越、越前平均之後加賀國へ行て隱たりしが、盲人と成間、母又は祖母公(信長御袋)を賴て出たりしを、近江國木本

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