百人一首小話(409)ー第60首 小式部内侍 その6 一条天皇崩御と紫式部退下ー
小式部内侍と呼ばれる様になって2年目の寛弘8(1011)年。一条天皇がまだ32歳とお若いのに床に就かれました。そして6月、崩御されたのです。その直前に傍に仕える小式部は、珍しく大殿(道長)と中宮彰子が言い争う場面を見ました。争いというより、一方的に中宮が泣き叫び、大殿が驚いているという感じでしたが。どうも新東宮を中宮に断りなく、中宮が産んだ敦成(あつひら)親王にした事が原因の様です。
「帝の希望は第一皇子の敦康親王でした」そう、亡き皇后定子が産んだ敦康親王です。中宮は母無し子となった敦康親王を藤壺の御殿に引き取り(実はもし彰子に子ができない場合の保険みたいな大殿の策謀と言われましたが)我が子の様に慈しんでいたのです。
結局、新東宮の決定が変わる事なく、大殿と皇太后(中宮から格上げ)はぎこちない関係が続きました。そして大殿はその原因を「紫式部の入れ知恵」と思い込んだのです。
「変な正義感を中宮に入れよって」
皇太后(彰子)一行は枇杷殿へ遷りましたが、噂を聞いた紫式部は、
「そんな事を言われても迷惑な事。彰子様が立派な后となられた証です。それを大殿も望んでいた筈なのに」
と困惑顔です。一時は蜜月とも思われた二人は疎遠となりました。
そんな時、紫式部殿のただ一人の同母弟が亡くなられたという事で、式部殿は石山寺へ籠って『源氏の物語』の続編を書く事にされました。
「皇太后様を慰める為にも」
その年の末、「若菜」から始まる新しい『源氏の物語』が世に出ました。中年になった光源氏は、永遠の恋人である藤壺の姪の女三宮との結婚を兄朱雀院から打診されます。そして源氏は承諾してしまうのですが、それは長らく正室扱いであった紫の上を絶望へと落とします。内親王の降嫁で、正室の座を追われてしまうのでした。ところが源氏は14歳の女三宮を見て、余りの幼さに落胆。
「同じ藤壺様の姪でもこうも違うのか」厚かましく源氏は、また紫の上に擦り寄って来ます。しかし紫の上は分かっていました。「女三宮様が成長されれば愛は向こうに移るだろう」
その予感通り、20歳になって、それなりに健気に琴の練習を一生懸命やる女三宮に源氏は段々愛を移していきます。7年間心労と不安に我慢してきた紫の上はついに倒れます。今更の様に看病し、六条院から元の二条院に紫の上を移します。ところが一人残された女三宮にかねて思慕していた柏木(頭中将の息子)は仲の良い女房を使ってついに女三宮の寝所に入ってしまいます。そして懐妊。
頭が良く、用心深い藤壺と違って、女三宮は不注意からあっさりと源氏に懐妊の相手を知られてしまいます・・・
誰もが不幸になる『源氏の物語』の続編。小式部は紫式部の人格はともかく、これだけの傑作が書けるのを尊敬しました。母和泉式部とは懇意でなかったようなので、お互いに近づきませんでしたが・・・
その1年半後の長和2(1013)年。事態は意外な展開を見せます。
大殿の次女妍子が三条天皇の中宮となり、懐妊して、「今度も皇子様じゃ。まろには神仏がついておる」と喜んでおりましたが、7月に生まれたのは皇女(禎子内親王)。道長は立腹し、孫の皇女の顔も見に行きませんでした。それをまた皇太后彰子から諫言されると、怒りは紫式部の方に向かったのです。各方面から嫌がらせをします。道長の得意技です。
ちょうど『源氏の物語』第二部も終わりに近くなり、紫の上の死後、1年で光源氏は消えていきます。それに合わせて9月に、紫式部も体調不良として皇太后彰子の女房を辞退し、里に帰って行ったのでした。(続く)
