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白と茶と緑のメッセージ、フィリピンのアドボの酸味

旅の先々で心に残った食の記憶をたどりながら、世界の食文化に宿るナラティブをお届けします。


香港にいた頃「逃避行」の足は、いつもキャセイ・パシフィック航空でした。休暇の数日前、手元に届く「Cathay Pacific Holidays」の緑のチケットホルダー。それは、高層ビルの林から抜け出すための招待状のようでした。

目的地はフィリピン、ボラカイ島
マニラで乗り継ぐ小さなプロペラ機の前で、乗客はみんな体重計に乗せられるのです。機体の均衡を保つためだと言われて渋々と。それはまるで都会で身につけた虚栄を脱ぎ捨てるプロセスのようでもありました。最後はアウトリガーを広げたバンカ船に乗り換えて桟橋のないビーチへ、膝まで海に浸かってようやく上陸できました。もちろん荷物は最小限、私のholidayにスーツケースは似合いません。

そこで待っていたのは、プロペラ機の窓から「下をのぞいちゃダメよ、感動が薄れるから」と言われた圧倒的な「白」。

珊瑚が砕けてできたホワイトビーチの砂は小麦粉のように細かく、炎天下でも熱を一切持たないのだから不思議です。食いしん坊の私が「何を食べて、どこに泊まったか」の記憶が曖昧になるほど、ボラカイの「白」は思考を停止させる美しすぎる「空白」でした。


日常のフィリピン
そして、日常に戻れば、そこにはもう一つの、逞しいフィリピンが待っています。

香港の家庭と経済を支えるフィリピン人女性たち。友人宅の「アマさん」と呼ばれる彼女が、ある時「これ、オフクロの味よ」と作ってくれたのが「アドボ」でした。

鶏肉や豚肉をお酢と醤油でマリネし、水を加えてじっくり煮込む。そしてたっぷりのニンニク。じゃがいもや、ゆで卵なども加えて完成です。これをご飯にかけていただきます。お酢とニンニクの風味がエキゾチックな、フィリピンの「茶色メシ」。

「アドボ」という名は、16世紀に上陸したスペインの征服者が、自国のマリネ料理になぞらえて名付けたものだといいます。その本質は、熱帯の過酷な暑さから食べ物を守るために人々が「酢」を使いこなしてきた、いわば生活の知恵でした。そうやって辿り着いたのが、フィリピンの揺るぎない国民食というわけです。
アマさんたちは、日々雇用主のキッチンで完璧な中華や和食を再現してみせます。でもアドボの酸味だけは自身のルーツと繋がる誇りのようで、決して譲ることはなさそうです。


彼女たちの解放区
日曜日のセントラル(中環)は彼女たちの「解放区」になリます。高級ブランドが並ぶランドマーク(置地廣場)、証券取引所のあるエクスチェンジスクエア(交易廣場)。その周辺で、彼女たちは段ボールを広げて持ち寄った「お国の自慢」料理を囲んで笑い合う。フィリピンの大切な国家事業の一つ「出稼ぎ」という役割を背負いながら。

そんな日常が、時として奇妙な歪みを見せることがありました。キャセイ・パシフィックのストライキです。

私がボラカイへ飛ぶために利用したあの「緑」の翼の担い手たちが、労働者の権利を求めてセントラルに集結しました。証券取引所の前、本来なら洗練されたビジネスエリートが足早に通り過ぎる場所に、制服姿のクルーたちが座り込み、抗議の声を上げる。

会社のロゴやイメージまで刷新させた1993年の、あの17日間にも及ぶ大規模な争議から、その後も断続的に繰り返された「空の足が止まる」瞬間。都市の機能が堰き止められた、あのヒリヒリとした緊張感と静けさ。

だけど、日曜日になればそのすぐ隣でいつものようにアマさんたちがアドボの食卓を囲んでいました。空の足が止まろうと、日常が少しばかり揺らごうと、食べて生きて笑って集うための営みは一歩たりとも引かない。無機質なオフィスビルのウィンドウに映る対照的で少し滑稽な光景は、国際都市の裏側に潜む危うさと生命力そのものでした。


自由に生き抜く
現実離れしたボラカイの「白」と、歴史と生活の脂が染み込んだアドボの「茶」色。そして「緑」の翼がその間を行き交う。

旅先で見た景色よりも、セントラルのビルの谷間で出くわした光景が、アドボのお酢の匂いとともに、私にとっての「食」の生々しい風景になりました。

あれから数十年たち、世界も香港も姿を変えました。でもあの茶色のソースを白米に絡めながら受け取った「不自由を味方につけて自由に生き抜く」という強烈なメッセージは、今も私の中に静かに息づいています。

空が閉ざされ、足元が揺らごうとも、人は自らの手で糧を拵え、笑い、また歩き出すことができる。フィリピンの「オフクロの味」はそんなことを教えてくれたようです。


Y.K

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