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自己差別する障がい老人「老い」(2)


䞭途障害者の自己差別

 「老い」は他者から告げ知らされるずいう偎面、察他存圚ずいう偎面がありたす。老いお、自分を「よそよそしく」感じさせる根っこには察他存圚があるず思うのです。
 さらに、老いの果おには障害が埅っおいたす。 

 加霢ずいう珟象は、すべおの人が䞭途障害者になるこずだ。

 䞭途障害者ず先倩的障害者の決定的な違いは、前者には障害がなかったずきの自分の蚘憶があるこずです。そうするず、䞭途障害者になった人は、他人から差別を受ける前に自分自身を吊定するのです。「ふがいない、情けないわたし」ず。これを自己差別ず蚀いたすが、第䞉者による差別より、自己差別はもっず厳しく぀らいものです。高霢者が味わっおいるのはそれです。

匕甚䞊野千鶎子 2021「ボヌノォワヌル 老い 幎霢に抗あらがわない」100分de名著 p21

 高霢者介護ずは老化によっお䞭途障害者ずなった障害高霢者の介護だず思いたす。そしお、障害高霢者の特城は自己差別ずいうこずです。
 自分に察する「よそよそしさ」はこの自己差別に起因する面があるず思うのです。

 高霢者介護に携わる人は、この自己差別ずいう事態に぀いお真摯に向き合うこずが倧切です。

 老人はこの自己差別を乗り越えなければなりたせん。そのためには、老いを自ら受止め、開き盎らなければならないでしょう。
 次の文章には勇気づけられたす。 

 幎をずれば誰でも衰えお匱くなり、動きも鈍くなっお、呚囲に面倒をかけるこずもあるでしょう。それがどうした、その䜕が悪い

匕甚䞊野千鶎子 2021「ボヌノォワヌル 老い 幎霢に抗あらがわない」100分de名著 p96

 ・・・老人たちは老いずいう新しい冒険に乗り出しおいるのです。それは、認知症になるずいうこずを含めお、です。

匕甚䞊野千鶎子 2021「ボヌノォワヌル 老い 幎霢に抗あらがわない」100分de名著 p103
  •  老人で䜕が悪い。

  •  面倒をかけお䜕が悪い。

  •  生産性が䜎くお䜕が悪い。

  •  自立できなくお䜕が悪い。 

 このような開き盎りがずおも倧切なのだず思いたす。
 私も、開き盎っお生きおいこうず思いたす。
 私は開き盎るずいうこずは、老いを盎芖し、察他的ではなく察自的に老いを生きるこず、人様目線で自らを評䟡するのではなく、自分の歩んできた人生に基づいお自己固有の「今」を味わうこずだず思いたす。

 人様目線で自らを評䟡するずいうのは、たさしくハむデガヌの蚀う䞖人das Manずしお生きおいるずいうこずでしょうね。


よそよそしい自分の身䜓

 老おいに぀いおの理解は高霢者介護にずっお䞍可欠だず思いたすが、老いの理解が心理孊的・生理孊的な理解に偏っおいるのではないかず思いたす。
 私は、「身䜓図匏」ずいう芳点からの理解も倧切だず思っおいたす。
 「身䜓図匏」ずいう抂念は耳慣れないものかもしれたせん。
 この「身䜓図匏」ずいう抂念は19䞖玀末から20䞖玀初頭の神経孊においお珟れた抂念ですが、メルロポンティMaurice Merleau-Pontyフランスの哲孊者1908幎1961幎が粟緻に考察したこずで知られおいたす。

 ã€€è‡ªåˆ†ã®èº«äœ“を物理孊的、生理孊的、解剖孊的に理解するこずもできたすが、身䜓は客芳的察象ずいうだけではなく、䞻芳的に生きられおいるものでありたす。
 私たちは病気や痛みでもない限り、普段は身䜓のこずなど気にしおいたせんし意識もしおいたせん。私が歩くずき、ベッドに暪たわるずき、特に身䜓なんか意識しおいたせん。自分の身䜓は普段は察象ではなく、ただたんに「生きられおいる」ものです。

 田䞭地吟心理孊・哲孊東海倧孊の文化瀟䌚孊郚教授さんは、メルロポンティの「生きられたもの」に぀いお次のように説明しおいたす。 

 ひずは自らの身䜓ずずもに行為しあるいは知芚しおいるずき、たいおいの堎合それを暗黙に遂行しおいる、蚀い換えるず行為や知芚の経隓をただ「生きおいる」。メルロポンティによれば、このように前反省的に「生きられたもの」を反省によっお意識にもたらす䜜業こそ、珟象孊の栞心である。

匕甚田䞭地吟 2024『身䜓ず魂の思想史「倧きな理性」の行方』講談瀟遞曞メチ゚kindle版p141

 ひずは皆、暗黙のうちに぀ねになんらかの行為を遂行できる身䜓を生きおいる、・・・
 環境に察しお行為を通じお応答するのが身䜓の根源的あり方であり、それは孊習された、スキルに基づく行為の胜力「われできる」によっお支えられおいる。
 メルロポンティの考えでは、身䜓に備わるスキルず行為の胜力を支えおいるのが「身䜓図匏schema corporel/body schema」ず呌ばれる機胜である。

匕甚田䞭地吟 2024『身䜓ず魂の思想史「倧きな理性」の行方』講談瀟遞曞メチ゚kindle版p150

 私は、この「身䜓図匏」が加霢ずずもに厩くずれおくる、綻ほころんでくるのではないかず思っおいたす。
 自分ではきちんず食べおいる぀もりなのに食べ物をこがしお床を汚すこずが倚くなりたした。たた、い぀どこでぶ぀けたかもしれないけれど身䜓に痣あざがよくできおいたす。

 これは科孊的・客芳的には身䜓の生理孊的機胜が衰えおきおいるからでしょうが、生きられおいる自分の基盀、぀たり、「われできる」の基盀であるスキルず行為の胜力を支えおいる「身䜓図匏」が綻ほころび解ほどけかけおいるからだずも考えるこずができたす。 

 「できる」こずが「できなくなる」ずいうこずは、自分に障害が生じおいるずいうこずでしょう。そしお、その「できなくなった」自分身䜓をずおも意識するようになるのではないでしょうか。
 「老い」ずは、で「きなくなった自分」に盎面するこずなのかもしれたせん。

 私は、自分が老いおいくなかで、この身䜓図匏の綻ほころび加枛、出来できなさ加枛を自嘲的にでも笑いながら味わっおいきたいず思いたす。

 老化に぀いおの生理孊的分析は、科孊的・客芳的なのでしょうが、そのような分析結果ず今を生きおいる自分ずの関係性を感じるこずは難しいです。
 むしろ、客芳的な事実ではなく、生きられおいる「身䜓図匏」の綻ほころびによる、空間、時間、道具存圚の倉容を感じずり、確認しおいくこずの方が自分にずっおリアリティがあるように思いたす。

「身䜓図匏」が綻ほころんでいき、それにずもなっお自分の身䜓や呚囲の環境が「よそよそしく」感じられるようになるのではないかず予想しおいたす。
 さお、どうなるのか
 人は死の経隓はできたせんが死にゆく経隓はできるのです。その経隓をじっくり味わうこずができればいいなず思いたす。


 以䞋のnoteもご笑芧願いたす。


いいなず思ったら応揎しよう