『墓場の化粧室と、ピーチソーダの謎』
↑こちらの企画に参加します🐻
『墓場の化粧室と、ピーチソーダの謎』
午前二時。
墓場には、雨が降っていた。
古い墓石の間を、細い霧が這っている。
街灯はない。
月も雲に隠れている。
だから、その場所にぽつんと灯る白い明かりは、どう考えてもおかしかった。
墓場の奥。
誰も使わなくなった小さな東屋のような建物。
その中に、鏡が一枚だけ置かれていた。
鏡の前には、女が座っている。
白いワンピース。
長い黒髪。
そして――ものすごく丁寧に化粧をしていた。
頬紅を少し。
口紅をほんのり。
最後に、前髪を指先で整える。
「……うん」
女は鏡の中の自分を見て、小さく笑った。
「今日も、ちゃんとしてる」
そのとき。
墓場の入口から、
ぽて。
ぽて。
ぽて。
と、小さな足音が聞こえてきた。
白い霧の中から現れたのは――
赤いお耳の、小さなクマだった。
「こんばんは~🐻」
クマちゃんは、雨に濡れないように小さな傘を持っている。
……なぜ墓場にクマがいるのか。
それは本人にも、よく分かっていない。
「お散歩してたら、ここに来ちゃった~」
ぽて。
ぽて。
女は鏡越しにクマちゃんを見る。
「あら……こんばんは」
「こんばんは~」
クマちゃんは、女の前まで歩いていった。
そして、じーっ👀と見る。
「……」
「……?」
「……うーん」
女が首を傾げる。
「どうしたの?」
クマちゃんは、さらに近づいた。
ぽて。
そして、女の周りを一周する。
「……うーん」
「何か変?」
「うん」
「えっ」
女の顔が固まった。
クマちゃんは真剣な顔で言った。
「ダメ出しするね🐻」
「ダ、ダメ出し?」
「うん」
クマちゃんは女の顔をじっと見つめる。
「お化粧は、すごくきれい」
「ありがとう……」
「髪もきれい」
「ありがとう」
「白い服も、似合ってる」
「……ありがとう」
女は少し嬉しそうに笑った。
だが。
クマちゃんは首を横に振った。
「でもね」
「でも?」
「ピーチソーダの香りがしない」
「…………」
墓場が静まり返った。
雨音だけが聞こえる。
「……そこ?」
「そこだよ~🐻」
クマちゃんは胸を張った。
「夜のお化粧にはね、ピーチソーダ🍑の香りが必要なの✨」
「……そうなの?」
「うん」
「どうして?」
「クマちゃんが好きだから🐻」
「…………」
幽霊の女性は、しばらく何も言えなかった。
そして――
「ふふっ」
笑った。
「なにそれ」
「大事なことだよ~」
クマちゃんも笑う。
その瞬間、墓場の奥から白い影がぞろぞろと現れた。
一人。
二人。
三人。
十人。
みんな幽霊だった。
女は慌てて立ち上がる。
「あ、みんな来たのね」
小さな幽霊が言った。
「今日もきれい」
「その口紅、似合ってる」
「髪型も素敵」
女は照れくさそうに笑った。
クマちゃんは幽霊たちを見回した。
「みんなもピーチソーダの香り、する?」
「しないよ」
「しないわね」
「そもそも幽霊だから、匂いなんて……」
「だめだよ~!🐻」
クマちゃんが両手を広げた。
「じゃあ、今日はみんなダメ出し!」
「ええっ!?」
墓場に、幽霊たちのざわめきが広がった。
やがてクマちゃんは、小さな瓶を取り出した。
中には、淡い桃色の液体。
「特製ピーチソーダミスト~🍑✨」
「そんなもの持ってたの?」
「お散歩の必需品だよ~🐻」
クマちゃんが、しゅっ、と一吹きする。
桃の甘い香りが、墓場いっぱいに広がった。
幽霊たちの顔が、ぱっと明るくなる。
「……いい香り」
「なんだか懐かしい」
「昔、夏祭りで飲んだわ」
女も、自分の髪をそっと触った。
「……こんな香り、久しぶり」
その声は、少し寂しかった。
クマちゃんは、何も言わなかった。
ただ、ぽてぽてと女の隣に座った。
「ねえ」
「なあに?」
「どうして、毎晩ここでお化粧してるの?」
女は鏡を見る。
「忘れられないため👻」
クマちゃんは静かに聞いている。
「死んだ人って、だんだん忘れられるでしょう?」
「うん」
「名前も、顔も、声も」
女は、自分の頬を撫でた。
「だから私は、毎晩ここで化粧するの」
クマちゃんは少し考えた。
そして、女の前に小さな湯気の立つ物体を置いた。
「はい」
「これは?」
「ピーチソーダ……じゃないよ」
「え?」
「耳毛」
「ふふっ」
女が笑った。
「でも、ありがとう」
その笑顔を見て、クマちゃんも嬉しそうに笑う。
そして、女はもう一度鏡を見る。
「……あら?」
鏡の中。
さっきまでなかったものが映っていた。
彼女の足。
「見える……」
女が驚く。
クマちゃんは、ぽてっと立ち上がった。
「よかったね」
「うん……」
女の目に涙が浮かぶ。
「ありがとう、クマちゃん」
「どういたしまして~」
「ねえ、最後にもう一度だけ聞かせて」
「なに?」
「私のお化粧……どう?」
クマちゃんは、女をじーっと見る。
そして――
「うん🐻」
にっこり笑った。
「今度は、ちゃんとピーチソーダの香りがする🍑」
女は笑った。
墓場いっぱいに、笑い声が響いた。
やがて朝霧が降りてくる。
白い幽霊たちは、一人ずつ光の中へ消えていった。
最後に残った女も、鏡の中の自分に小さく手を振る。
「じゃあね」
「またね~🐻」
女の姿が、朝の光に溶けていく。
墓場には、もう誰もいない。
ただ、古い鏡だけが残っていた。
その鏡の前に――
桃色の小さな花が一輪。
そして、その隣には小さな瓶。
ラベルには、丸い字でこう書かれていた。
――「幸せを呼ぶピーチソーダ」
クマちゃんはそれを見て、満足そうに、
「ぽてっ🐾」
と、ひとつ頷いた。
朝の墓場に、ほんの少しだけ。
甘い桃の香りが残っていた。
~ fin. ~
※普通のお茶を 耳毛 に差し替えました。
