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ふた぀の音楜䞖界の境界を歩くヌヌこれから䞖界はどんどんむンド化しおゆく。前線「おいらの靎は日本補」



アゞア—時間の反乱ず倚元性


ゞャむプヌルの朝は静かに蚪れる。
私は䜏宅地の路䞊で杯ワンコむンの、
摺り䞋ろし生姜入りのチャむを飲みながら、
電線の䞊を駆けおゆく小リスを芋おいる。


どこの異囜であろうず行っおみないこずにはわからないもの。しかし、私にずっお、むンドほどそれを感じた囜は他になかった。旅行ガむドブックも、旅行蚘も、たしおや文化論も哲孊曞もおよそ圹に立たない。あなたが実際にあの土地を蚪ね、入囜審査官ず䌚話を亀わし、おっかなびっくりリクシャに乗っお、目に飛び蟌んでくるもの、そしおささやかな経隓を重ねるこずによっお、はじめおあなたのためのむンドが生たれる。぀たり人の数だけむンドが存圚するのだ。たるで䞇華鏡ではないか。

私は週末、近所づきあいをしおいるむンド・レストランで、開店たえの時間に、むンドを懐かしむ。どこのレストランずお開店たえの厚房は戊堎さながらだけれど、他方スタッフはダむニングの隅の金ピカのガネヌシャ像にお銙を捧げ、開店前の店内には静かにマントラを唄うむンド音楜が流れる。お銙の銙りに混じっおゆったりしたテンポの音楜ずずもにマントラが聎こえおくる。 "namah shivaya nama shiva, hare hare holly nama shiva"、 "Om shanti shanti Om" ヒンドゥヌ教埒にずっお、信仰ヌ音楜は暮らしのなかに溶け蟌んでいるのだ。私はこれに過剰に泚目するこずもどうかず思うものの、しかしこのこずを抜きにヒンドゥ教埒割のむンドを語るこずもたたできない。では、いったいどのようにむンドを理解すればいいだろう

|なぜ、アントニオ・タブッキにずっお、むンドは魔界なのか

アントニオ・タブッキの小説『むンド倜想曲』、およびその映画版は、倱螪した友人を探しお異郷をさたよう男の物語である。物語の定型のひず぀であり、挔出も巧い。したがっおむンド圏以倖の人間が芋れば誰だっお楜しめはする。しかし、私は呆れもした。たしかにむンドは私たちにずっお垞識離れした瀟䌚かもしれないにせよ、しかしながら他方で、料理はおいしいし、睫毛の長い子䟛たちは玠盎で愛らしく、倧人たちもおおむね無邪気でおっちょこちょいで愛すべき囜ではないか。なんでたたむタリア人のむンテリ䜜家タブッキは、そんなにもむンドを「䜕を考えおいるかたったくわからない連䞭が平然ず暮らしおいる魔界ずしお」描いただろう。

その理由は、むンドの倚蚀語混圚、巧みなスパむス䜿いの銙り高い料理、そしおドレミファ゜ラシドずたったく無瞁なむンド音楜にあるのではないか。そしおその奥には、タブッキが自芚しおいたかどうかはさおおきむンドにはペヌロッパずは異なる時間認識が共有されおいるこずぞの恐怖が朜んでいるのではないか おそらくタブッキがむンドを魔界ずしお挔出した理由はここにある。私はそこに知的なペヌロッパ人の限界を芋る。

|私にずっおむンドは楜しい

他方、自慢にもならないにせよ、私にずっおむンドはなにからなにたで楜しかった。空枯からデリヌに向かう道路は、誰もがクラックションを鳎らしたくっお走る。ヘルメットをかぶったマダムは、ホンダのバむクに、子䟛を䞉人も乗せお走る。デリヌから郊倖ぞ䌞びる道路にはガヌドレヌルもなく、盛り土をアスファルトで固めおあり、街路暹の暪腹に癜い蛍光ペンキが塗っおある。どうやらガヌドレヌル甚のカネは政治家ぞの賄賂に消えたらしい。案の䞊パネルトラックが路蟺の倧地に転がり萜ちおいる。駅の「緑の窓口」みたいなずころに平然ず詐欺垫が仕事しおいるかず思えば、コンノヌトプレむスに立ち䞊ぶ30軒もの旅行代理店の玄割ががったくりである。駅にはたくさんの人びずが床に寝そべっお眠っおいる。しかし、それさえも絵私には楜しかったし、たしおや街を歩けばむンド人の子䟛たちが揃っお手を振る。公園に粗末な怅子をに脚䞊べ髭剃り屋を営んでいる䞭幎男の脇では、かわいい少女がお尻䞞出しの赀ん坊を抱いおいる。私は圌女の䌌顔絵を描いおプレれントしたものだ。ストリヌトの女の子ふたりず私はダンスを螊った。圌女たちは私を「ヘむ、モンキヌマン」ず呌んで私の歩く埌をキャッキャ蚀っお぀いおきたものだ。旅行をしお、こんなに楜しい思いをした囜は他にない。いいえ、おっかない目にも少しはあったけれど。いいえ、そろそろ本題に入ろう。

|Mukeshは歌う、「おいらの靎は日本補」1958


靎は日本補
ズボンはむギリス補
頭の垜子はロシア補
でも、おいらの心はむンド人

おいら歩き出す、開かされた道を
堂々胞を匵りながら
目的地はどこか、どこで立ち止たる
人生は走り続ける列車だぜ
ゲヌムは進む、たったりず
でも、おいらの心はむンド人

おいらたちは䜏む
ガンゞス川が流れるあの囜に
誰かがいおいらの客になったなら
呜より倧切にされるんだ
おいらは倚くを求めない
少しあれば、幞せでいられるさ

この歌、”Mera Joota Hai Japani”は、映画『Awaara攟浪者』1958ずずもに䞖界的にヒットした。特に゜ノィ゚ト連邊、䞭東、アゞア諞囜などで熱狂的にヒットした。1955幎圓時のむンドは、ネルヌ銖盞初代銖盞の指導の䞋、独立盎埌の激動の時代にあっお、ほずんど瀟䌚䞻矩的な統制経枈で青息吐息のむンドは囜民囜家のアむデンティティをいかに構築するかを暡玢しおいた。そんなずき、「おいらの心はむンド人 (Phir bhi dil hai Hindustani)」ずいうフレヌズがかれらの愛囜心ナショナリズムに垌望を䞎え、むンド人たちの心に響いたのだ。

なお、この気さくで誇り高い歌は、むンドこぶしをたわしお歌われながらも、基本的にはドレミファ音階で䜜曲されおいるずころに、圓時のむンドの逡巡が䌺われたす。しかし、その埌むンドは埐々にドレミファ音階に飲み蟌たれない道を遞ぶようになる。


|むンド音楜は、なぜドレミファ゜ラシドず拍子抂念に屈しなかったのか

むンドの䌝統音楜は、独自の宇宙を持っおいる。それは西掋の五線譜の倖偎で、たるで螺旋の時間ず無数の色の音が呌吞をしおいるようだ。ドレミファ゜ラシド——あのきれいに䞊んだ䞃぀の音は、むンドにずっおはあくたで〈よそ者の秩序〉だった。拍子の均敎のずれた歩幅もたた、人間の歩行には䌌おいおも、むンドの倧地の脈動ずは違う。

西掋音楜理論の語法で無理に翻蚳すれば、それはポリリズムであり、埮分音であり、タブラが刻む16拍の埪環ティヌンタヌルや10拍のゞャプタヌルなどの倚重的拍䜓系に支えられた巚倧な迷宮のような音楜だ。しかし、本質はもっず玠朎で、もっず圢而䞊孊的なずころにある。

音は垰るべき堎所を知っおいる。
旋埋は、川の流れのように源流ぞ戻っおゆく。
それを導くのは数孊ではなく、祈りの呌吞であり、
時間そのものぞの信頌だ。

それがむンドの音楜である。


Mukeshの歌が䞖界を駆け巡り、゜ノィ゚トでもアラブでも口ずさたれたずき、むンドはすでにふた぀の䞖界のはざたで揺れおいた。
掋服は西掋補、靎は日本補、しかし心はむンド人——。
その逡巡は可笑しくお、切なくお、矎しい。

そしおむンドは最終的に遞んだのだ。
均敎よりも、揺らぎを。
線よりも、波を。


揺らぐ音の粟神——ラヌガの時間、タヌラの茪廻


音は定たらない。
定たらないからこそ、人はそこに氞遠を感じる。

むンド音楜を理解しようずするずき、私たち西掋的教育を受けた耳は、たず音を掎もうず手を䌞ばしおしたう。「ドはドでしょ」ず蚀いたくなる。しかしラヌガの音は掌をすり抜け、颚のように流れおいく。掎もうずした瞬間、音はもう別の姿になっおいる。

たくさんのラヌガRāgaはすべおモヌド旋法ではある。しかしけっしおそれに留たらない。

ラヌガは、旋埋を構成するための音階旋法ず、その旋埋の展開ルヌル、そしお特定の音の動き方を定めた枠組である。それは空間を染め䞊げる色圩であり、感情であり、ムヌドである。

倚くのラヌガは、挔奏するべき時間垯日の出、昌間、倕方、真倜䞭などや季節が決められおいる。これによっお、音楜は自然や時間の流れず深く結び぀いおいる。挔奏者は、このラヌガの枠組みの䞭で、感情や創造性を蟌めお自由に旋埋を即興で展開しおゆく。たずえばむンドレストランでは、開店たえに、ガネヌシャにお線銙をあげ、お祈りの音楜をかける。

すなわち、ラヌガは心の状態bhāva、気候、季節、時間垯。
そしお挔奏者ず聎衆の粟神の共鳎で成り立぀、ひず぀の䞖界だ。

たずえば、モヌニング・ラヌガは癜い光だ。倜明け前、草の䞊に満ちる湿気ず同じ色を持぀。音はゆっくりず䌞び、やがお濃密な旋埋が立ち昇る。それを西掋五線譜に抌し蟌めば、ただの「音列」にしかならないが、実際はその背埌に巚倧な粟神の質感がある。

音は生き物で、朝は朝の鳎き方をする。

リズムの基瀎タヌラTāla

タヌラずは、拍子リズムの呚期を定める理論である。「ボル」ず呌ばれる音節を組み合わせ、非垞に数理的で耇雑な呚期を圢成する。拍子、拍子、拍子  。いや、そんな単玔な䞖界ではない。16拍でも、内偎は 4+4+2+3+3 ずいうように分解され、それぞれが別のアクセントず感情を持぀。拍は等間隔に敎列しない。それは波のリズム、颚の乱反射、牛飌いの足取り、祈りの息づかい。数理は厳栌だが、感芚は自由である。

぀たり、タヌラは均質な拍ではなく、ゆらぎを前提にした時間の噚なのティヌンタヌル16拍やルヌパクタヌル7拍ずいった拍䜓系も同じだ。
拍は数えられるものではなく、埪環する呌吞である。
それは心臓の錓動に䌌お、感情の波に䌌おいる。

だが、拍が乱れおも音楜は厩れない。
なぜなら厩れる前提で成り立っおいないからだ。
リズムは揺れるものだず最初から知っおいる。

私が初めおタブラの奏者に出䌚った時、圌は笑いながら蚀った。

「西掋はリズムを歩幅で枬る。
むンドはリズムを魂の速さで枬る。」

その蚀葉を理解するたで、私は䜕幎もかかった。
いたならわかる——リズムずは運呜の速床なのだ。


むンド叀兞音楜の代衚的楜噚線成

むンド叀兞音楜の線成は、以䞋の3぀の圹割に分かれる。

  1. 䞻旋埋メロディ楜噚

    • シタヌル匊楜噚

    • サロヌド匊楜噚

    • サリンギ擊匊楜噚

    • 声楜歌唱

    • バヌンスリヌ竹笛 など

  2. リズム楜噚

    • タブラ打楜噚- 䞻に北むンド。

    • ムリダンガム打楜噚- 䞻に南むンド。

  3. ドロヌン持続音楜噚

    • タンブヌラタンプヌラ: ぀ねに開攟匊を鳎らし続け、楜曲の基音䞻音を持続的に提䟛したす。これはラヌガの旋埋が展開する䞊での「音の背景」ずなり、音楜に独特の深みを䞎える。


むンド䌝統音楜は暮らしず結び぀いおいる

むンド䌝統音楜は、人々の粟神生掻、宗教、そしお日々の暮らしず深く結び぀いおいる。

Ⅰ粟神性・癒し

  • 「ヒヌリング癒しの栞」: 音楜は単なる嚯楜ではなく、粟神的な安らぎやポゞティブな゚ネルギヌをもたらすものず芋なされおいる。

  • 瞑想ず集䞭: ラヌガやタヌラの厳栌な䜓系ず即興性が、挔奏者にも聎衆にも深い集䞭力ず瞑想的な状態を促す。

Ⅱ宗教ず儀匏

  • バクティ献愛: 寺院での儀匏や、神ぞの献愛を歌うバゞャン讃歌ずしお、音楜は宗教生掻の䞭心にある。

  • 神栌化: 倚くのラヌガや楜噚には神話や神々が結び぀いおおり、音楜を挔奏するこず自䜓が䞀皮の信仰行為ずも蚀える。

Ⅲ時間ず自然ずの調和

ラヌガは時間垯や季節ず結び぀いおいる。その時々にふさわしい音楜を聎くこずが、自然のサむクルず調和し、日々の生掻に秩序ず矎意識をもたらす。

このように、むンド䌝統音楜は構造的な深さず粟神的な意味を持ち、むンドの人々の生掻、信仰、そしお時間の流れそのものず䞀䜓化しおいるのだ。

埌線に続く。


いいなず思ったら応揎しよう