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子どもを産んだら世界は狭まると思ってた。


国内旅行に行くくらいなら、海外に行きたい。
言葉も文化も違うところで、私のことを誰も知らない土地を歩きたい。
和食よりイタリアンが好き。
馴染みのある建物を見たり、空気を吸ったりして何になるのだろう。
歳上の人達は口を揃えて「独身時代に遊びなさい」と助言した。
20代はパスポートに押されるスタンプの数だけが、私の心を踊らせる証なのだと思っていた。

30代、子どもを産んだ。
騒がしくてまばゆい、コロコロと動き回る、ビー玉のような小さい命だ。
見た事のない景色を求めて上を見上げていた私の目玉は、今、ほぼ毎日下に向けて過ごしている。
一方で透き通った小さな2つの目玉はキョロキョロと毎日忙しなく何かを追っている。
それは、道路に転がる小石だったり、絶対に捕まえられないバッタだったり、僅かに揺れる電線だったり、私には見えない飛行機だったりする。
そんなものを見て何になるのだろう、の最骨頂を、今我が子は最前で追っている。

そして息子は次第に生き物の魅力に取り憑かれていった。
初めはダンゴムシだった。
触ると丸く縮まる背中に心を奪われていた。
次は恐竜だった。その次はサメ、その次は深海生物。そして今は魚に夢中だ。師匠はサカナくん。最近は、親よりもサカナくんの言うことの方が聞くのではないかと思う。
動物園に行けば朝から晩まで過ごし、水族館では同じ水槽をグルグル回る。
私は、グソクムシのいる水槽よりもローマにある真実の口に手を突っ込みたい。

あー、私はこれから先、お子様ランチのあるお店にしか行けないし、
オムツ替え台があるお店にしか行けないし
ベビーカーの入れるお店にしか行けないのか。
昔の人が書いたなんとなく素敵な絵画とか
コンクリートに囲まれた、2人席しかないカフェとか
自然が織り成した壮大な景色とか
見に行けないのかぁ。


子どもが5歳になった。
博物館とか動物園とか、同じところに何回も、何回も何回も行った。
図鑑をめくる手がとまらなくなってきた。

なんか、あまりにも楽しそうだったので、そんな息子を見下ろすのをやめた。
私もしゃがんで、同じ高さから水槽を、檻の中を、草の中を覗くことにした。
そうしたら、なにか特別な世界が広がってるのかなと。
でも、別になにも、本当に普通だった。なにもかも。
普通の生活の、普通のそこらじゅうにある、見た事のあるものばかり。
じゃあ調べてみればいいのかも、聞いてみればいいのかも。

ダンゴムシってなにが楽しいの?と、私。
息子は目線を変えずにサッと集めたそれらの中から1つ選んで、私の手の上に置いた。

そんで、手の上から思いっきり

潰した。

そしてこう言った。

「ダンゴムシの血って青いんだよ、おもしろいね」




たとえばね、
カクレクマノミは体が大きいのがメスで、その次に大きいのがオスなんだって、いちばん小さいのは性別がないから、ニモってオスでもメスでもないんだって。

サメが人を襲ってしまうのは、サーフボードに寝そべってる人の姿を下から見上げたら、オットセイに似てるからなんだって。

鳥の泣く声をずっと、よく聞いてると、仲間を呼ぶ声と、警戒する声がそれぞれ違っていて、もしかしたら仲間じゃなくても餌を分け合うこともできるかもしれないんだって。

アホウドリは、アホウドリしかいない無人島で暮らしてて、人間が羽毛を手に入れるために乱獲したんだけど、目の前で仲間が殺されても逃げなかったからアホ、って呼ばれてるんだって。
でも、アホウドリは今まで天敵のいない島にいたから逃げるっていう必要がなかっただけなんだよ、かわいそうだよね。


ダンゴムシの血は、青くて、
私たちとは血の色がちがっていて、
そんなちがうものたちがたくさんあることが

「おもしろいね〜」

と笑う姿は、なんて自由なんだろう。
知らないから知ってみようと、図鑑を捲る手に、どれほどの未来が詰まっているのだろう。

子どもを産まなかったら知らなかった。
サメのことも、ダンゴムシのことも、アホウドリのことも、世界には本当に沢山の、細かな種類の生き物がいて、お互いの邪魔にならないように存在していて、利用したり、利用させたりしながら今もまだ生きているということを。
こどもたちの無垢な瞳で見つめる世界は狭くて低いけど、決して小さくはないということを。

子どもを産んで、できないことも増えたけど、子どもの世界を一緒に深堀りするのは想像を超えてめちゃくちゃ面白い。


先日、息子が初めてイルカショーを見た。
音楽が終わって、ゾロゾロ出ていく観客を尻目に、息子は両目を押さえて動かない。
ママ、感動して泣いちゃったけど、どうだった?と聞くと
「わからない。眠くもないしどこも痛くもないのに、涙が止まらない。どうしちゃったんだろう。ぼく、どうして涙が出るんだろう。」
と戸惑いながら必死に両目を隠すのだ。

何かを見て涙が出るほど感動する時って、確かに不安でドキドキして体が浮ついて、ちょっと寂しくて切なくて、そんな沢山の気持ちが押し寄せるものだから、それが初めて涙になって溢れた時、どうしていいか、そうか、わからないのか。もう忘れちゃったよママ、君を見て、びっくりしちゃった。

そう、忘れてた、感動って怖いんだ。
心が震えて、ドキドキして、感動って不安で戸惑いで、恐ろしくて切ないんだ。
胸がギュッてなるあの感覚を、この子は今初めて受け止めて、勝手に溢れる涙が怖くて怖くてたまらないんだ。

もうそんな気持ちと出会うのか。私が遠い昔に出会って当たり前のように享受し続けた感覚に、今からこの子たちは出会って、戸惑って、受け入れて、世界が広がっていくんだ。すごいなあ。すごいことだなあ。子供たちのフィルターを通して、すっかり忘れていた気持ちにまた出会ったり、生き物に詳しくなったり、水族館や博物館が好きになったり、花を綺麗だと思うようになった。ありがとうね。ありがたいです。面白くて、特別で、繊細なメガネから見る世界、まだまだ一緒に覗かせてほしい。

大丈夫だよと頭を撫でながら、しっかりその感覚を味わってもらおうと思った。
忘れていたことすら、忘れていた感覚を、この子は私にその身を持って思い出させてくれている。
そんな希少な経験は、きっとこんなに小さな子どもと共に過ごす今しか得られることはないんだろう。



子どもを産んだら世界は確かに狭くなった。
海外になんて到底行けそうにもない。
魚の番組を見ている子どもの横で、私はソファに座って、サカナくんの著書を読んでいる。
週末は魚の剥製を作る約束をした。
私は海外には行けないけれど、目を瞑るだけで海底にだって行けるし、白亜紀にだって行ける。
知識は私たちをどこまででも連れて行ってくれるのだった。

子どもと一緒に見る世界は狭くて深くて自由で未来があって、地球のことで、私のことで、目の前のことだ。

結構楽しいよ。



おしまい。

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