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ドラマ評『ガス人間』:ドラマだからこそのテンポかな。楽しませてもらったけど。

Netflixオリジナルシリーズ『ガス人間』全8話を見終えました。

配信された時には、一気に最後まで見るつもりでした。ところが実際には、第6話までは1話ずつゆっくり視聴し、物語が大きく動き始める第7話と最終話を続けて見る形になりました。

この見方になったこと自体が、本作の特徴をよく表しているように思います。

全体としては面白かったです。
VFX、キャスト、物語のスケールはいずれも高いレベルにあり、Netflixと東宝が世界配信を前提に作った大作らしい力を感じました。
その一方で、中盤までは回想が多く、必ずしも「次をすぐ見たい」と思わせるテンポではありません。

ただし、終盤に入ると印象はかなり変わります。伏線と人物関係が一気につながり、最終話はライブ感のある展開になっていました。そこまで積み上げたものが、最後にようやく走り出す。その加速感も含めて楽しめた作品でした。

※以下、物語の結末を含むネタバレがあります。



1960年の特撮映画を、現代の社会派サスペンスへ

本作は、1960年に公開された本多猪四郎監督の東宝映画『ガス人間第一号』を原作とするリブートです。続編ではなく、「身体をガス化できる人間」という発想や登場人物の名前、そして物語の核にある感情を受け継ぎながら、現代を舞台に全8話の物語として作り直しています。


生放送中、大学教授の体内に謎のガスが侵入し、カメラの前で破裂死する。事件を追うのは、謹慎から復帰した刑事・岡本賢治と、現場に居合わせた報道記者であり、岡本の元婚約者でもある甲野京子です。

やがて犯人は「ガス人間」を名乗り、27年前に存在した福祉施設「ホワイトセンター」の関係者を次々に殺害すると予告します。事件を追ううちに、弱い立場の人々が危険な環境浄化作業に動員され、その犠牲が政治、警察、暴力団などの利害によって隠されてきた過去が浮かび上がります。

映画版がガス人間・水野と日本舞踊家・藤千代の悲恋に焦点を絞った物語だったのに対し、ドラマ版は警察、報道、動画配信者、暴力団、政治家を巻き込む群像劇になっています。

ただし、規模を広げても原作の中心にあったものは失われていません。

それは、「愛する人のためなら、どこまでやってしまうのか」という、純粋であるがゆえに歪んだ感情です。

ガス人間よりも、それを生み出した社会の方が怖い

本作のガス人間は、突然現れた怪物ではありません。

ホワイトセンターで弱者が使い捨てにされ、その事実を社会の有力者たちが隠した結果として生まれた存在です。ガス人間の殺人を正当化することはできませんが、なぜ彼が復讐へ向かったのかは理解できるように描かれています。

ここが、単純な「怪人対警察」の話に終わらない本作の面白さだと思います。

異形の存在は確かに恐ろしい。しかし、その怪物を生み出したのは、人の命を事業のコストとして処理し、都合の悪い事実を組織ぐるみで消してきた側です。ガス人間の能力は荒唐無稽でも、その背景にある搾取と隠蔽の構造は、妙に現実的です。

さらに、テレビ報道は真実を伝えようとする一方で事件を視聴率へ変え、動画配信者は悲劇をスクープとして消費しようとします。正義を掲げる側も、完全に無傷ではありません。

ガス人間という古典的な特撮キャラクターを使いながら、現代のメディア社会まで射程に入れた。この再構築は、かなり意欲的だったと思います。

映像として成立させたVFX

まず感心したのは、ガス人間の表現です。

人間の輪郭が崩れ、煙のように移動し、隙間から密室へ侵入する。文章にすると少し滑稽になりかねない能力ですが、映像ではほとんど違和感がありませんでした。

特に、人の体内へ入り込む場面には、生理的な嫌悪感と怖さがあります。単に煙のエフェクトを見せるのではなく、「そこに意思を持った何かがいる」と感じさせるVFXになっていました。白組が手がけた映像は、本作の荒唐無稽な設定をドラマの現実の中へ定着させる大きな力になっています。

東宝にとってNetflixとの最初の本格的な世界配信向けシリーズという位置づけもあり、映像全体には相当な力が入っています。ガス人間という、日本特撮の少し古風な題材を、懐古趣味ではなく現在の配信ドラマとして成立させた点は評価したいです。

豪華な俳優陣と、二人の森

主演の小栗旬、蒼井優をはじめ、広瀬すず、林遣都、竹野内豊、岡部たかしなど、俳優陣はかなり豪華です。韓国のヨン・サンホ、リュ・ヨンジェが脚本を担い、日本の片山慎三が監督する制作体制にも、最初から世界市場を視野に入れた企画らしさがありました。


なかでも印象に残ったのは、森靖利という人物です。

若い頃を野村周平、現在を竹野内豊が演じています。単に年齢の違う二人を配置したというより、若い頃の危うさが、長い時間の中で別の凄みへ変わっていく。同一人物の変化として納得できる配役でした。

もっとも、竹野内豊の森については、この風貌で上場企業の社長を務めているという設定には、少し無理があるのではないかとも思いました。どう見ても、企業の決算説明会より別の場所が似合いそうです(笑)。

それでも、竹野内豊自身がこの癖の強い役を楽しんでいるように見え、それがキャラクターの魅力になっていました。『ビーチボーイズ』の頃を知っている世代としては、その変貌ぶりも含めて見応えがあります。

そして、黒幕側の人物を演じた岡部たかしも印象的でした。

最初は少し軽く、黒幕としては迫力が足りないようにも見えます。しかし物語が進むにつれて、その軽さが単なる軽薄さではなく、どこか大事なネジが外れている人間の危うさに変わっていきます。

声を荒らげたり大げさに威圧したりしなくても、話が通じない人間の怖さは表現できる。終盤では、その不気味さがよく出ていました。僕はかなり好きなキャラクターです。

回想が物語を深める一方、速度を奪った

一方で、ドラマ全体のテンポには引っかかるところがありました。

本作は、現在の捜査と並行して、27年前のホワイトセンターで何が起きたのか、京子やレン、森たちがどう関わったのかを何度も回想で描きます。現在の事件の意味を少しずつ塗り替えていく構成であり、狙いはよく分かります。

ただ、そのたびに現在進行中の事件が止まってしまいます。

映画では、回想は現在の物語の速度を落とすため、必要最小限にした方がよいと言われることがあります。全8話の配信ドラマである本作は、映画より長い時間を使えるとはいえ、その弱点から完全には自由ではありませんでした。

第6話までは、「謎が気になって一気に見る」というより、「今日はここまででいいか」となりやすい。少なくとも僕には、そういうテンポでした。

もちろん、この回想があるからこそ、登場人物の選択や「願い」の意味が終盤で効いてきます。削ればよいという単純な話でもありません。ただ、過去を見せる量と現在の事件を前へ進める速度のバランスは、もう少し調整できたのではないかと思います。

終盤でようやく始まる、走るドラマ

そのぶん、第7話から最終話にかけての加速は気持ちがよかったです。

過去の因縁、ガス人間の正体、京子の願い、事件を利用していた側の思惑が整理され、物語が一気に現在へ戻ってきます。最終話は人物が動き、状況が変わり、決断が次の決断を呼ぶ。中盤までとは別のドラマのようなドライブ感がありました。

ラストは、単純に「不穏な続編予告」とだけ見るより、僕にはロマンチックな終わり方に感じられました。

レンと京子の関係は、一つの物語としてきれいに閉じています。映画版が藤千代と水野の死によって悲恋を完結させたのに対し、ドラマ版は同じ結末をなぞらず、別の形で二人の愛を着地させました。

一方で、事件のさらに背後に別の存在がいることも示されます。続編を作ろうと思えば作れる。しかし、レンと京子の物語として考えるなら、ここで終わる方が美しいのではないかとも思います。

続編があるなら、今度は前へ走ってほしい

もちろん、続編が制作されるなら僕は見るでしょう。

ただ、その場合は今回のように過去を何層にも重ねる構成ではなく、最終話のようなスピード感を最初から前面に出してほしいです。今回の物語で世界観と背景は十分に説明されました。次は回想に戻るより、岡部たかしが演じた人物と、その背後にいる存在を中心に、現在進行形の事件を走らせる方が面白くなる気がします。

本作は、1960年の特撮映画を現代の技術で豪華に作り直しただけの作品ではありません。

原作にあった「愛のためなら何でもしてしまう歪んだ純粋さ」を残しながら、弱者の搾取、組織による隠蔽、報道と動画配信による悲劇の消費へと物語を広げています。その試みは、すべてが完璧に噛み合っていたわけではありませんが、昔の題材を現代に蘇らせる方法としては筋が通っていました。

テンポについては好みが分かれると思います。僕自身、中盤までは少しゆっくりだと感じました。それでも、VFXの完成度、俳優陣の存在感、終盤の加速、そして最後に残るロマンチックな余韻まで含めれば、最後まで見てよかったと思える作品です。

Netflixらしいスケールの大きなSFサスペンスとして、十分に観る価値はあります。

そして続編の可能性を残しながらも、僕としては、この少し奇妙で美しい余韻のまま終わってもいいのではないか。そんなふうにも感じました。

#ガス人間
#Netflix

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